ESPOがグラフィティを展開する「道」の中心に位置するのが、美術館中央の円形の展示室だ。ここに森田貴宏は、スケートパークをつくりあげた。
森田は1975年東京都生まれ。プロスケーター、映像作家、ブランドディレクター、 株式会社FESN主宰など多方面で活躍している。1995年に設立した自身のスケート映像レーベル「FESN」は斬新なスケートボード作品を発表するプロダクションとして世界的な知名度を誇っており、近年は自身のライディング技術と撮影技術を後世に伝える活動も行っている。

ストリートスケートを続けてきた森田は「自分たちが楽しむための場所を、自分たちでつねにつくり続けてきた」と語る。当初、遠近感がわからないほどの真っ白な空間だったこの空間は、何時間ものライドを経て黒い汚れがつき、立体性を獲得した。さらに壁面には森田の友人であるBABUが、自らのタグネーム「BABU」をグラフィティとして残す。BABUは自らのタグネームを残すことはほとんどないというが、あえてそのスタイルを崩したのは、森田の晴れ舞台に刻む友情の証ともいえるだろう。

なお、この空間は現状、開場時間の最後の1時間、実際にライダーたちがスケートボードを持ち込んで滑ることができるようにするという。森田は次のようにも述べた。「スケートをしているとケガをするし、滑る場所もつねに変わるし制限もされる。だからスケーター同士は当たり前のように助け合うし、友達と仲良くすることこそが一番大事だということをよくわかっている。世界中で悲惨なことが起こっているけど、スケーターである我々は、当たり前だけど大切なことを実践している」。




















