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聴く、歩く、そして放つ──「光の地」光州への応答。古川美佳評「光州ビエンナーレ2024 日本パビリオン」【3/4ページ】

山内光枝──踏みしめ明け渡す歴史の「光」

 次に山内光枝の展示会場へとたどり着いた。朝鮮式家屋を改装したギャラリー「Gallery Hyeyum」がもうひとつの日本パビリオンだ。入口すぐの壁には古びた鏡台の鏡の部分に塗料が塗られ、わずかに「光」の文字が見える。展示タイトル《Surrender》も同じように壁にうっすらと浮かび上がっている。さらに奥へ進むと目に飛び込んできたのは足──地面を踏みしめ前へと歩む、裸足の映像だ。その横には水しぶきが映し出された映像も設置されている。このふたつの映像は20~30分間、ループのように繰り返され、観客はどちらのどの場面からみてもかまわない。この循環こそがじつは歴史が繰り返され、つながっていることをも暗示している。

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 映像内の山内自身の生足が踏みしめるのは、光州抗争の舞台となった揚林洞(ヤンニムドン)から全羅南道庁(旧全南道庁)前のロータリー、その中心に位置する噴水台までの道のりだ。じつはその道筋は、ある少年が虐殺の現場を目撃した道程でもあった。少年は40年ものあいだ、そのことを誰にも話せずに封印し、成人となったいま、ようやく語りだすことができたのだという。

 山内はまず、朝鮮が日本の植民統治から解放された8月15日に光州に来てこの道筋を歩いた。さらにこの話を伝えてくれた在日朝鮮人女性の友人とともに再び歩いた。したがって映像には山内ともうひとり、その友人の足が映し出されている。

 こうして素足は光州抗争の起きた現場を、「光」の文字が刻まれたマンホールの上を、あるいは道庁の噴水がつくった水たまりを、踏みしめていく。同時にこの映像には、山内の光州滞在中での思考や感覚のなかから湧いてきた言葉のうち、ランダムに選ばれた50の単語による即興詩が日韓英3言語で朗読され響いている。すると「足」が語り始め、観客である私たちにまで問いかける──「では、あなたはどこにいるのか?」と。

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 いっぽう、もうひとつの映像では、初めは抽象的に見えた水しぶきが、抗争の中心地となった噴水台から発せられたものだということに気づく。勢いよく吹き上がる水は、巨大な「権力」「暴力」を、空を舞い小さく零れ落ちる水しぶきは散っていった「民衆の生のかけら」を暗示しているかのようだ。さらに闘争の場を見据えてきた歴史の証人のような建造物(旧全南道庁や全日ビル等)が時折、水しぶきの隙間に見え隠れする。表向きの歴史の陰で声にならない声が無数の飛沫となって観る者に迫りくる。それを人々は「恨(ハン)」と言うのかもしれない。

 自身の祖父母が植民者として釜山に暮らした経験を映像化した《信号波》を制作したこともある山内は、今度は光州に4回に分けて滞在し、「自分自身の解放」を企てたという。すなわち、自分をいったん「明け渡し」、光州と対峙し、「ともに分かち合う」ことを自らに課したのである。

 かつて、光州抗争の5月22日〜27日の5日間、市民たちは驚くべき市民共同体をつくり上げた。このとき市民軍に握り飯を差し入れた女性たちや、被害を受けた家族たちのつながりをいまも引き継ぐ「五月オモニ(母)の家」(*7)や光州楊林教会にも、山内は通った。その行為は、暴力で血まみれになった暗闇が「血と飯の共同体」を生む「光の都市」に変貌した瞬間に立とうとする表現者の「意志」でもある。こうして山内は自らが「器」となって、「明け渡し続け、そして、受け渡していける」(*8)ように、「命の強さが光る」この地をひたすら歩き表現しきった。 

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