聴く、歩く、そして放つ──「光の地」光州への応答
韓国・光州市で1994年に始まり、今年で第15回目を迎える光州ビエンナーレの幕が上がった(9月7日〜12月1日)。アーティスティック・ディレクターは美術評論家・キュレーターのニコラ・ブリオー。今回のビエンナーレは、ブリオーによる「パンソリ 21世紀のサウンドスケープ」をテーマとする本会場に加え(パンソリは朝鮮の民俗芸能のひとつで、物語に節をつけて歌う唱劇)、約31の国別パビリオン(22の国と都市、9つの機関が光州市の随所に展示)で構成されている。
日本パビリオンは、福岡市が推進するアートによるまちづくり「Fukuoka Art Next (FaN)」事業の一環としての参加となり、批評家・文化研究者の山本浩貴がキュレーションを担った。山本は、「“光州”という土地で、“日本”が、“ナショナル”なパビリオンを建てること自体を批判的に見据える展示」を想起し、福岡を拠点とするアーティスト・内海昭子と山内光枝が選ばれた。福岡市は福岡市美術館や福岡アジア美術館を筆頭に早くからアジアとの交流を推進してきたので、その「ローカル」な視点から逆に「ナショナル」のありかを照射することにもなる。
こうして日本パビリオンは、「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」をコンセプトに、「光州の地に歴史的に埋め込められた無数の声と沈黙に耳を傾け、現在進行中のグローバルな事象に接続する回路を開く」ことを目指し(*1)、9月5日には独自にオープニング・レセプションも行った(*2)。
ここでは韓国現代史において軍事独裁政権から民主化へと向かう転換点となった光州事件(光州民衆抗争、以下、光州抗争)(*3)の地である光州において、その日本パビリオンで繰り広げられた表現に注目してみたい。