椹木野衣 月評第118回 父から子、子から父へ 吉村芳生と吉村大星「365日エンピツ画」展
色鉛筆を使って写真と見紛うほど克明に描かれた吉村芳生による花の絵は、さしあたり近年、美術界でしばしば謳い文句として使われる「超絶技巧」のうちに入るのかもしれない。だが、彼が世を去ったいま改めて見ても、吉村の絵には─とりわけ晩年の絵は─明確にその先を描こうとして格闘した気配がありありとうかがえる。なかでも吉村が描いたうち最大級の作品となる《未知なる世界からの視点》(2010)は、なんの変哲もない川べりの景色をパノラマのようなサイズで描いたもので、なぜか天地を逆にして飾られている。
会場ではもとの構図を確かめるために股から覗いて見ることが勧められていたが、実際にそうして見なくても、パンフレットに印刷された同作を逆さまにすれば、私たちにとってごくごく身近な風景が描かれていることがわかる。しかし天地が反転して飾られることで、タイトルにある通り、私たちが生きるこの世界とは異なる領域への入り口があることを暗示する、不吉な気配に満ちた絵となる。
この不吉さ、というのが本当のところ吉村の絵が持つ最大の特性なのだ。思えば、新聞紙を一字一句違わずそっくりなぞり写したり、金網を何メートルにもわたってそのまま模写した初期作品が、すでに十分に不吉であった。ここで不吉、というのは、そのような対象をなぞり写す理由を私たちがなんら持っていないからだ。新聞はわざわざそうするまでもなく印刷されて世に氾濫しているし、金網にしても欲しければ必要に応じていくらでも買うことができる。そんなものをなぜ神経をすり減らし、根を詰めてまで描く必要があるのだろう。
かつてその理由を吉村は「絶対に誰も描こうとしないものを描いてみたかった」と答えていたが、実のところ、本人にも理由などわかっていなかったのではないか。理由がない行動は指針を欠いている点で無軌道であり、無軌道なものはどこにたどり着くか見当がつかず、ゆえにつねに不安であり、詮じ詰めればやはり不吉だ。その不吉さを覆い隠すものがあるとしたら、それが技巧であったのだろう。技巧さえ伴えば、たとえ新聞紙を描いても金網を描いても人は相応に驚いてくれる。逆に言えば、だからこそ吉村は技巧を必要とした。
つまり、有り余る技巧があるから描く対象がなんでもよかったのではない。まったく無意味なものを描くためには、せめて技巧がなければ不安で不安で仕方がなかったのではないか。私たちが、かつて彼の描いた新聞紙や金網を見て不安になるのは、その技巧を食い破った先に、技巧では覆い隠すことのできない揺るぎない無意味さが透けて見えるからだ。
花ではそういうわけにいかない。花はたとえ雑草であっても人の目を引く。岡本太郎はかつて花を、人に媚びているという理由で嫌ったが、確かに日常生活でも花は人に媚びを売るときに体良く使われている。お祝いに新聞紙や金網を贈られて嬉しい者はいないだろう。だから吉村にとって花を描くことは逆に最初から安全な意味を持たされていた。ではなぜそんな対照的な花を描いたのかと言えば、結局、何を描いても不安で仕方がなかったからだろう。
無意味を描くことの不吉さが結果的に彼の初期作から透けて見えているように、技巧だけでそれを相殺することはできない。としたら、技を尽くして花を描くこと、安心に安心を重ねるような行為ではないだろうか。花を描くか、技を示すか、どちらかでも一定の安心は得られるはずなのだから、技を尽くして花を描くのは保険に保険をかけるようなものだ。しかしそうだとしても安心は確約されるわけではない。いくら保険をかけても不安が消えるわけではないことに、それはよく似ている。むしろ保険をかけるからこそ不安になるのではないか。
そういうわけで初期作とは違い、保険に保険を重ねた吉村の花の絵は、新聞紙や金網の絵とはまた違う意味で不吉になっている。冒頭で触れた絵を逆さまにかけたのは、晩年の吉村がその不吉さと対面する勇気(というよりもむしろ自信)を得たからだろう。この勇気は、具体的には水面を絵の上部で際立たせることで、吉村が絵の中の余白の許容へと歩み寄ったことを示している。遺作と考えていい《無数の輝く生命に捧ぐ》(2011 -13)は東日本大震災の犠牲者たちに寄せられた絵で、村上隆ではないが実質的には吉村による「五百羅漢図」になっていると思う。ここでは余白は描き写された余白ではなく、端的に塗り残されている。こういうことを吉村は、これまでしようとしてこなかった。
つまり、逆さまにかけて構図を逆転させるまでもなく彼はこの絵で余白を受け入れている。言い換えれば、そのままでも天地が反転しているように見えている。絶筆となった《コスモス》(2013)は途中で技巧の執行が絶たれているが、そのことで生まれた余白を偶然と考えることはできない。吉村はこんな絵を潜在的にはいつも目指していたのだ。
その息子にあたる大星との二人展として本展は企画されている。大星は生前の父を間近に見て育ち、いつの頃からか制作を手伝うようになり、いまではその技巧を驚くほど完璧に習得している。親子で絵描きというのは別段珍しくもないだろうが、まったく同じ技法で描くのは美術の世界では稀なことなのではないか。美術の世界では、と断りを入れたのは、それが伝統的な技芸の世界ではありうることだからだ。
つまり大星の絵はオリジナリティという、近代以後の美術でもっとも重要とされてきた特性を最初から放棄している。むろん大星が描くのは新聞紙でも金網でもなければ花でもない。野良猫やカマキリやスーパーカーだ。しかし花が花であるだけで人の目を引くように、猫や虫や車も同じようにわかりやすい画題ではある。では大星はたんに父親と同じ技法でよく似た対象を描き直しているのだろうか。いや、そうではない。なぜなら、吉村ほどではないにせよ、大星の絵にも父親の絵とよく似た無意味さが忍び込んでいるからだ。
しかしそこに不吉さがあるのは、無意味な対象を克明に描くからでも、もとより意味ある対象を過剰に有意味そうに描くからでもない。大星の絵が不吉に見えるのは、文字通り父の絵とまったく同じ技法で絵を描くという、たいていの人なら避けるやり方が、かえって突き詰められているからにほかならない。それが結果的に父の芳生も描いたなんの変哲もないバイク(内燃機関)の絵で結びつくとき、人称が消えて絵だけが残るようだ。
いや、もっとはっきりと言うならば、絵も消えて遺伝子の転写だけが残るかのようだ。
(『美術手帖』2018年8月号より)