航海しながら根を張る、新たな時代の思考のモデル
ニコラ・ブリオーといえば『関係性の美学』(1998)の著者として名を知られる美術批評家・キュレーターだが、意外にも2009年刊行の本書が『関係性の美学』に先駆けて邦訳される運びとなった。やや拍子抜けだが、邦訳書がいまだ刊行されない状況ですでに言及し尽くされた感のある『関係性の美学』よりも、本書のほうが「いま読まれるべき美術批評書」としてニーズに適っているかもしれない。というのも、資本主義社会の行き詰まりが指摘される現状において、求められるのは、ここ1世紀にわたる西洋中心主義的な言説と価値観の反省を踏まえた新たなヴィジョンの提示だからだ。
本書はその要求に応える。1980年代のポストモダン思想を経て全面的なグローバリゼーションに突入した現在の美術は、どのような問題に直面しているのか。また、モデルとすべき理論装置はあるのか。ブリオーはモダニズム以降の歴史整理と創発力に満ちたイメージ群でこれらの問いに挑む。ブリオーの批判によると、ラディカリズムの追求が至上命令であったモダニズムの普遍主義には、今日のグローバリゼーションと同根の問題があった。ポストモダニズム以降の「他者」を歓待する言説の数々──多文化主義、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアル理論──もまた、アーティストのアイデンティティを「境遇」「身分」「出身」に割り当てるものにすぎず、強者による搾取構図を覆せなかった。こうした問題に対して処方されるのが「ラディカント」なる概念だ。この付加形容詞の性質は、「前進するにつれて根を伸ばす有機体」という植物のイメージで説明される。「翻訳」「コード変換」あるいは「移動」。「ラディカント」であるための芸術生産のキーワードを挙げながら、ブリオーは歴史と地理の上に様々な道程を生み出すアーティストを「記号航海士」と呼ぶ。
ブリオーのいかにもキュレーターらしい手さばきで、アーティストの具体的な実践にふれられているのが本書の強みだ。いわば、理論が実例で肉付けされるのである。穿って見れば、権力者(キュレーター)が思うがままに手駒を布置しているとも取れなくはないが、第3部「航海論」で盗用(アプロプリエーション)、レディメイド、著作権フリーのソフトからDJによるプレイリストまで挙げて「個人の所有」の範疇をすり抜けていく理論的道筋は、「集産主義(コレクティヴィズム)」の芸術観をもって現況の政治・経済モデルに抗するという意味で、アーティストに限らずあらゆる主体を流転へと誘うものだ。
理論もまた航海し、移動の先々で混交的に根を張る。グローバリズムに代わるオルタナティブを探るための一書として押さえておきたい。
(『美術手帖』2022年4月号「BOOK」より)