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2023.12.24

分断と境界──「脱北者アーティスト」ソンムの試みと韓国現代美術のいま

朝鮮民主主義人民共和国を脱出し、韓国または中国など近隣国家に滞留する、「脱北者」と呼ばれる人たち。そんな「脱北者」アーティストのひとり「ソンム(Sun Mu)」が今年、ソウル、ベルリン、済州島の3ヶ所で開催した個展を追いながら、それをとりまく韓国美術の様相を探る。

文=古川美佳(朝鮮美術文化研究)

今年10月24日〜11月9日に韓国・済州島で開催されたソンムの個展「境界のなかで」の展示風景より、ソンム(左から2番目)が済州MBC放送のインタビューを受けている様子 2023 提供=ソンム
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 朝鮮半島を分断する北緯38度線を越え、「線を無くす」ことを夢見るようになったひとりのアーティストがいる。北から南に来た彼は、やがて「分断の鉄条網(休戦線)がなくなってほしい」という願いを「夢」のままではなく「実現」させるために、「ソンム=線無(Sun Mu)」と名乗り、表現を始める。人は彼を「脱北者」アーティストと呼ぶ。だが、ソンムは祖国──朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮または北)の服をいったん脱ぎはしたが、その身体と心には「赤い水(イデオロギー)」が沈潜し、その水で培われた美学を捨ててはいない。むしろ朝鮮半島の現実を見据えながら、南の韓国という場で、身から沸き立つ北の美意識を変容させ、独創的に表出している。そんな分断の「異端者」ソンムの昨今の活動と、それをとりまく韓国美術の様相を見つめてみよう。

「線無」への道のり

 1972年に北朝鮮の黄海道に生まれたソンムは、1980年代に金日成(キム・イルソン)主席が絵を描く子供たちを励ます様子をテレビで見て、画家になることを心に決めたという。1990年代後半、北朝鮮では「苦難の行軍」と言われた食糧難の時期、地方の美大生だったソンムは1998年に中国の親戚を頼って豆満江を渡った。家族を助け、食べるため、生きるために。その後、中国・ラオス・タイを経て必死で生き延び、2002年に韓国に入る。脱北者を受け入れ韓国での定着を支援する機関「ハナ院」で教育を受けたのち、美術への志を捨てられず弘益大学絵画科へ入学、同大学院を卒業した。

 ちなみに韓国では元来、北から南に来た者を「越南者」と言い、朝鮮戦争停戦後は「北韓離脱住民」、その略語が「脱北者」だった。1990年代以降、北朝鮮の経済難による食糧難や政治的理由から居住地を脱出し中国など近隣国家に滞留した人々を、「脱北者」と呼ぶようになった(*1)。だが、北はソンムにとってかけがえのない故郷であり、南の韓国に生きようとも地続きになった自分の分身とも言える場だ。だからこそ北に残した家族を配慮し、いまも公には顔も本名も隠し活動する。 

2008年の釜山ビエンナーレ特別展に出品予定だったが、開幕直前に撤去されたソンム《金正日》(2008) 写真=チョ・ヨンハ

 ソンムの初個展は2008年。金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)にアディダスとナイキのトレーニングウェアを着せ、パロディ化した作品《金正日》(2008)で観客の度肝を抜いた。北では「太陽」として崇められた神聖なる指導者たちは、南ではソンムの手によって、資本主義のイメージまでも付与されながら痛烈に描写される。そうしたソンムの作品は、民主化された韓国といえども「不穏な作品」と見なされ、時に検閲や作品撤去の対象にもなった。「国家保安法」が作動し、分断の頸木(くびき)は南北どちらにいてもつきまとう。自身の表現と存在そのものが、いまだに南の人々に潜在的な「恐怖」や「不安」を呼び起こし、それによって自らに跳ね返ってくる“飛び火”をくらいながら、それでもソンムは韓国をはじめニューヨーク、北京(ただし在中北朝鮮大使館の圧力により中国公安当局が展示場を封鎖)、ドイツなどで作品を発表している。今年6月にはソウル、続く9月にはベルリンで、そして11月には韓国最南端の済州島での個展を終えたばかりだ。 

ソウル、ベルリン、済州島──「境界で」「北と向き合う」、そして「境界のなかで」