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展示空間で「私」を存続できるか。 佐原しおり評 関優花「私をばらばらに説明する」

長時間にわたり、ある身体的な行為を繰り返すパフォーマンスを展開してきた関優花。その個展「私をばらばらに説明する」が、約2年ぶりの再始動となるノマドギャラリー「ナオナカムラ」で開催された。展示空間内において、「私」という個人を「女性」「パフォーマー」「アーティスト」といった単純な属性にカテゴライズされず表現することは可能だろうか。本展を埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。

文=佐原しおり

展示風景より 写真=前田ユキ

「関係」を解きほぐす

 2020年11月に5日間の会期で開催された「私をばらばらに説明する」は、関優花にとって2度目の個展である。関は15年に大学に進学、並行して美学校において美術家・松田修が講師を務める「外道ノスゝメ」を受講する。17年頃から本格的に作品制作を始め、18年にはナオナカムラで初個展「うまく話せなくなる」を開催。また同年、Chim↑Pomによる企画「にんげんレストラン」でパフォーマンスを行うなど、瞬く間に活動の幅を広げていった。

 日の出から日没まで太陽に向かって走り続ける《太陽まで走る》(2017)や、巨大なチョコレートの塊を、自分の身体と同じ重さになるまで舐め、かじり続ける《≒》(2017)など、これまでの作品には、膨大な反復作業によって自身の実存をたしかめるような特徴が見られた。いずれも関が動き続ける行為によって作品が成立しており、コンセプチュアルでありながら、身体的な負荷が大きい。このような作品のあり方に、1960年代から70年代に興隆したボディ・アートやビデオ・アートとの類似性を読み取ることも可能だろう。

 初個展が開かれた18年から、この個展が開かれるまでのあいだに、関にとって大きな転機があったことに触れておきたい。彼女は19年に身体に不調をきたし、休養した期間があった。痛みで歩くことすらままならない状態は、たんなる「病気」という経験に留まらず、関自身の表現の根幹を揺るがした。身体を動かし続ける行為は、作品のなかで一定の時間を「生きる」ことでもあり、彼女にとって総体的な世界を切り取る唯一の方法論であったはずである。関は、病という突然降りかかる要因によって、強靭な身体を前提とした表現言語が一瞬にして壊落してしまう可能性に思い至ったのである。

 さらに、関の友人であり、早い時期からその制作に伴走してきたギャラリスト・中村奈央の存在は、この課題をより普遍的なものにしている。12年にナオナカムラを立ち上げた中村は、これまで若手作家たちと協働し、多くの企画を手がけてきた。18年に妊娠、出産を経験した中村は、その後約2年間にわたりギャラリストとしての活動を休止していた。関は今回の個展を中村との「共同制作」として位置付け、中村とその子供を展覧会に導き入れることで、新たなスタート地点に立とうとしている。

 会場の入口付近には、ステートメントを刻んだ銅版とその版画(版画では文字が反転している)が展示されており、その裏側では関の代表作《太陽まで走る》の記録映像が流れている。しかしながら会場内で何よりも目を引くのは、床に敷かれたマットレスに座る中村と1歳の子供、彼らを見守るように佇む関の姿である。関はこの行為を「奈央さんと一緒にいる」と名付け、この3人は5日間の会期中14時〜20時まで会場内に滞在していた。

展示風景より、ステートメントが刻まれた銅版とその版画 写真=前田ユキ
展示風景より、左から中村奈央、中村の子供、関優花 写真=前田ユキ

 多くのアーティストが制作を続け、展覧会の場を足掛かりとしながらキャリアを築いている。いっぽうで、制作を続ける意志があったとしても、人生における様々な不確定要素によって、活動の継続が難しいことがある。病による自身の断絶、そして友人の出産、育児を目の前にした関は、それでも、続けるための方法を手探りで探っている。会場では、中村のパートナーであり、アーティストの石井陽平の作品《あなたの未来へ届きますように》(2015)が、ベビーフェンスの奥に投影されていた。中村と同じく、石井もアーティストとしての仕事を中断している。

