2年間の京都滞在を終えたキーンは1955年に帰国し、母校コロンビア大学で教壇に立つことになる。以後、日本文学の研究と教育を続けながら、長くニューヨークと日本を行き来する生活を送った。
第3章「著作と日本文学史」では、和洋あわせて100冊を超える著作や、晩年の評伝作品、そしてライフワークである『日本文学史』が取り上げられる。とくに『日本文学史』は着手から完成まで25年を要したもので、日本文学と日本文化へのキーンの揺るぎない情熱が凝縮されている。


キーンは日本文学のみならず、「日本人の生き方」や「生活の有り様」といった文化的背景にも深い関心を寄せていた。とりわけ幼い頃から演劇を好んでいたこともあり、日本の伝統芸能への探究心は年を追うごとに高まっていった。第4章「日本の文化と芸能」では、狂言の稽古に励むなど実践も交えながら芸能研究を進めたキーンの視点にふれることができる。




















