政治が文化に隔たりをつくるとき
「チェン・チンヤオ 戦場の女」(eitoeiko)
最後に紹介したいのは、eitoeikoで開催されたチェン・チンヤオ(陳擎耀)「戦場の女」展である。このギャラリーでは、2014年に前述の鄭も参加した「在日・現在・美術」 展が企画されていた。本来であれば自然光が差し込むであろう展示室内の窓にはびっしりとチラシが貼ってあり、室内は暗い。戦時中のプロパガンダを思わせるチラシは、鑑賞者の心にざわめきをもたらす。
会場の中心にはスクリーンが設置され、5種類の映像作品を鑑賞することができる。それぞれの映像は、陳敬輝《穿制服的少女》(1944)、蔡雲巌《男孩節》(1944)、陳進《女子挺身隊》(1944)、《眺望》(1945)、《或日》(1942)という絵画が映し出されるところから始まる。いずれも、日本統治下の台湾に生まれた画家たちが手がけたものだ。例えば、陳敬輝《穿制服的少女》(1944)には上半身にはセーラー服、下半身にはもんぺを穿いた女学生の姿、すなわち戦時下において学生がスカートの代わりにもんぺを着用していた当時の台湾の状況が描かれている。

チンヤオは、過去の絵画を出発点に、映像の中で絵画の場面を現代的な視点で実写化し、再構成する。チンヤオ《穿制服的少女》(2025)では、絵画から抜け出たような佇まいの少女が制服を懐かしがる会話をするなかで、彼女たちの目の前に中国風の緑の上着、短いスカートの制服が現れる。ひとりがその中国風制服に身を包むと、台湾風もんぺ姿の友人からは彼女の姿が見えなくなってしまう。そればかりか、もんぺ姿の少女は台湾語を話すのにもかかわらず、中国の制服に着替えた少女は中国語を話すようになる。かつては同じ時間を共有していた友が、「異なる文化の記号」を纏ったことで遠い存在になり隔たりが生じる様子は、政治的な背景のもと私たちの暮らしに揺らぎが生じる現実を表現している。
また、日本統治下の台湾に生まれた女性画家・陳進による《眺望》(1945)は、防空壕から外の様子をうかがう女性を描いた作品だ。チンヤオ版《眺望》(2022)では、主人公は日常的なしぐさを見せるありふれた女性として映される。防空頭巾をかぶった後に髪型の崩れを気にして不機嫌な顔を見せる様子には、思わず共感せずにはいられない。いっぽう、次の瞬間には頭上を鳴り響く敵機のエンジン音に怯える彼女の前に、「我们一定要解放台湾(必ず台湾を解放せよ)」「今日乌克兰明日台湾(今日のウクライナ 明日の台湾)」という文字が並んだチラシが降ってくる。ギャラリーの窓にびっしり貼ってあったチラシは、この映像に登場するのと同じものだ。会場奥の壁には陳進《眺望》(1945)と同じ構図でチンヤオによって描き直された絵画《眺望》(2022)が設置され、映像に登場した主人公の女性が防空壕から顔を出す場面が現代的な設定となっている(*6)。


1976年に台北に生まれたチンヤオは、日本統治時代に生まれた祖父、中華民国統治時代に生まれた父を持つ。彼の祖父は自身のルーツを日本に、彼の父は中国にあると考えていたが、自身は日本人でも中国人でもなく「台湾人」というアイデンティティを認識している。チンヤオは、個人の自己認識や経験が政治的な問題と深く結びついていることを、ユーモアある美術表現を通じて訴えかけているのだ。
*6──この作品のキャプションには技法として「膠彩画(こうさいが)」と記されているが、これは日本統治下に台湾で広まった日本画技法を発展させた絵画のことを指す。日本敗戦後に政権交代が起きると、日本画技法を源流とした作品は中華民国の「国画」には属さないという議論が起こり「膠彩画」は排斥に至った(郭美瑜、2022)。
これら3つの展覧会体験は、先述した小宮りさ麻吏奈展の関連トークイベント「日本人ファースト、セカンド、サード」のなかで出たある意見を私に反芻させた。聴衆のひとりから「外国人差別を考えるとき、レイシズムとゼノフォビアが混同されている。グローバルサウスの人々のことを考えられるグローバルノースの政治が必要だと思う」という大意の問題提起がなされた(*7)。
実際に、現在の日本で公然と行われるヘイトスピーチのなかで想定される「外国人」は、日本が帝国主義的な思想のもとで「外地」等と呼称した被植民地や、グローバルサウスの出身者に偏っていないだろうか。しかし、ふと立ち止まってみれば、人々の置かれる立場は時代や政治の状況によって流動的なもので、いまは「分断する側」にいる人々が「分断される側」、強者から弱者へと変化する可能性はいつだってある。他者の歴史や文化を学び、現在起きている問題の根幹に向き合うことでしか、排他的社会の分断を克服することはできない。これらの展覧会は、戦後80年という節目のいま、日本社会からすっぽり抜け落ちているであろう植民地主義の歴史に向き合うきっかけを与えてくれるものである。
*7──ゼノフォビアは異なる国から来た者への嫌悪を意味するが、レイシズムは特定の人種や民族が別のグループに属する人間に対して優越性を持つという差別思想を意味する。
参考文献
1.Pilgrim, D. 「What Was Jim Crow?」(2000)、Jim Crow Museum(2025年7月31日最終閲覧)。
2.Park, W.「The young woman who saved millions of lives without knowing」(2020)、BBC(2025年7月23日最終閲覧)。
3.荒田詩乃「在日四世の眼差しから、断絶や境界を問い、生と死の記憶を描く。鄭梨愛 「私へ座礁する」(朝鮮大学校 美術棟)レポート」(2025)、Tokyo Art Beat(2025年7月24日最終閲覧)。
4.金汝卿「彼女たちはなぜチマチョゴリ制服を着続けたのか : 朝鮮学校女子学生らの抵抗をめぐって」(2022)、『同志社大学社会学会 評論・社会科学』143号、89–121頁。
5.金セッピョル・地主麻衣子『葬いとカメラ』(左右社、2021)。
6.郭美瑜「台湾美術展で活躍した若き3人の画家 日本統治時代の台湾の膠彩画」(2022)、 山口雪菜翻訳、『台湾光華雑誌』(2025年7月24日最終閲覧)。



















