1章「研鑽の日々」には、若き日の印象の作品や工芸図案などが並ぶ。
京都市立美術工芸学校に進んで絵の勉強に励んだ印象だったが、この時期に家業が傾く事態となった。そのため印象は在学中は三越呉服店で働き、卒業後は織物業界で異彩を放っていた初代・龍村平蔵の工房で図案を描くようになる。家計を支えながらもスケッチや水彩画を描き、画嚢を肥やすことを忘れることはなかったという。画壇デビュー前の印象の足跡はわからないことも多いというが、ここでは京都市立美術工芸学校在学中に描かれた《仁和寺の塔》(1907)などから、すでに高い画力を有していたことがわかる。





















