東京・清澄白河の東京都現代美術館で、現代美術家・豊嶋康子(1967〜)の展覧会「発生法──天地左右の裏表」が開幕した。会期は2024年3月10日まで。
豊嶋康子は1990年に活動を開始して以来、30年以上にわたって様々な制度や価値観、約束事と対峙する作品をつくり続けてきた。本展は豊嶋がこれまで制作してきた作品を可能な限り集め、500点あまりが一堂に集結する大規模個展となっている。
本展は豊嶋の作品を制作年にとらわれず横断的に紹介する構成だ。最初の展示室では、本来は鑑賞者から見えないパネルの裏面に木枠を増やし続けた「パネル」(2013-15)や、パネルの裏面の骨組みをつなげて収納部分や密封空間をつくる「隠蔽工作」(2015)といったシリーズが並ぶ。一見するとキャンバスの木枠のようにも見えるが、その印象こそが見る側の固定概念であり、本作と対峙するとその固着したイメージそのものが揺さぶられる。
展示ケースのなかに散らばっている無数のサイコロも作品だ。この《サイコロ》(1993)は、豊嶋が展示室のなかで様々にふったサイコロをそのまま作品としたもの。サイコロが規則と不規則を同居させた不可思議な存在であることを改めて思い出させてくれる。
展示室と展示室をつなぐ外光が注ぐ廊下には、器状の作品《復元》(2003-06)が並んでいる。本作は作家の身の回りに落ちていた破片を、もとあったであろう形体に復元したもので、破片から形状を想像し、そして創造する試みとなっている。
試験を受ける教室を思い起こさせる、並んだ机と椅子。その上に置かれたマークシートは「マークするべきところ」以外がすべて塗りつぶされている。これは豊嶋の最初期の作品《マークシート》(1989-90)を再制作したものだ。マーク部分を残してシートの中を余すことなく塗りつぶす際の縦、横、斜めの鉛筆の運動性は、構造のなかに異なる位相をつくり出すその後の作品の源流だと豊嶋は語る。
初期作品としては《エンドレス・ソロバン》(1990)も興味深い。一見するとただの長いそろばんに思える本作は、末端が先端につながっており、円環構造となっている。タイトルの通り延々と桁を繰り上げ、数字を増幅し続けることができる終わりのないそろばんだが、どれだけ数字が大きくなっても、その構造自体は不変であることが示唆される。
《定規》(1996-99)は、直線定規、三角定規、分度器などをオーブントースターで加熱した作品。熱によってプラスチックは変形し、形状は歪み、目盛りは狂う。来場者はその造形のおもしろさを感じるとともに、計測という機能を失なってもなお、これらを定規だと認知できていることに気がつくはずだ。我々が対象をどのように知覚し、分類しているのかを考えさせられる。
本展では展示パネルの裏にも作品が設置されているので見逃さないようにしたい。例えば《生涯設計》(2003-13)だ。豊嶋の生命保険の満了通知を展示したものだが、これは2003年当時に開催された展覧会のスポンサーであった生命保険会社の保険に加入し、10年契約の更新型終身移行保険を自身にかけたもの。10年のあいだに豊嶋が死亡すると、豊嶋の兄に展覧会の賞金の約7倍の保険金が入り、豊嶋が生き続けていたら展覧会の賞金の約3分の1の保険料を契約期間中に払うことになる保険設計となっている。結果的にこの10年豊嶋は生存し、本作は完成した。自身の生存の確率を商品にするという、保険というシステムの奇妙さを改めて浮き彫りにしている。
社会を支える制度についての豊嶋の興味は尽きない。《口座開設》(1996-)は、銀行で1000円を入金して口座を開設しキャッシュカードの到着を待ち、カードが到着したらにその1000円を引き出し、別の銀行で1000円の口座を開設するという行為を繰り返した作品だ。会場の展示ケースには多種多様な銀行の通帳とカードが並んでおり、これを豊嶋は「彫刻的」と表現する。そこにあるのは磁気が埋め込まれた通帳とプラスチック製のカードだが、それは金銭を入れるための箱を仮託する存在ともいえ、そう考えると箱型の立体物が林立する様を想起させる。
《書体》(1999-)は、豊嶋が受け取った郵便物の宛名、つまり他者によって書かれた「豊嶋康子」の文字を収集したものだ。当然、書く人物によってその筆跡は千差万別ではあるが、いずれも「豊嶋康子」と読むことができる。まったく同じではなくとも書かれている文字を認識できるという、社会で共有されるルールと認知の範囲を意識させる。
本展は、高い造形性を感じさせる立体作品から、作家のコンセプチュアルな生活行動の痕跡まで、幅広い作品が展示されている。こうした作品が一堂に会したとき、豊嶋がそのキャリアのなかでつねに共通して問題意識を置いてきたものも見えてくる。それはおそらく、あらゆる制度そのものへの興味であり、そしてその制度のなかでいかなる逸脱や自由が可能かという、美術の根幹にも関わる問いかけだ。
現代においては、ただ生きるためにも様々な手続きを経て制度のなかに自身を組み込まなければいけない。果たしてその制度は正しいのか、制度のなかでどのような楽しみや喜びをみつけられるのか。社会の根本を、豊嶋は問い続けている。