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地域レビュー(北陸甲信越):尺戸智佳子評「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」(シーラカンス 毛利武士郎記念館)/「小林千紗のガラス−ゆれる呼吸−」(Gallery O2)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では尺戸智佳子(黒部市立美術館学芸員)が、彫刻家・毛利武士郎の制作や人間像を捉え直した「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」(シーラカンス 毛利武士郎記念館)と、ガラスを素材に呼吸を具現化する作家・小林千紗「小林千紗のガラス−ゆれる呼吸−」(Gallery O2)の2展を取り上げる。

文=尺戸智佳子(黒部市立美術館学芸員)

「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」展会場風景 撮影=筆者

クライアントワークの再評価で迫る毛利の創作の豊かさ

「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」(シーラカンス 毛利武士郎記念館)

 シーラカンス 毛利武士郎記念館は、黒部川の段丘地帯いわば小高い山の中に建てられており、近くには民家が数件、カモシカやイノシシ等の野生動物たちの生活領域に重なる集落の果てにある。初めて訪れる方は「この道で本当に合っているの?」という不安とともに山間の道を自家用車でしばし進む必要があるので、地図アプリ等が指し示すその場所を信じてどうか登り切ってほしい。そして、富山湾の美しい景色が一望できる場所にそれはある。

 もともとは、彫刻家の毛利武士郎(1923〜2004)が1994年71歳の時に完成させた自身の設計によるアトリエである。作家はこのアトリエに巨大な精密工作機械を運び入れ、《彼の/地球への/置き手紙 その1》(1998、東京国立近代美術館蔵)等、金属を用いた大作をひとり黙々と手掛けていた。そして、毛利の没後しばらくした2015年に地域の有志によってオープンしたのがこの記念館だ。毛利作品を常設するほか、不定期で地域の作家等の展覧会やイベントが開催されてきた。

シーラカンス 毛利武士郎記念館外観 撮影=柳原良平

 現在開催中の展覧会「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」では、小規模ながらも最初期の《不死鳥》(1951)から、代表作の《哭Mr.阿の誕生》(1983)、晩年の金属作品《Mr.阿からのメッセージ 第一信 第二信》(1995)等のほか、毛利が亡くなった際に機械に設置されたままであった絶作までを一覧できる。かつ、毛利が勤めていた株式会社七彩で制作に携わった記念品類、株式会社アート七彩で製造に携わり自身でも設計したランプ、またミケランジェロの《最後の審判》の模刻レリーフや星座や神話が主題のレリーフ、それらを用いた生活工芸品が、展覧会等で発表されてきた作品と等価に展示されているのが本展の大きな見どころだ。

「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」展会場風景 撮影=筆者

 本展は、黒部市美術館で開催した展覧会「毛利武士郎と黒部」(2023)の内容(*1)をふまえ、翌年、当時の企画協力者だったメイボン尚子(フリーランス・キュレーター)と柳原幸子(造形作家、シーラカンス 毛利武士郎記念館)、そして筆者も末席に加わり行った調査研究の成果の一部が反映されている。毛利の制作の背景には明らかに新しい道具や技術への興味関心がうかがえ、その発見の多くを導いたのは、七彩やアート七彩での技術開発や製造の経験、様々な職人たちとの関わりだった。ゆえに、作品制作とクライアントワークを地続きとした相対的な研究を通し、大きなパースペクティブから毛利の制作や人間像を捉え直すことを目的としていた。

 調査の一環で、七彩やアート七彩時代の毛利を知る方々に大変貴重なお話をうかがい、その成果を反映させた「毛利武士郎アーカイブ」をウェブサイトに公開している。そして、このアーカイブのテキストは、作品と空間を楽しむことに重きを置いた本展と相補的な関係になっている。

 本展からは、新たな発見の成果として2点を紹介したい。

 まず、毛利が制作した突き出し看板の《モーリ・ヌーボー》(1973〜1979頃)(*2)について。こちらは七彩時代の同僚だった垣花浩からメイボンが思い出話として聞いていたものだった。知人があるビルで花道教室を開いているが地下なので人目につかず困っているという話を何気なく毛利にしたところ、会社のアトリエで大掛かりな鉄鋼細工を始め、その看板をつくってくれたという。同僚への思いやりとともに、ものづくりが好きだった毛利の様子が目に浮かぶようなエピソードだった。垣花は、記憶を頼りにスケッチまでしてくれていたものの現存の有無が分からなかった。今回、メイボンの関係者への粘り強い聞き取り調査が実を結び発見に至ったものだ。

毛利武士郎《モーリ・ヌーボー》(1973〜1979頃) 撮影=メイボン尚子

 展示室中央のディスプレイケース「B.M.W. 星座」シリーズは、長らく毛利と生活工芸品の商品開発を行っていた山内好博に、毛利がファックスで送ったというスケッチを再現したものだ。両者は協働して星座や神話等のレリーフからペンダントヘッドやトロフィー等を製造、販売しており、スケッチはそのブランディングの提案であった。商品に込められた豊かな世界をともに夢想させる宝箱のようである。余談であるが、山内によれば作家の手元に入ったこれらの収益が、晩年手掛けた金属作品の制作に必須となる一機目の旋盤機の購入を助けたという。メイボンもアーカイブのテキストで触れているように、毛利の活動における様々なつながりが見えてくるのはとても興味深い。

毛利武士郎「B.M.W. 星座」シリーズ(ディスプレイ再現=柳原幸子) 撮影=筆者
毛利武士郎「B.M.W. 星座」シリーズ(ディスプレイ再現=柳原幸子) 撮影=メイボン尚子

 調査および本展を通して印象的だったのは、毛利は、様々な作品(や商品)をおおよそ等価な熱量で制作していたことだ。また、黒部での毛利は寡黙で人付き合いを遠ざけていた印象が強かったいっぽうで、勤務先やクライアントワークでは非常に多くの人と関わりながら楽しんでものづくりに向き合っていた。

 現在、記念館の管理を任されている柳原も黒部時代の毛利と親しかったひとりである。毛利が設計し過ごしたこの空間で、柳原や居合わせた方々との対話を通して鑑賞するなかで、毛利の多相的な世界はより鮮明に浮かび上がってくるだろう。山間の道を進み、現地を訪問する価値は十分にある。

*1──メイボン尚子「生誕100年の節目のその先へ。「毛利武士郎と黒部」展によせて」(ウェブ版「美術手帖」2023年8月17日、https://bijutsutecho.com/magazine/insight/27646
*2──作品名の命名は株式会社七彩で同僚であった山室堯によるもの。

編集部