ルールが現出する場所としての路上
「ルール」のセクションでは、ダニエル・エヴェレットとクシシュトフ・ヴォディチコの作品が紹介されている。写真家のエヴェレットは、日本の都市にあふれている監視カメラや道路標識を撮影し作品にしてきた。望遠レンズにより圧縮され、グラフィックのようにも見えるその被写体は、通常は日常の景色として見過ごしているが、強い記号と政治性を帯びた存在が街中に存在していることを気づかせてくれる。


1943年ポーランド生まれのヴォディチコは、社会的なメッセージや歴史的、地域の人々の声などを視覚化する「パブリック・プロジェクション」の創始者として知られている。出典されている《ポリスカー》(1991)は、路上生活者に車のかたちをした装置を与え、そこに通信媒体を備え付けることで、路上生活者同士がつながることで、仮想空間に「都市(ポリス)」を立ち上げる試みだ。都市を形成しうるのは実態のある構造物だけでなく、通信もまたその可能性に満ちていると言える。
公共とは何か、路上から考える
最後となるセクション「終章、再び路上へ」は、銭湯山車巡行部と村田あやこを紹介しながら、変容する路上そのものを提示することを試みる。

銭湯山車巡行部は、東京を中心に取り壊しが続く銭湯の部材を引き取り、カランやロッカー、看板、大黒柱などを使って山車をつくり、路上に持ち出すプロジェクトだ。人々が集まり、社交する場だった銭湯の役割を、再び路上で提示する。

村田あやこは路上園芸鑑賞家という肩書きを持つ。路上園芸とは軒先や路地のプランターなどで営まれる園芸のことで、街を歩いていると目にすることも多い。不特定多数の人々が行き交う往来に存在する、植物を美的に愛でようとする意識。村田は本展で初めてインスタレーションを手がけ、路上園芸を館内につくりあげた。

また、関連展示として同館デザインギャラリーでは、うかわ研究グループによる「能登町鵜川・にわか祭が編み直す、道と暮らし」が開催されている。能登半島内浦の港町・鵜川の夏祭り「にわか祭」を記録し、武者絵を描いた行灯の制作過程を紹介する。加えてレクチャーホールでは、NHK金沢放送局とのコラボレーションにより、過去のニュース映像から抜粋された金沢のかつての風景を見ることができる。
7つのセクションを通して見ると、美術館という場所で「路上」を生きたかたちで提示することのおもしろさと同時に難しさも感じることになる。入場料を払って美術館に入り、アーカイヴされた「路上」を見ることに、どこか後ろめたさを感じる人もいるかもしれない。しかし、かつて路上観察学会が「学会」を名乗り、街中にある奇妙で愛すべきものを記録し編集していったように、美術館だからこそ継承していける「路上」もあるはずだ。本展で様々な人々が路上に対して行ってきたアクションを見たあとは、会場で受け取った視点をもって、自分たちの街の路上を見てみてはいかがだろうか。見過ごしていた路上の魅力や楽しみ、あるいは路上が抱える暴力性や権力の存在などが、きっと浮かび上がってくるはずだ。それこそが、美術館で路上を語る意義なのではないだろうか。



















