2階の会場では、大西の数学研究に関する資料や、周囲の人間との関係について紹介されている。大西は社交的ではなかったが、一部の親しい人とは交流を続けており、それによっていくつかのチャンスを掴んでいる。とくに幼い頃から友人であった小倉忠夫(東京国立近代美術館の学芸チーム立ち上げの一員)は、大西の個展の機会をつくったり、瀧口修造や金丸重嶺を紹介するなど、大西の作家活動に大きく尽力している。またアンフォルメルを唱えた評論家のミシェル・タピエにも愛され、海外への作品発表機会もタピエを通じて得ていたという。



同じフロアには、大西の3つ目の表現手法である絵画の作品が紹介されている。1960年頃から写真をやめ絵画制作に着手した大西は、墨を使ったモノクロの作品や、カラフルな色彩の作品、長辺が2、3メートルある大型作品など、手法やサイズを様々にした作品を800点超手がけた。大西は、数学を理知的・論理的に思考を進める営みであると考えるのに対し、絵画は言葉によらない施策であり、超越的なものを直観した「経験そのもの」を表現する手段だと認識している。直観した瞬間が留められたこれらの作品は、まったくの偶然によるものに見えて、じつは大西の考えるルールの上に成り立っているという。色選びや支持体である紙のつぎ方などすべての選択に理由があるが、それらの全貌を我々が理解するのは極めて困難である。大西はこれらの絵画を描く瞬間、どのようなことを直観していたのだろうか。


大西は晩年、実家のある岡山に戻り、両親の介護や自身の病とも向き合いながら、ひとり静かに研究を続けた。美術業界で名を挙げることに野心がなかった大西は、タピエとの交流が70年代頃からなくなり展示機会も減ったことで、次第にアートシーンから姿を消していく。しかし大西の自宅にはおびただしい数の作品が残されており、没後友人であった小倉によって複数の公立美術館へ作品が収蔵がされた。
国際的に日本の具体美術が評価されている現状の後押しもあり、アートシーンの表舞台にほぼ登場することのなかった大西の、再評価を試みる本展。担当学芸員の若山は、まずは作品の圧倒的な存在感を会場で十分に感じてほしいと語る。現在東京国立近代美術館で開催されている「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」では、1950~60年代の女性作家の再評価を試みている。切り口は違えど、戦後すぐの同時代を生きた作家に焦点を当てる展覧会が、同じ東京で同時期に開催されているのは偶然だろうか。会場で実際に作品と対峙し、現在を生きる我々に提示された問いに、正面から向き合う機会としたい。



















