本展において重要なのは、この19世紀末の文化を支えた女性達の活躍にも目を向けている点だろう。
批評家・ジャーナリストのベルタ・ツッカーカンドル(1864〜1945)は、自宅のサロンで芸術家や知識人の交流をうながし、作家、作品、思想の紹介や批評が交わされる文化的な場をつくりあげた。さらに、サナトリウムの計画にも関わり、施主である義弟とホフマンを引き合わせるなど、活躍の機会創出についても尽力している。
ウィーン分離派の代表的画家であるグスタフ・クリムト(1862〜1918)が肖像画を残している、マーガレット・スタンボロー=ヴィトゲンシュタイン(1882〜1958)は、哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889〜1951)の姉でもあり、世紀末ウィーン文化を深く理解し、住居にウィーン工房のしつらえを取りれる実践者であった。同じくクリムトの肖像で知られるオイゲニア・プリマヴェージ(1874〜1962)もホフマンが手がけた邸宅や別荘に暮らし、理念を体現したひとりだ。
エミーリエ・フレーゲ(1874〜1952)はウィーン工房が内装を手がけたファッションサロンを経営。コルセットから解放された改良服を考案。さらにウィーン工房が制作したジュエリーを組み合わせる、トータルコーディネートなども提案していた。

音楽家、グスタフ・マーラー(1860〜1911)の妻であったアルマ・マーラー(1879〜1964)は、ホフマン設計の邸宅に住み、ウィーン分離派とも交流。芸術を生活に根ざしたものとしてとらえる感性を育んだ。グスタフの没後は画家のオスカー・ココシュカ(1886〜1980)と恋愛関係になり、その創作を支えた。

このように、本章は芸術やデザインの潮流のみならず、それらの実践者として文化を支えた女性たちについても詳細にわたり紹介している。つくり手だけでは文化が成り立たないことを、改めて教えてくれる試みといえるだろう。



















