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目に見えるものが真実とは限らない? 副田一穂が見た、原田裕規「心霊写真/マツド」展

今年4月、東京・馬喰町での美術家・原田裕規の個展「心霊写真/ニュージャージー」が注目を集めた。その続編である「心霊写真/マツド」が7月から8月上旬にかけて、名古屋にて開催された。誰もが知るモチーフを取り上げ、議論を喚起する作風が特徴の原田による代表的プロジェクトである本展を、愛知県美術館学芸員の副田一穂が考察する。

文=副田一穂

《百年プリント:マツド》の一部

原田裕規「心霊写真/マツド」展 百年の古色 副田一穂 評

 本展は、東京・馬喰町のKanzan Galleryで今年3月に開催された原田裕規「心霊写真/ニュージャージー」の続編にあたる。「心霊写真」と「ニュージャージー」の二部構成をとった東京展に対し、愛知展では後半の撮影場所を変え、「心霊写真」と「マツド」の2部構成をとる。

 個展の構造は明快だ。「心霊写真」は、原田が産廃業者や古物商を通じて収集した一般家庭のスナップ写真のプリントやネガの山と、その中から原田が選び出して額装したり引き伸ばして新たに印刷したりした、数枚の写真からなる。他方、地名を冠した「ニュージャージー」や「マツド」は、原田自身が同地で新撮した風景に人工的な古色をつけ、1980年代中頃のプリントを装ったものである(それは、サクラカラー、のちのコニカが高耐色の印画紙「百年プリント」を大々的に売り出した時期だ)。

展示風景より。「百年プリント」のDPE袋の複製品と黄ばませた写真からなる作品《百年プリント:マツド》

 名も知れぬ人々が撮影したスナップ写真と、アーティストが撮影した芸術写真。一見対称的なこれら2つの作品は、互いの境界線を侵し合いながら、それぞれの領域の自明性を揺るがそうとする。さしあたって本展の構造を簡潔にまとめるならば、このような記述になるだろう。しかしこの構造は、あくまで本展の前提に過ぎない。というのも会場で配布されるハンドアウトに、この構造(ネタバレ)ははっきりと言及されているのだから。ということは、本展の目論見は、その先にある。

 再び本展の、今度はより細部へと目を凝らしてみよう。積み上げられたアルバムを開けど、写真は1枚もない。台紙の日焼け跡や、ところどころに残る日付や被写体、撮影地などを記した小さなシールだけが、そこにあったはずの写真を物語っている。次に傍に積まれたスナップ写真に目を向けると、その中にはある程度の枚数を輪ゴムでまとめて付箋にメモ書きしたものがあることに気付く。「庭園、つまらない」「ふつう 松戸のおじさん」「横長 ふつう」「ふつうの建築現場」「裏側スキャン用」「謎の静物(特別)」「オールオーバー花、人なし(特別)」「心霊写真的な(特別)」等々。それらが写真の分類のためのメモであることは容易に推測できるが、「ふつう」と「特別」な写真を見比べても、さしたる差があるとは思えない。しかも、どうやら我々はこれらの写真の束を好きに崩して組み替えることを許されているらしい。とすると、これらの写真を集めて分類していた人物は、すでに作業を途中で放棄し、再開するつもりがないというのだろうか。

展示風景より。作品ではなく資料として陳列された「写真の山」

 スナップ写真がもともと収められていたアルバムは、それを編集した人物が秩序立てたあるひとつの体系——たとえそれが、撮影者についても被写体についてもなんの情報も持たない我々にとっては解析不能なものだったとしても——を成していたはずだ。そこから写真を引き剥がし、モチーフや判型、構図、色彩といったコードに応じて万人が解析可能な美的鑑賞の対象へと編輯し直す作業は、つまるところ、コレクションを私的な領域から公的な領域へと開くことにほかならない。

 もし原田がキュレーターやアーキビストであったならば、この作業を半端なまま放棄することはあり得なかったはずだ。したがって、この 原田裕規はアーティストである ・・・・・・・・・・・・・・ という点において、本展が当初前提としていた「スナップ写真」と「芸術写真」の対称性は、損なわれる。というのも、端的にその両者を含む本展全体が、原田の2018年の作品であるからだ。山の中のスナップ写真1枚1枚はむろん芸術写真ではないとしても、しかしすでに芸術作品の一部ではある。

「写真の山」の中の1枚

 この事実に付随して、もうひとつの仕掛けが発動する。原田の作業がコレクションの公共化を装いつつ、そのじつ再―私物化に向かっているのだとすれば、彼の語りが真実であることを担保するものは何もない。引き伸ばされた男の子の写真は、本当にスナップ写真の山の中から選び出されたものだろうか? ニュージャージーやマツドの写真は、本当に現地で原田自身が撮影したものだろうか? 「見世物としてつくられていないがゆえにてらいなく美しいイメージが潜んでいるような気がしてならなかったからだ」(ニュージャージー通信)という写真収集の動機は、本展を隅々まで眺めたのちの我々の目には、かなり疑わしく映る。「実際にここが松戸であることを証明する術は(少なくとも事後的には)ない」(マツド通信)。

 我々はここでようやく、冒頭で触れた本展の構造自体が、フィクションの皮膜を1枚隔てた向こう側にあることに気付く。展示の外部にある情報によれば、「心霊写真」が東京展開幕から愛知展開幕までのわずかな期間にも増加を続け、その数は約6000枚から約1万枚へと膨れ上がっている。それはつまり、実際には原田が収集活動を放棄していないことを意味するだろう。なんだか化かされたような気持ちで、最後に会場に掲出された指示(《目に見える世界を裏返すための手順》)に従って、写真を撮影してみる。スマートフォンの色反転機能は、使い慣れていない人にとってはそれなりに物珍しいが、それ以上のものではない。なんとなく腑に落ちないまま会場を後にしつつ、スマートフォンの設定を元に戻す。あなたの写真アルバムの最新の場所には、化けの皮が剥がれたあとの、どうしようもなく凡庸な、1枚の会場写真が加わっている。

編集部

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