大阪・吹田の国立民族学博物館で、みんぱく創設50周年記念企画展「水俣病を伝える」が開催されている。会期は6月18日まで。プロジェクトリーダーは平井京之介(国立民族学博物館・教授)。
本展は「水俣病を伝える」活動とそれに取り組む人びとに焦点を当て、約150点の資料とともに紹介するものだ。まず、水俣の現在の姿を展示したのち、「水俣病センター相思社の歴史考証館」「写真家茶川仁の作品」「明神が鼻での語り継ぐ活動」「地元行政がおこなう啓発事業」という4つの「水俣病を伝える活動」を紹介するという構成だ。
本展の特筆すべき点は、展示解説がプロジェクトリーダーの平井の語りによって書かれていることだ。調査のうえで平井が感じたことや、取材対象の人柄、印象に残った言葉などがつづられており、鑑賞者は平井がひとりの人間として「水俣病を伝える」活動にどのように対峙し、何を感じたのかを追体験することができる。
最初に紹介されるのは、現在の水俣という土地の姿だ。「僕がはじめて訪れたとき、驚いたのはその自然の豊かさだった」(展示解説より)と平井が書いているように、水俣は公害の経験を生かし、地域の生活文化や自然を踏まえた街づくりを行ってきた。これは90年代に水俣市の職員である吉本哲郎が考案した、地域づくりの手法「地元学」が土台となっており、その思考をここでは知ることができる。
つぎに紹介されるのは「水俣病センター相思社の歴史考証館」だ。水俣病歴史考証館は1988年に水俣病被害者の支援活動を続ける相思社がキノコ工場を改修して設立した館で、平井は同館について「被害者が生きてきた経験を力強く表現する、まさに『運動する博物館』である」(展示解説より)と評している。
ここでは考証館設立までの経緯や、同館展示物などが展示されているが、とくに注目したいのは、私設資料館だからこその主語を明確にした訴えのあり方の紹介だ。例えば、会場では同館で使われている展示パネルの再現品を見ることができる。企業の社会的責任や行政の怠慢を追求するような歯切れの良いテキストは、被害にあった水俣の人々の心情や葛藤までを伝えようとする、客観的な第三者目線では実現できない力強さがある。また、この章では館以外での相思社の活動も広く知ることができる。
「写真家茶川仁の作品」では、写真家・芥川仁がとらえられた水俣の写真が紹介されている。70年代後半、水俣病が過去のものになったとされるような時代に芥川は水俣に通い始めた。被害の実態を伝える写真が多く残されていることを踏まえたうえで、芥川は「残されたものの魅力を伝えることで、奪われたものの大きさを伝えられるんじゃないか」(展示解説より)という考えに至ったという。
会場に展示された芥川による写真は、どれも人々の何気ない表情や日々の生活が刻み込まれている。その土地の仕事に就き、日常のなかの小さな喜びや楽しみを大切にしてきた人々の姿は、こうした生活のなかに公害という災厄が入り込むとはどういうことなのか、という想像力を喚起する。
「明神が鼻」の展示は、水俣病の被害がもっとも激しかった土地のひとつである明神が鼻の記憶を、2020年に94歳で世を去った大矢ミツコ氏の人生と、その娘である吉永理巳子氏の語りによってたどるものだ。
ここでは水俣病以前の明神が鼻の暮らしについての理巳子氏の思い出や、自身も認定患者でありながら88歳に至るまで畑仕事を続けたミツコ氏の人生が、展示を通して紹介されている。そして、ふたりと対峙した平井の言葉一つひとつが、新たな語りとして鑑賞者に届けられる。
最後となる「地元行政がおこなう啓発事業」では、熊本県が実施している水俣病の理解促進についての活動が扱われ、相思社による学校訪問事業や、「水俣病を語り継ぐ会」による教職員への啓発事業など、教育のレベルでいかに水俣病を伝えていくのかという施策が紹介されている。いまも続く水俣病ならびに水俣という土地に対する偏見をどうしたらなくすことができるのか。かつて敵対した行政と被害者がともに挑むプロジェクトを知ることができる。
本展は平井の次のような言葉で締めくくられている。「僕が一番伝えたかったのは、水俣病を伝える人たちのことだったと思います。彼らの存在と人間としての魅力を皆さんにお伝えしたかったのです」(展示解説より)。平井というひとりの人間が見聞きして感じたことまでを含めて展示に組み込むことで、鑑賞者もたんなる歴史的事実の羅列を超えた、「伝えられる」という体験をすることができる。
水俣病、そして水俣という特定の地域における公害を扱う本展であるが、同時に広く考えるべき問いも投げかけている。あまりに複雑化した情報体系に身を置きながら生きるしかない現代において、「伝える」ことの困難さは日々多くの人が実感していることだろう。過去をどのように伝えるのか、どういった伝え方があるのか、そこにはどのような人間の感情があったのか。いまを生きるすべての人が考えるべき問いが、本展には織り込まれている。