アマチユア、ソシエテ、フイルム
「ソシエテ・イルフ」は、高橋渡、久野久、許斐儀一郎、田中善徳、吉崎一人ら写真愛好家と、のちにデザイナーとして知られる小池岩太郎、そして画家である伊藤研之によって結成された前衛美術グループである。彼らは、1930年代から40年代にかけて福岡を拠点として活動を展開した。本展はじつに34年ぶりの回顧展となる。展覧会は会場構成からカタログにいたるまで細部にわたって丹念に編まれており、「[前回の回顧展が行われた]1987年の2/3程度にまで資料の散逸が進んでいる(*1)」現状に歯止めをかけようとする気迫に満ちている。と同時に、展覧会は、彼らとは別なる「非常事態」を生きる鑑賞者にも届くよう腐心している(私たちのことだ)。ところで展覧会を編むこれらの動機とその達成には、次のような問いが通底している。はたして、アマチュアという不安定な主体は、どのように定着させることができるのか。
本展では、高橋たちは一貫して写真家ではなく写真愛好家と呼ばれる(これはたとえば90年に開催された『日本のシュールリアリスム 1925〜1945』では臆面もなく「写真家」と記されているのと明瞭に対比をなしている)。そう彼らを呼ぶことは彼らの実践をプロではないと貶めるものではなく、むしろ彼ら固有の実践を前景化させるためにほかならない。では写真愛好家の、アマチュアの実践の記録はどのように可能だろうか。
展覧会は、什器に水平に置かれた雑誌や写真アルバムから始まり、次第に額装され垂直に、そして鑑賞に適した余白をとって壁掛けされた写真(と絵画)へと移っていく。背景資料から実際の作品へという鑑賞者に配慮した順序である。だが企画者は、たとえば次のような事態を十分に自覚している。
30年代の美術の展示空間が、サロン的なものから鑑賞者と対峙する批評実践の場へと次第にその機能を変化させつつあったとしても、前衛写真家たちにとっての作品とは、いまだ月例会で近所の喫茶店に持ち寄って互いに講評し合うプリントであると同時に、『フォトタイムス』や『カメラクラブ』といった写真雑誌の誌面に印刷され流通するイメージそのものであった。(*2)
当時の写真愛好家たちの制作や鑑賞において中心にあったのは、本展後半のような「展示」実践ではない。むしろ展示前半の雑誌(自身の写真が掲載された箇所に赤線が引かれている)や、個人的な写真アルバム、あるいはカフェに集って「手元で作品を見せ合って制作上のアイデアを共有」(*3)することこそが中心であった。したがって本展前半部分は、たんなる資料展ではなく彼らの写真実践のフィールドそのものである。
また本展では、ソシエテ・イルフの活動の重要な一部に同人誌の発行や山下清ら「特異児童作品絵画展」の福岡巡回の実現があったことも示されている。若山満大が指摘するように「地元の名士や旦那衆、サラリーマンや教師といった新中間層で構成されたアマチュア写真団体は、それ自体が社交の場として機能していた。また、新中間層=伝統的共同体から切り離されて都市部で労働する個人にとって、団体への帰属は地縁を補強する一手段たりえた」(*4) 。「ソシエテ」とは、まさにこのような意味において命名されている。探究のネットワークと社交の場。小池がイルフの面々を「暇人たち」(*5)と自ら呼ぶのは、あながち謙遜でもなく、ある程度は正直で等身大な表現であるのだろう。こうして二重に、展示会場からソシエテ・イルフは逃亡する。アマチュアたる写真愛好家の実践は、確固たるアーティスト像には対応しないし、その実践の多くは狭義の作品として持続しない。
翻ってカタログを見やれば、そこにあるのは、逃亡するイルフににじり寄っていった痕跡である。イルフの「ソシエテ」性は、カタログ内でいかんなく分析されている(手帳のような装丁も心憎い)。イルフが狭義の芸術写真にとどまらない関心を示していたこともうかがえるが、いっぽうで、彼らのアマチュア性を無闇に称揚するのではない慎重な姿勢も徹底している。クローズドな座談会において不在の批判者を茶化す態度や、戦時体制に迎合する曖昧な姿勢も記述される。
会場の、資料部分から作品部分へと切り替わるような場所に、2枚の写真が横並びで展示されている。《イルフ逃亡》。2枚あることで、少なくとも一度、彼らは逃亡後に集まりなおし、また離散したということがわかる。映し出されているのは、一回きりの絶対的な逃亡ではない。カメラから逃れようとしているのでもない(彼らは映りたがっている)。もちろんこれをシャッターを押す瞬間にいっせいにジャンプした集合写真のようなものとしてとらえることも可能だ。「古い(フルイ)」を逆から読んだくらいで、「新しさ」には反転=到達しない。だがずっと見てしまえる魅力を持つ写真である。この写真のあと、本展は、1点1点が額装され、自立したプリントが並んでいくこととなる。写真愛好家というアマチュアの不安定な主体を展覧会に定着させるために、彼らを今日におけるアーティスト像へと引き上げ重ねるのでもなく、すべてを「資料展」化させるのでもない道を本展は意図的に選択している。撮影者の言葉や当時の受容形式から幾分離れてでも、写真に写ってしまっているもの、残ってしまっているものたちの側からソシエテ・イルフをたどりなおすこと。イルフはフイルムの4字のなかにバラバラに見出される。
*1──忠あゆみ「ソシエテ・イルフの足取りを辿る」『ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画』(福岡市美術館、2021)、9頁
*2──「写真がオブジェをつくる」副田一穂評「坂田稔-『造型写真』の行方」展 https://bijutsutecho.com/magazine/review/19278(最終閲覧日:2021年3月10日)
*3──忠あゆみ「ソシエテ・イルフの足取りを辿る」『ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画』、11頁
*4──若山満大「曖昧、不全、断章についての覚書」、《写真的曖昧》展ウェブサイトより http://blurinphoto.com/ (最終閲覧日:2021年3月10日)
*5──小池岩太郎「イルフの思い出」『ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画』、30頁