 これは、一般的な「アーティスト像」──それぞれが具体的な「生」を抱えながらも一貫した制作を続け、なおかつ展示空間において、ある種抽象的な存在として君臨すること──への関の反対表明でもある。行為の反復によって、抽象化された身体を目指すのでもなく、「女性」としてジェンダー不均衡を訴えるのでもない。現実に生き、生活する主体と、展示空間という漂白された場との狭間で生じる軋轢を、まずはとらえるところから、この展示は始まっているのかもしれない。

 会場の3人の様子はカメラで撮影されており、ハンドアウトにはその行為が会期中随時記録されていく。この記録を見てみると「お昼寝を見守る」「おむつを変える」「泣いている背中をさする」など、中村の子供の世話が中心となっているが、「展覧会の開催頻度について話す」「鑑賞の仕方について話す」など、互いの仕事に関する会話もしていることがわかる。また同時に、「体の柔らかさについて話す」「高校生のころを思い出す」など、友人同士のような会話の記録も残されている。関と中村はパフォーマーとして存在しているわけではなく、来場者とも会話を交わしており、1歳の子供は元気に会場を走り回ったりもする。

展示風景より、石井陽平《あなたの未来へ届きますように》(2015)

 この会場では、来場者を含むすべての人の立場がとめどなく変容していく。関と中村は、共同企画者であり、アーティストとギャラリストであり、友人同士である。また来場者も、純粋な鑑賞者として存在し続けることは難しい。反転して見づらいステートメントを読み、映像を見る最中に、足もとに駆け寄る子供の相手をしたり、それをきっかけに子供の母である中村と会話をしたりするのだ。ここでは、関や中村、子供とのコミュニケーションのなかで鑑賞者のプライベートな顔が覗くことになる。

 ガンを患い急逝した哲学者・宮野真生子は「患者」という立場から、他者とのコミュニケーションについて、次のように語っている。

 整った、遊びのない言葉たち。会話のはずなのに、書き言葉にどんどん近づいてゆくのが、病気についての語りです。その語りは一貫性を持ち、余分なものを含んでいませんので、当然ほとんど動きがありません。つまり、話題の転換がありません。結果的に会話のなかで、私は一〇〇パーセント患者として語ることになり、聞き手側は非患者という役割に固定されることになります。それは同じ平面で言葉を手放し受け取るキャッチボールというよりも、決まった役割のなかで(しかも患者とそれ以外という圧倒的に不均衡な役割配分のなかで)ボールをしっかり手に握ったまま間違えないように相手に渡すだけの行為です。(*1)

 病気、育児、介護の当事者たちは、一般的に「ケアされる」対象として他者と出会うことになる。「一日も早いご回復をお祈りいたします」「お身体に気をつけて」、当事者の気分を害することがないように、当たり障りのないコミュニケーションを続けることで、お互いの立場は固定されてしまう。宮野は、思いつきや連想によって随時話題が変換され、会話が続く状態になって初めて、「患者という役割だけに囚われずに話すことができる」と述べている(*2)。

 展覧会において、アーティストと鑑賞者の関係は固定的だ。また、鑑賞者の導線を読み切った一貫性のある展示は、作品のクオリティーを左右する重要な要素でもある。しかし、双方の役割を撹拌し、本来多面的なものとして存在する自己、そして他者のあり方を引き出す関優花の展示手法は、荒削りながらも展覧会における新たなコミュニケーションの可能性を示していた。

 今回の個展は、関にとって自身の再出発点であると同時に、友人であり、理解者である中村への最大限のエールでもあったはずである。「ばらばらに」提示されたプライベートな欠片は、ボディ・アートでも、フェミニズム・アートでも、「参加型」アートでもない方法で、前人未踏の課題に直球勝負で挑む彼女の決意を伝えていた。

展示風景 写真=前田ユキ
展示風景より、左から中村奈央、中村の子供、関優花 写真=前田ユキ

*1──宮野真生子、磯野真穂『急に具合が悪くなる』(2019、晶文社)、136頁
*2──前掲書、139頁

編集部

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