「MAYA MAXX 絵と言葉」(旧美流渡中学校交流館)
MAYA MAXXは1961年、愛媛県今治市生まれの画家・イラストレーター・絵本作家だ。独学で絵を描き始め、ポップなキャラクターを奔放なタッチで描き若者を中心に支持を集めた。『ポンキッキーズ』(フジテレビ系列、1993〜2001)をはじめとしたテレビ番組への出演でその名を知る人も多いだろう。
2020年7月17日、MAYA MAXXは東京から北海道岩見沢市の美流渡(みると)地区へ移住した。人口300人ほどの山あいの集落で、北海道でも有数の豪雪地帯である。移住を提案したのはMAYAの友人で編集者の來嶋路子だった。東京から美流渡へ先に移住していた來嶋は、2016年頃からたびたびワークショップの機会をつくってMAYA MAXXを招き、それが移住へとつながった。当初は東京との二拠点生活を計画していたMAYA MAXXだが、コロナ禍で往復が難しくなったこともあって最終的に美流渡を選び、旺盛な活動を展開する(*1)。だが23年夏に肺がんが判明。制作を行いながら治療を続けるも転移が見つかり25年1月に逝去した。63歳だった。
「MAYA MAXX 絵と言葉」は、改修を経て4月から再オープンした旧美流渡中学校交流館3階のワンフロアが会場だ。生前にMAYAが残した「小さくてもいいから、絵を掛け替えながら展示してほしい」(*2)という言葉を受け、來嶋がキュレーションした。今後は3ヶ月に1回程度、展示替えが行われるそうだ。
展示は5部屋で構成されている。第1の部屋はデビュー当初の作品や、書、ロシアによるウクライナ侵攻を背景に制作された絵など幅広い作例がハイライトのように並ぶ。第2の部屋では、晩年の大作《林の中の象のように》(2023)が展示されている。第3の部屋には書作品が並び、第4の部屋は絵本の展示だ。第5の部屋は資料室になっており、キャラクターグッズや著書、映像資料が並んでいた。総じて多岐にわたる活動を伝えている。
以下では、いくつかの作品に着目し、本展タイトルの「絵と言葉」がMAYA MAXXにとってどのようなものだったか考察する。

第1の部屋に展示されていた《花のドローイング》(2007)のタッチと線の重なりは、サイ・トゥオンブリーを思わせる。MAYAは敬愛するアーティストとしてトゥオンブリーの名を挙げており(*3)、その作品を通して信仰心にも似た制作の指針を見出していた(*4)。


第2の部屋にあった《林の中の象のように》のタイトルは、『ブッタの真理のことば、感興のことば』(中村元訳、岩波書店、1978)から取られている。この作品にかぎらず書の作品でも「仏」や「自在」などの仏教に由来する言葉が書かれていた。また、第3の部屋の中央には細い字で書かれた『般若心経』の巻物もあった。MAYA MAXXは、この世のすべては「空」であるという『般若心経』の考えに関心を寄せ、自分をダメな方向に向かわせているのは「我」であり、「我」をなくせたら、あなたも私も一緒である、という考えを持っていた(*5)。

