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2018.12.3

すさまじく変化する東京と、その先の石棺。椹木野衣評 花代展「何じょう物じゃ-あんにゃもんにゃ-」展

オリンピックに向けての再開発が急ピッチで進められる東京。アーティストであり、芸妓、ミュージシャン、モデルとしても活動する花代が、新国立競技場の建設現場を望む会場「STUDIO STAFF ONLY」の環境に興味を持ち、その場を反映した作品を制作した。そして、代替わりをしながら神宮外苑に存在してきたという「なんじゃもんじゃの木」がタイトルの着想元となった、花代の個展「何じょう物じゃ-あんにゃもんにゃ-」展を椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

花代展「何じょう物じゃーあんにゃもんにゃー」のための写真。展示会場から新国立競技場を臨む(2018年)
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月評第120回 なんじゃもんじゃの写真 

のいさんへ お元気ですか やっと涼しくなりましたね 展覧会 残すところ今日と22日です 工事の恐ろしい景色が見れます よかったら見にいらしてください

 花代からこんなメールが届いたのは、9月も二百十日をとっくに過ぎた頃のことだった。展覧会のタイトルは、江戸青山六道の辻(現在の明治神宮外苑内)の人家に立つ一本の木から取られている。明治神宮のサイトによると、かつて時の将軍がこれを見て「あれは何の木か」と尋ねたところ、水戸光圀(水戸黄門)が返事に窮して、とっさに「何じょう物じゃ」と返して凌いだことに由来するという。

 おそらくは「何がしかでしょう」という答えを、とっさに固有名詞化したということなのだろう。「あんにゃもんにゃ」とも呼ぶところを見ると、さらにこれを「ムニャムニャ」と濁したのかもしれない。もっとも、もとは名無しの木であったにもかかわらず、いまではよく知られる木となり、代替わりこそしているものの、場所も特定されている。

 しかし、歴史的な由来はひとまず置く。大事なのは、それが江戸時代から外苑を長く生き抜いてきた名無しの木たちを指すということだ。言い換えれば、外苑に生えている木はどれもみな「何がしかの木」という意味では「何じょう物じゃ」の木に違いない。会場は外苑を望む隣地の雑居ビルの一室にあり、本来であればそれらの木々に取りついたセミの大合唱がうるさいくらいのはずだった。ところがこの夏、セミは鳴かなかった。新国立競技場の建設予定地に立つ1500本以上の木が伐採されてしまったからだ。

 花代は、新たな五輪のため地縁を失い、本当に「何じょう物じゃ(無縁)」になってしまったこれらの木と、その根元で何年も眠り、日の目を見て合唱する時を待っていた大量のセミたちを供養するため、この展覧会を開いた。会期中には建設現場を目の当たりにする屋上も備えた会場にお月見団子を置き、最終日には来場者が粘土をこねてつくった土偶を焼いて木や虫の供養をしたという。

展示風景(蝉のお弔い)

 実際、それは恐ろしい景色だった。建設現場に仮設壁一枚で面する路地から階段を上って会場に足を踏み入れると、目前に新国立競技場やそれに併せて建設中の高層ビルの様子が、まるでパノラマのように広がり、オモチャのような重機が休みなく動いて土地を方々で穴開きにしている。

 ここに地面はない。地面のように見えるのは、空洞の地下に蓋をした巨大な暗渠にすぎない。そこは人工地盤となり、緑地計画に基づく公園になるという。だが、この人工地盤は大地との水循環が遮断されており(=暗渠)、神宮の森の生態系を踏まえたものではまったくない。一部については移植が検討されているというが、建築構造物の寿命と比較しても森の寿命ははるかに長く、人工地盤ではこれを維持、成長させることはできない。これについては、すでに2015年に日本学術会議が改善のための異例の提言を行っている

左─花代展「何じょう物じゃーあんにゃもんにゃー」のための写真。神宮外苑付近(2018年)
右─展示風景。来場者と共同制作した土偶、最終日に会場の屋上で焼成をするパフォーマンスを行った

 私は、花代がみずからの写真を使って飾りつけた部屋から眺める大規模な生態系破壊の様子を見て、率直に言って、これはただでは済むまい、と感じた。さしたる根拠があるわけではないが、極めて強くそう感じた。人にはやっていいことと、やってはいけないことがあるはずだ。それがいま、よくわからなくなっている。その象徴のように思えたのだ。

私が半玉さんをしながら地下アイドルのようなことをしていた頃 今よりも稼ぎがあって神宮前に住んでいた 家の前には大きな桜の木があって 杵屋の三味線の師匠が 大家さんの集合住宅だった ある時点子がみたいというので行ってみると家は半分になっていた 先日たまたま通ったら家も桜の木も無くなっていた (同名、同時刊行の450部限定書籍より)

 いまの東京の景観の変化はすさまじい。むろん、過去にも関東大震災、東京大空襲、高度経済成長、東京五輪、バブル経済を通じて、東京は絶えず変化してきた。しかし、それらにも増して現在、東京で進行している物理的な変貌が不穏なのは、震災や戦争からの復興や経済成長、空前の好況といった背景を、なんら有していないからだ。言い換えれば、たったいま壊されつつあるのは、これらの一大変化を通じてもなお残されてきたものであり、それらが壊されずにいままで伝えられたのは、それ相応の理由があるからなはずだった。それがなんの遠慮もなく壊されている。

花代展「何じょう物じゃーあんにゃもんにゃー」のための写真。展示会場からの工事風景(2018年)

 もともと花代の写真が「あんにゃもんにゃ」の写真だった。それはいつ撮られたのかも、何を撮ったのかもよくわからず、にもかかわらず、ただ、過去の痕跡としてそこにあり続けた。あんにゃもんにゃの木が一本残らず姿を消した風景を背に、花代の写真は、まるで、いまではもう亡霊のようになってしまったあんにゃもんにゃの木たちの曖昧な存在の仕方を取り戻すように壁に貼られている。

左─展示風景(コラージュ、蝉の抜け殻)
右─展示風景(コラージュ)

 床に散らばるのは、セミの抜け殻だ。この地のセミの幼虫たちは土と一緒に掘り起こされ、中身が詰まったまま死んでいったのだろう。だから、抜け殻はこの土地のものではない。しかし、抜け殻はまるで暗渠のように空洞を外殻だけで支え、セミの幼虫の形をそのまま保存している。そのあり方はまるで花代の写真のようでもあり、人工地盤のようでもあり、さらに言えばあんにゃもんにゃの木の無名性のようでもある。かすかに聞こえてくるのは、あらかじめ録音された、セミの鳴き声を模した花代自身の泣き声だ。もしも殻を脱してこの地のあんにゃもんにゃの木にうまく取り付けば、聞こえていたかもしれない音が、どこからか細く聞こえてくる。しかしそれは永遠に失われた。

 神宮に神はいるのか (同前)

 ふと、この景色が原発の建設現場と重なって見えた。そんなに安全なら東京に原発をつくればいいじゃないか、という声をいまでもたまに耳にする。安全ならばそうすればいい、と思った。しかし実際には無理だろう、とも感じた。しかし、いまここに建てられているものは、それを建てることを口実に地元にお金を落とし、無理やり経済を活性化しようとする点では、原発によく似ている。長期的な持続可能性を無視している点でもそっくりだ。いつの日か、手の施しようがなくなった新国立競技場は「石棺」にされるしかなくなるかもしれない。はたして石棺の壁にセミたちは取り付いてくれるだろうか。

(『美術手帖』2018年12月号「REVIEWS」より)