震災とパンデミックの「20年代」に学ぶ
パンデミックの被害を受けたのは芸術家も例外ではなかった。国内では辰野金吾や村山槐多が、国外ではグスタフ・クリムトやエゴン・シーレらがスペイン風邪により命を落としている。いずれも1918〜19年に起きた出来事だ。さらに日本では、23年に関東大震災が発生。これらの出来事が要因となり、1920年代は人類史的な転換期となった。スペイン風邪以来のパンデミックと東日本大震災を体験した現代人にとって、この時代の出来事は決して他人事には映らないだろう。
本号は、1920年代の東京の都市文化を特集したものだ。対象となる分野は、建築、映画、写真、舞台、デザイン、美術などと幅広い。核となるのは、豊富な口絵と年表、文学・建築・美術の専門家らによる座談会、柏木博によるデザイン論、北澤憲昭による前衛美術論などだ。
それでは、この時代の都市文化とはどのようなものだったのだろうか?全体から浮かび上がってくるキーワードは、過去からの「分離」(分離派)や現状の「改善」(生活改善同盟)、1960年代を先取る「前衛」(アクション、マヴォ、三科造形美術協会)、震災からの「復興」(バラック装飾社)、ジャンルの「横断」(劇場の三科)、「美術制度」の問題化(無選首都展)、芸術の「政治運動化」(日本プロレタリア美術家同盟)などである。
従来、この時代の美術はのちの時代と断絶したものとされてきた。そのことについては座談会でも「いろんなことをやって、作品は残さないで、アクションだけで姿を消して」(芳賀徹)いった者や「その後、足を洗っているのが多い」(中原佑介)と言われている通りだ。しかし近年では、Chim↑Pomの卯城竜太らが望月桂率いる黒耀会にスポットを当てるなど(『公の時代』朝日出版社、2019)、そのDNAは隔世遺伝的に現代へ引き継がれているように思える。
事実だけを羅列していけば、1920年代と2020年代は驚くほど似通ったところがある。しかし、仮にもし現代がかつての「2周目」だとするならば、前回とは異なるシナリオを描くことも可能なはずだ。そのためのヒントもまた、本特集には散りばめられている。後半になるにつれ美術の政治運動化が進み、次第に弾圧へと近付いていった1920年代であるが、画家の中原実が発表した「元祖概念芸術」的な「理論繪畫」や、マヴォが発行した魅力的なエディトリアル、そして、広告の分野にコラージュやエアブラシなどの新技法が登場したことなど、決して単一の文脈には収斂しない雑然さもこの時代の大きな特徴だった。それでは、これから始まる20年代は、「ありえたかもしれない20年代」になりうるのだろうか?
(『美術手帖』2020年6月号より)