映像やパフォーマンスなど様々な技法を用い、セクシュアリティ、ジェンダーへの問題を追究する美術家・百瀬文。その個展「百瀬文 口を寄せる」が青森県の十和田市現代美術館でスタートした。キュレーターは見留さやか(十和田市現代美術館学芸員)。
百瀬は1988年東京生まれ。2013年に武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コースを修了後、コミュニケーションの多様なあり方をテーマに国内外で精力的に活動をしてきた。これまでの主な参加展覧会として、国際芸術祭「あいち 2022」(愛知芸術文化センター)や、「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(東京・森美術館)、「アーティスト・ファイル2015 隣の部屋―日本と韓国の作家たち」(東京・国立新美術館、ソウル・韓国国立現代美術館)などがある。
展覧会タイトルである「口を寄せる」は、一見他者に寄り添う動作を連想させるものだが、「声」が様々な身体を行き来していく様子にも思える。本展は、性別や世代の異なる他者との関係やその背後にある、見えない存在や抑圧が映し出された作品を出展。存在しているのに、抑えつけられ、ないものとされていた「声」に向きあうことが目的となっている。
最初の展示室では、百瀬の新作インスタレーションであり、本展のメインとも言える《声優のためのエチュード》(2022)が展示されている。少年から女性まで幅広いキャラクターを演じる女性声優をテーマとした本作は、性別を判断できるキャラクターのアニメーションはなく、その「声」だけが空間内で聞こえるというもの。グラデーションのように変化する声色にフォーカスすることで、声もジェンダーを定義づけるひとつのピースであることを感じさせる。
耳の聞こえない女性が、耳の聞こえる男性とのあいだで実際に起こったコミュニケーション問題を取り上げ、百瀬が脚本・映像化したものが《Social Dance》(2019)だ。手話を使った会話が交わされるなかで、時おり男性は女性をなだめるように女性の手を握る。その行為には女性を安心させるようにも見えるが、女性の口を封じているかのようにも受け取れる。図らずも愛情と暴力が同居してしまうこの光景は、我々の日常においてもたびたび見受けられるものではないだろうか。
《定点観測(父の場合)》(2013〜14)は、百瀬の父親が百瀬の書いた173つの質問に口頭で答えていくなかで、その回答が父親の意志から離れていく様子を客観的に観察し、記録した映像作品。回答のみが朗読されるその言葉には、自身の思い出を語りながらも、徐々に父の身体と声を借りて発せられる百瀬自身の言葉が現れるようになる。「声とは誰のものなのか」を問いかける作品だ。
中庭に貼り出された電話番号も、じつは百瀬の作品のひとつ《Here》(2016)である。この電話番号にかけると、予期せぬ留守番電話のアナウンスが流れてくる本作は、電話の先の「ずっと誰かを待たされ続ける他者の存在」を感じさせる。かつてコールセンターの受付は主に女性が担当しており、留守番電話が誰かの身体を介していた、ということから発想されたものだと百瀬は語った。いつでもどの場所からでも体験できる本作に、この記事を読んでいるあなたも参加してみてはいかがだろうか(一度に10人まで接続可能)。
本展では百瀬の過去作も展示されている。《The Examination》(2014)では、視力検査を題材にした医師と患者のあいだの応答が映し出されている。Cのようなマークで行われる検査に対して、百瀬はそのマークと同じ大きさの矢印を描いて伝える。医者の行為に対して対等であろうとする様子は、「検査をする者」と「検査される者」にある不均衡な関係に疑問を呈したものだ。
本展のメインビジュアルでもある新作の平面作品《Interpreter》(2022)は、ボタンを押すと水圧で中のオブジェクトが動くおもちゃがモチーフ。違和感があるのは、そのオブジェクトには引っかかるところがなく、漂うしかない状況にあるところだ。百瀬はこの状況が本展の象徴であり、浮遊する歯は他者とコミュニケーションをとる「口」を暗喩するものだという。
以前から百瀬の作品に引き込まれていたという担当キュレーターの見留は本展の開催に際し、以下のように思いを述べた。「百瀬の作品は、コミュニケーションのなかで生じる痛みや辛さに焦点を当てたもの。映像という客観視できる媒体を通じて、様々な関係性におけるそれぞれの『声』に耳を傾けてほしい」。また、同館館長でキュレーターの鷲田めるろは、本展について「白と黒のあいだの部分に向き合い、見つめ直す展覧会」であると述べるとともに、実現したかったことに「アーティストによる新作発表」と「百瀬の作品をまとめたカタログの製作(鋭意製作中)」を挙げた。
なお、会期中にはアーティスト・トーク(12月10日)や作品上映会(3月4日)も予定されている。作品上映会では、《Flos Pavonis》(2021)を紹介。ポーランドで 2021年に成立した人工妊娠中絶禁止法や日本の堕胎罪などの状況を取り上げ、「個人の身体に対する国家権力の管理がコロナ禍で強化されてゆく様子」に問いを投げかける内容となっている。本展に足を運ぶ際はぜひこれらのイベントにも参加してみてほしい。