椹木野衣 月評第115回 ルー・ヤン展「電磁脳神教―Electromagnetic Brainology」 憤怒と炎上
ルー・ヤンの作品は、過去に日本で少なくとも2度、「炎上」を起こしている。中国出身なら炎上よりも検閲が話題になりそうなところだが、そうでないところにこのアーティストの特徴がある。
ひとつは2011年に福岡アジア美術館で展示された《復活! カエルゾンビ水中バレエ!》、もうひとつはネットにアップロードされ『新世紀エヴァンゲリオン』をモチーフにした《The Beast-Tributesto Neon Genesis Evangelion》(2012)だ。ただし炎上の様相は異なる。前者は「死んだカエルの下半身を電流で刺激して、そのカエルが踊っているかのように見せる(*1)」作品で、悪評の理由は行数節約のため省略する。後者については「『Yahoo ! JAPAN』の検索ランキングで2週連続1位」となり、「最もアクセスがあった地域は日本」であったにもかかわらず、「日本語が読める友達に『何が書いてある?』と聞きましたが、友達から『知らないほうがいい』と言われ(*2)」たという。こちらも理由は省いてよいだろう。
これらの「前歴」に比して、本展の評判はたいへん芳しい。ではルー・ヤンが作品のモチーフを大きく変えたかというと、そういうことはない。解剖学的な執拗さも、日本のサブカルチャーの援用も、そのままといえばそのままである。だが、今回の展示から受ける印象が、先に挙げた二つの初期作品と大きく違っているのも事実だ。
じつはこの一貫性と落差のあいだに、本展で見るべきものもある。決して、「科学、生物学、宗教、大衆文化、サブカルチャー、音楽など、さまざまなテーマを主題とし、映像やインスタレーション、デジタルペイントを組み合わせ」(展覧会プロフィールより)ることにあるわけではない。だが、展示が好評であったのは、おおむねその通りの理由からだろう。そう考えなければおかしい。
なぜなら《陸揚妄想曼陀羅》(2015)のように、ルー・ヤン自身が無性別のキャラクターとなり、「脳外科用の定位器具を利用した反復経頭蓋磁気刺激法を参考にしながら」、「自らの体を魔術で幾通りにも痛めつけ、自身の肉体の反応を見ようと試み」(いずれも作品解説より)てみせる様は「悪趣味」そのものとも言えるからだ。だが、彼女の痛みは私の痛みではない。
このように、彼女の表現が投げかける最大の問いは、脳内の電気信号にすぎない生理現象が、なぜ本人の体において生々しい「痛み」として経験されるのかという心身二元論の矛盾である(初期作ではこれが合成画像ではなく観察記録映像として使われていた)。このうち「脳内の電気信号」がキャラクターとして、「生々しい痛み」が生理学的実験として分離したまま作品中に共存しているのだ。さらには、「一」に統合できないこの不整合が、今回ではとりわけヒンドゥー教のような多神教へと活かされる。
ルー・ヤンは本展で、私が「もしかしたらいつかこんなアーティストが出てくるのではないか」と漠然と感じていたような世界観を実現している。だが、それが表現の自由を保障され、宗教についても雑然と摂取してきた日本ではなく、厳しく表現が統制されているはずの中国からであった理由については、別の機会に譲るしかない。
*1・2――「東アジア文化都市2017 京都『アジア回廊 現代美術展』アーティストインタビュー」より引用。
(『美術手帖』2018年3月号「REVIEWS 01」より)