草間彌生作品のサイケデリック性に着目した展覧会「草間彌生の自己消滅、あるいはサイケデリックな世界」が、草間彌生美術館で始まった。会期は9月18日まで。
1929年に長野県に生まれた草間彌生は、幼少期からの幻視・幻聴体験をもとに絵画制作を始めたことで知られる。57年には単身渡米。ボディ・ペインティングやハプニングのほか、男性器を模した「ソフト・スカルプチャー」や画面いっぱいに網目を描く「ネット・ペインティング」など広く知られるシリーズを展開し、前衛美術家としての地位を確立した。昨年から今年にかけては、香港の「M+」で大規模個展が開催されるなど、その人気はとどまるところを知らない。
本展のテーマとなる「サイケデリック」とは、常態では得られない強烈な知覚体験やその状態を表すもの。草間がニューヨークで過ごした60年代のカウンターカルチャーを代表するムーブメントだ。草間は単一モチーフの強迫的な反復と増殖から生じる自他の境目が消えていく感覚を「自己消滅」と呼んでり、反復の制作原理や鏡の反射と光の明滅などによる作品表現は、サイケデリック・ムーヴメントを追体験させるような視覚効果と重なり合うものだと言える。
草間の作品世界に見られるサイケデリック性に着目した本展では、様々な時代の創作ヴァリエーションが並ぶ。
1階エントランスでは、草間が60年代後半にニューヨークの個展で発表した六角形のミラールームのシリーズ最新作《平和への願望はひとつひとつ輝くばかり》が初公開。万華鏡のように激しい様々な色の光が明滅する強烈な視覚体験は、サイケデリックな没入感をもたらすものだ。なおこの作品の隣では、67年に撮影された映画『草間の自己消滅』が放映されており、浮遊感のある独特のサウンドがさらなる陶酔感を与える。
2階に上がると、60年代から73年の帰国後、そして90年代前半までの作品が並ぶ。60年代に制作された、網目に覆われたキャンバスやマネキンなどは、サイケデリックにも通ずる視覚効果を生み出している。なお、このフロアでは70年代と90年代の平面作品4点が世界初公開されており、これらにもサイケデリックな視覚的特徴を見出すことができる。
3階では、80年代後半から90年代前半の絵画と立体が展示されている。まず目に入るのは、幅4メートルの巨大なキャンバス《天上よりの啓示(B)》。同作では単一モチーフが画面いっぱいに繰り返し描かれており、まるで絵画そのものが蠢いているかのような錯覚を与える。
これとほぼ同じ時期に制作されたのが、立体の大作《永劫回帰》だ。カラフルな縞模様に覆われた触手が箱から突き出した同作は、触手が動き出すかのような不思議な錯視効果をもたらしている。世界初公開となる80年代後半の小型アクリル絵画作品群も含め、強烈な色彩と躍動感が宿るフロアとなっている。
4階は、草間の自己消滅を身をもって体感できるエリアだ。《I’m Here, but Nothing》は、ブラックライトと蛍光ステッカー、家具、日用品を使用したインスタレーションで、草間が自らの幻視体験から着想したもの。水玉で覆い尽くされた空間に身を置くと、自らもまたその一部となり溶け込むかのような感覚を抱くだろう。なお、この部屋のなかでは草間の歌が映像とともに流されており、自己消滅する感覚をよりいっそう加速させる。
展示の最後を飾るのは、草間にとって重要なモチーフである花の大型立体作品《真夜中に咲く花》だ。花弁の中心に水玉と網目があしらわれた眼を持つ同作は、サイケデリックムーブメントと同時期のアメリカに現れたフラワーチルドレン(ベトナム戦争への反戦を示すために花や花模様を身につけた若者たち)を想起させる。草間の幻覚のヴィジョンと時代の精神を伝えるものとなっている。
草間のサイケデリック性は、幻覚剤などによってもらたされた「人工」のものとは本質的に異なり、幻覚の恐怖を克服しようとする過程で必然的に生み出されたものだ。それが作品へと昇華された世界を、じっくりと堪能してほしい。
なお、2017年10月の開館から5年余り経ち、美術館のファサードを彩るアートがドットからインフィニティネットに変更されているので、こちらもあわせてチェックしてほしい。