「絵と言葉」という展示タイトルは、絵のみならず書や絵本も手掛けたMAYAの活動を端的に表していると同時に、トゥオンブリーの「絵」や般若心経を始めとした仏教の「言葉」が、彼女の制作にインスピレーションを与えていたことも連想させた。会場には次のような言葉も掲げられていた。
「私は、ずっと絵を描いてきてさ、結局、人が喜ぶのを見るのがうれしくて 絵を描いているってことだよ」
「自分がつくっているものは、すべて『贈り物』なんだっていうことが 本当に実感できました」
ここでいう「人」や「贈り物」とはなんだろうか。美流渡へ移住したMAYA MAXXは、自発的に地域のおすすめスポットの看板を描き、森の小道を清掃し、地域住民とともにイベントを彩るオブジェを制作した。また、本展の会場となった旧美流渡中学校交流館も、MAYA MAXXの手によって彩られた場所である。2018年の統廃合後に使われなくなっていた校舎に対し「外観だけでも明るい印象になるように」と、ボランティアや地域住民と協力して、窓を塞ぐ板に絵を描いた。MAYA MAXXはその窓板に「We MIRUTO」と記し「Weのなかには自然にIが入っている」と語った(*6)。その言葉は「「我」をなくせたらあなたも私も一緒」という、般若心経についてのMAYAの考えと重なり、私はこのような在り方に、いまや多くの人が関わるプロジェクトの名前となった「MAYA MAXX」(*7)の萌芽を見る。
本展からはMAYA MAXXが最終的に至ったのは仏教的な発想との共鳴だったことがうかがえた。だがこれはMAYA MAXXの世界観の一部に過ぎない。その全体像は、美流渡でMAYA MAXXの精神を受け継ぐ人々の活動によって、さらに明らかになっていくだろう。
*1──來嶋がウェブマガジン「コロカル」に連載していた記事(https://colocal.jp/category/topics/lifestyle/ecovillage/)には、MAYAの美流渡での活動の様子が多数記録されている
*2──会場のパネルより
*3──「MAYA MAXXのplaypray」より「MAYA MAXXの足跡を訪ねて ニューヨークへの旅 ― 調査記録 ―」(https://note.com/mayamaxxplaypray/n/n01dbbdab0070)2026年3月17日、最終閲覧7月5日
*4──「(前略)トゥオンブリーさんは、この画面とどう向き合うかがはっきりわかっていたんだと思います。(中略)“これだ”という確信がそこにはある。胸の中に、はっきりした明るい灯火がともっている。人によってその灯火はいろいろ違うのかもしれないけれど、それを人は神だったり、自然だったりと言うのだと思います。」(MAYA MAXX、森の出版社ミチクル『2019-2021 MAYA MAXX 移住は冒険だった』中西出版、2021、89頁)
*5──「(前略)自分をダメな方向に向かわせているものは何かとつねに考えていて、最終的に辿り着いたのは『我』であると思いました。(中略)もし、我がなくせたら、あなたも私も一緒であると思えるし、(中略)本当は何もないと言えるかもしれない。そう思ったときに『般若心経』の言葉がひしひしと身に染みるようになっていきました。(中略)結局、この世は『空』だよと。それは我を捨てることにつながっているんじゃないか。(後略)」(MAYA MAXX、森の出版社ミチクル『2019-2021 MAYA MAXX 移住は冒険だった』2021、中西出版、90-91頁)
*6──コロカル「うちへおいでよ! みんなでつくるエコビレッジ」VOL.147、來嶋路子「美流渡での『MAYA MAXX展』。小さな集落に多くの来場者が訪れた、その理由とは?」(2021、https://colocal.jp/topics/lifestyle/ecovillage/20211027_144390.html)
*7──MAYA MAXXがパーソナリティーを務めていたラジオ番組「MAYA MAXXのplaypray」のサポーターズクラブは、MAYAの死後、作品やアトリエの維持管理を行うサポーターズクラブへと移行した。
「大橋鉄郎個展 マン・パワー」(CAI03/CAI現代芸術研究所)
1994年北海道札幌市生まれのアーティスト・大橋鉄郎の個展がCAI03/CAI現代芸術研究所で開催された。
本展の広報ビジュアルにも用いられた《Man Power》(2026)は、アメリカ空軍が2000年代前半に開発した大規模爆風爆弾GBU-43/B、通称MOAB(Massive Ordnance Air Blast)という世界最大級の通常破壊兵器の映像をキャプチャし、原寸大に引き伸ばして立体化したものである。コンクリート打ちっぱなしの小部屋が並ぶ展示室を貫くように設置され、その長さは約9メートルもある。

