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2018.11.27

両者に共通する闇。清水穣評 リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展とウィリアム・ケントリッジ演出オペラ『魔笛』

原美術館で開催中のリー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展と、新国立劇場で行われたウィリアム・ケントリッジ演出オペラ『魔笛』を清水穣がレビュー。双方で使用されるプロジェクション技術が投影する「闇」とは。

文=清水穣

リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts
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月評第119回 傷口を開く

 様々なジャンルで用いられるプロジェクション・マッピングは、近年ますます洗練されてきているが、その洗練によって、人々をいわば魔法にかけ異次元に連れ去る技ばかり巧みになった反面、プロジェクション本来の衝撃を失っているように見える。その衝撃とは、異化作用である。プロジェクションとは、Aの上にB(C、D…)という映像を投影することで、Aのアイデンティティを分解し多重化することであって、いわば封じ込められていた背後霊、文身、聖痕を浮かび上がらせ、従来のAに固有の闇を重ねることである。そのAが、例えば原美術館でありモーツァルトの『魔笛』であった。両者に共通する闇とは植民地主義である。

密やかな告発を内包するリー・キット展

 かつて篠山紀信が原美術館で個展を開いたとき、私は非常に期待し、そして失望したことがある(『美術手帖』本欄2016年11月号)。篠山は、日本芸能界というワシントンハイツ直系の環境(ジャニーズ、アイドル、ハーフ信仰)を明るい鏡として、戦後日本の空虚に応じえた──「もっと繊細だった」──写真家であった。空虚とは、敗戦によって米軍の植民地と化し「あるがまま」を奪われた日本社会の「リアリティのなさ」のことである。

 周知のように、原美術館のような戦前からの日本の上流階級が所有する洋風建築の多くは、占領下にGHQに接収された過去を持つ。洋風の舞台で白人を演じていた上流日本人は、階級的に下の「本当の白人」に文字通り土足で踏み込まれて追い出された。そこには敗戦という暴力的で屈辱的なトラウマが刻まれており、同じ「リアリティのなさ」を共有している。だが篠山紀信はもはや繊細ではなかった。いつからか、彼の明るい写真は「闇」を写すことをやめていた。

 英領時代の香港に生まれ、日本の旧植民地の都市、台北を拠点とするリー・キットは、芸術表現におけるフレームという言葉の多義性を、プロジェクションの異化作用と結びつけて多彩に展開する作家である。今展は、原美術館という会場そのものを主題に、ミニマムな素材と空間構成だけで全館を使い切る、優れたインスタレーションとなった。

リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts

 プロジェクションそのもののつくりはシンプルだが、フレームの寸法と、観客が壁に投げかける影の位置は計算されている。映像は実際の原美術館の空間や物体を反復し、実物と映像が混じり合う。ある部屋の窓と窓外の風景を、その建築的な寸法まで合わせて映像でプロジェクションした上に、「僕らは殺し合ってる。青白い影のなかで僕らは家を作る。でも僕の手はそのカップに届かない」という字幕が流れ、窓際に置かれたカップには「Full of joy」と書いてある。プロジェクションされる最低限の言葉と映像が、原美術館の過ぎ去らない闇(「心の奥底で、君は決してそれを手放さない」)を、戦後日本の明るい偽善(「編集された人生」)を、そして相変わらずその延長線上にいる我々の精神の分裂(「Hello, Hey, I am sorry. But I am happy.」)を、浮かび上がらせるのである。

 字幕が当然のように英語であるのはアートワールドの事実上の共通語であるからだが、穿った見方をすれば、その一部である美術館という空間が英語圏植民地でもあるからだ。つまり全体のつくりは、日本人がかつての住居(原美術館)に帰ってきたら、そこは美術館=英語圏植民地になっていて、忘れていた古傷が疼くという演出になっているわけである。これほど静かな告発はそうないだろう。​

リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts

​ケントリッジの『魔笛』が映し出す光と闇

 今シーズンから新国立劇場のディレクターが大野和士に変わり、プログラムがひときわ充実している。現代美術とのつながりでは、ウィリアム・ケントリッジの演出によるモーツァルトの『魔笛』を日本で初公演したこともその一端である。プロジェクション・マッピングを利用したこの2005年の演出は、すでにDVDになっているほどに有名だが、今回の日本公演、というか主役級の数名が白人でそれ以外の歌手が全員非白人であるような公演を体験すると、この優れた演出にはそれゆえの副作用があることがわかる。端的に言って、これほど感情移入できない『魔笛』は初めてだった。万人に愛されるはずの美しいオペラが、様々なレベルで軋むのである。

オペラ『魔笛』(新国立劇場)より 撮影=寺司正彦 写真提供=新国立劇場

 『魔笛』は、天才モーツァルトがその人生の最後に心血を注いだ作品にふさわしく、多層的で深いオペラである。台本を担当したシカネーダーは、「魔法」「エキゾチシズム」「囚われの女性を救出」といった当時の流行をコラージュして物語の大枠をつくったが、そのコラージュ性は音楽にも表れ、モーツァルトに強い印象を残してきた自他の音楽の断片が数多く引用されている。序曲のフーガのテーマはクレメンティのソナタに由来し、パパゲーノの有名なアリア「可愛い彼女か女房がいれば」はスカンデッロのコラールに遡り、さらにはその冒頭の音型が、革命歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をなぞっている……等々。『魔笛』は、モーツァルトの生の走馬燈であり自叙伝でもあるのだ。そして多彩なコラージュのすべてを、モーツァルトは普遍的な啓蒙主義の理想で裏打ちした。モーツァルトは啓蒙の光と人類愛を信じて封建社会と戦い、道半ばで倒れたのであった。

オペラ『魔笛』(新国立劇場)より 撮影=寺司正彦 写真提供=新国立劇場

 ケントリッジの演出は、まさにその啓蒙の光と人類愛(「白人の使命」)のもたらした闇──植民地主義──を、幻灯機のように写し重ねるものである。紙幅が尽きてきたので、先に口にした「軋み」についてのみ述べよう。まず、あまりにも有名な『魔笛』ゆえに、ほぼすべての歌手にはどうしても因習的な演技や唱法が身についているが、そのすべてがこの演出に合わない。次に、演出が白人の啓蒙的理性の光による植民地支配という枠を持つ以上、自動的に、白人歌手と非白人歌手はその枠組みにおいて現れる。19世紀の衣装を着てドイツ語のオペラを歌う日本人歌手たちは、まるで、日本を植民地化したザラストロ元帥を主賓に迎えた、鹿鳴館の華族のようだ。この演出は、非欧米圏での「オペラ」公演そのものを戯画化するという副作用を持つのである。

オペラ『魔笛』(新国立劇場)より 撮影=寺司正彦 写真提供=新国立劇場

 さらに、演出家としてケントリッジは、台本の演出に終始し、音楽スコアを演出できていないのではないか。オペラとは台本と音楽の二重語りであって、台本の下に、音楽のレベルで伏線や照応や歌詞への裏切りが潜ませてあることは珍しくない。モーツァルトはケントリッジに反論できないが、モーツァルトの音楽は反論している。例えば、『魔笛』中に張り巡らされた変ホ長調(フリーメイソンの聖数3により♭3つ)を軸とする調性関係の意味──♭系はモーツアルトが理想とする愛の世界、♯系は世俗的な恋愛や盲愛の世界──において、ザラストロの「殿堂のアリア」はホ長調に置かれ、歌詞が殿堂の教訓と人間愛(変ホ長調に相応しい内容)を歌い上げる反面で、音楽は人間ザラストロのパミーナへの想いを露わにする。

 あるいはまた、教団の奴隷頭(!)モノスタトスがパミーナに愛を告白するアリアには、光の調性──ジュピターの調性!──「ハ長調」と、魔笛の中心的な楽器である「フルート」が与えられ、14歳のモーツァルトに強い印象を残したミスリヴェチェクのオペラセリア『デモフォンテ』の旋律が引用されている。モーツァルトの音楽的な人物造形は、決して、啓蒙の光と闇といった結構に収まらない。フリーメイソンの啓蒙主義は『魔笛』の本質ではなく、モーツァルトはザラストロも彼の教団も信じていないのである。

(『美術手帖』2018年12月号「REVIEWS」より)