MOABは、核兵器を除く兵器の中で破壊力が最大級とも報道されており(*9)、その威力から「すべての爆弾の母」(Mother of all bombs)の異名を持つ。また、前身となる爆弾BLU-82/B、通称デイジーカッターの機能を引き継ぎ、巨大なキノコ雲を発生させることで、核爆弾級の破壊力を想像させ、精神的なダメージを与えるという。加えて、実験映像の公開やキャッチーな通称による広報も、威力を広くアピールすることに貢献している(*10)。
《Man Power》の主な素材は、紙である。本作はわかりやすく言えばペーパークラフトのように制作されており、画像を紙に印刷し組み立てて立体化している。中は空洞であり、ハリボテと言い換えてもいい。ハリボテとは、見かけは立派だが実質が伴わない表面的な物事を比喩的に指す言葉でもある。
通常、爆弾は衝撃波や熱による破壊を第一の目的とする。だがMOABはそれに加えて、攻撃対象の精神に実際以上の影響を与えようとする開発思想を持ち、またそれが攻撃力のアピールにもつながっている。これまでも紙で立体作品をつくってきた大橋がこの兵器に目をつけたのは、MOABが実際以上の能力をイメージで表現する、ハリボテ的な爆弾とも言えるからであろう。
《Man Power》では、ハリボテ的な特徴を持つ爆弾が、実際にハリボテとしてつくられている。その素直な接続について、私は相応しすぎるのではないかとも思う。なぜならば、ハリボテ的なMOABをハリボテでつくって、ハリボテであると示すことは同語反復的であり、むしろ現実のMOABの方が、作品よりも強大なハリボテであるとさえ私には感じられるからだ。いや、もしかするとこのことも大橋にとっては織り込み済みなのかもしれない。

太平洋戦争で左腕を失った水木しげる(*11)は、戦後、連合艦隊のプラモデルづくりに熱中した。兵器を見るのが嫌になりそうな経験をしているにもかかわらず、である。そこには矛盾を指摘できるかもしれないが、言うまでもなく、しばしば人間は矛盾するのである。おそらく連合艦隊が魅力的で、プラモデルをくみ上げるのが楽しかったのだろうし、言うほどの動機もなかったのかもしれない。ものづくりは楽しいし、兵器はしばしば抗いがたい「カッコよさ」をもっている。
MOABは物理的な破壊力に留まらず、精神的な攻撃力、そして宣伝力すら持ち合わせている。このあらゆる力の象徴のような爆弾を、大橋は人を惹きつける広報ビジュアルとしてあえて用いたのかもしれない。もちろんMOABは模型のモチーフとしても魅力的である。大橋はその爆弾を実物大で再現するだけに留まらず、小さい模型を生産し、購入を促すかのように居間を思わせる配置で展覧会場に設置し、販売している。
今日、世界各地で武力衝突によって深刻な人道的危機が引き起こされている。その現実の前で大橋は何を成そうとしているのだろう。ハリボテという手法によって強大な力を脱臼しているのだろうか。いや、そうではない。先に述べた通り世界最大級の爆弾の力は「ハリボテ」として魅力的だからこそ強大なのだ。
私には《Man Power》はむしろその力を強調し、私たちが抱える矛盾を身をもって示し気づかせる作品のように思える。本展は「『パワー』と呼ばれるものがどのように作られ、誰によって支えられ、どのように消費されているのかを問い直」している(*12)とのことだが、「パワー」は《Man Power》を制作した大橋によってまずつくられ、この作品に魅力を見出してMOABの模型を買ってしまう鑑賞者によって支えられ消費されているのではないか。それは矛盾した行いかもしれない。しかしそれこそが、私たち人間の姿なのではないか。
*9──日本経済新聞「大規模爆風爆弾(MOAB) 通常兵器で破壊力最大級」(2017年4月14日 、https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM14H09_U7A410C1MM0000/)
*10──MOABのコンセプトについては、会場で販売されていた冊子『Man Power』収録の作品解説による。
*11──水木しげる『水木しげるのラバウル戦記』 (ちくま文庫、1997)
*12──本展ホームページより(https://www.google.com/url?q=https://cai-net.jp/exhibition/%25E5%25A4%25A7%25E6%25A9%258B%25E9%2589%2584%25E9%2583%258E%25E5%2580%258B%25E5%25B1%2595%25E3%2580%258C%25E3%2583%259E%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2591%25E3%2583%25AF%25E3%2583%25BC%25E3%2580%258D/&sa=D&source=docs&ust=1780925090263515&usg=AOvVaw1WMiMFZoLNAR5GBmWSTzpa)



























