《太陽の塔》や《明日の神話》などの作品知られ、いまなお大きな影響力を持つ芸術家・岡本太郎(1911〜1996)。その史上最大スケールの展覧会「展覧会 岡本太郎」が大阪中之島美術館で開幕した。本展は東京都美術館(10月18日〜12月28日)、愛知県美術館(2023年1月14日〜3月14日)に巡回する。
マンガ家の岡本一平と、歌人で小説家の岡本かの子のあいだに生まれた岡本太郎は東京美術学校(現・東京藝術大学)退学後、両親とともに渡仏。両親の帰国後もパリに残り、31年はパリ大学に進学。哲学や心理学、民俗学などを学びながら、パリの美術動向を受容していった。力強い輪郭線と原色を多用した作品を発表し、画集『OKAMOTO』の出版ほか、パリの芸術運動に参加するなど活発に活動する。
40年に帰国し中国への出征を経て、47年には二科会の会員となり画家としての活動を本格的に再開。主題から技法に至るあらゆるものを対極的にとらえる「対極主義」を提唱し、翌年には花田清輝と出会い前衛芸術運動「夜の会」を結成した。多くの作品を制作するいっぽう、54年に著作『今日の芸術』(光文社)を出版するなど文筆家としても活動。強い影響を受けた縄文土器や沖縄文化などについても文章を残している。
本展は、《太陽の塔》や《明日の神話》といった代表作のみならず、これまであまり注目されてこなかった晩年の作品なども含めて網羅し、岡本の創作の全貌に迫るもの。会場は制作年代順となっており、「岡本太郎誕生ーパリ時代」「創造の孤独ー日本の文化を挑発する」「人間の根源ー呪力の魅惑」「大衆の中の芸術」「ふたつの太陽ー《太陽の塔》と《明日の神話》」「黒い眼の深淵ーつき抜けた孤独」の6章構成。出品点数は資料を含めて300点におよぶ大ボリュームの展覧会だ。
開催に際し、大阪中之島美術館館長の菅谷富夫は、ロシアによるウクライナ侵攻やコロナの感染拡大が続くなか、「つねに何かと戦ってきた岡本太郎の姿勢にいま触れる必要がある」とその開催意義を強調する。
大阪展のキュレーターは大阪中之島美術館学芸員・大下裕司。「本展は画業を紹介するだけでなく、岡本太郎の姿を多角的に紹介するもの。大阪では岡本太郎の作品を見る機会が意外と少ない。大阪展のミッションは、作品だけでなく人物を体感してもらうことだ」と語っている。
会場を見ていこう。入口付近には、白黒の作品図版が壁に並ぶ。岡本太郎が1930年代のパリ滞在期に制作した作品はすべて戦災で焼失しており、初期表現は1937 年にパリで発刊された初めての画集『OKAMOTO』に掲載されたモノクロ図版と、戦後に岡本自身が再制作した4点からしか伺い知ることができない。これらはそのモノクロ図版を実際の作品サイズに拡大したもの。実作ではないが、そのスケール感を体験できる貴重な資料となっている。
これを過ぎると、本展のハイライトといえるものが迎えてくれる。初期作品と新発見の作品だ。
再制作された初期作品としては、真紅のリボンから腕が突き出た《傷ましき腕》(1936/49)がよく知られているが、本展ではこのほかに《露店》(1937/49)、《空間》(1934/54)、《コントルポアン》(1935/54)が展示。なかでも《露天》は1983年に岡本自身がニューヨークのグッゲンハイム美術館に寄贈して以降、日本では展示される機会がなかった作品で、明るい色が並ぶいっぽう、俯いて笛を吹く売り子のいる屋台の中は暗い構図となっている。これら再制作の4作品が一堂に会するは40年ぶりのことだ。
新発見とされる作品も見逃せない。「作品A」「作品B」「作品C」とされる3つの絵画は、焼失したと思われていたパリ時代の作品と推定されるもの。この展覧会開催にあたり、所有者であるパリのデザイナーから連絡を受けた主催者が調査を行い、筆跡鑑定や絵画分析が行われた。完全に岡本太郎作品と確定したわけではないが、その可能性が非常に高いとされており、今回が美術館での初披露となっている。
第2章からは戦後、芸術家として再出発した岡本太郎の作品が続く。ほぼ時系列の構成にすることで、古い作品との共通項もイメージできるのがこの展覧会の特徴だ。ここで注目したいのは、岡本太郎が1954年の第27回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に坂本繁二郎とともに参加した際に出品された《森の掟》(1950)と《娘と犬》(1953)の2点。この2作品が同じ空間に並ぶのは、ヴェネチア以来約60年ぶりのこととなる。
第五福竜丸事件を題材にした2つの《燃える人》(1955)も見逃せない。岡本太郎は後に原爆をモチーフにした大作《明日の神話》(1968)を手がけるが、本作にはすでに《明日の神話》に通ずるモチーフである擬人化された第五福竜丸が描かれている。岡本太郎の一貫した興味関心が垣間見えるだろう。
続く外光が入るエリアでは、照明器具でありながら彫刻である《光る彫刻》(1967)や、岡本太郎の「対極主義」を体現するような《坐ることを拒否する椅子》(1963)が展示。後者は実際に座ることもできるので、ぜひこの機会に体験したい。
第3章「人間の根源」では、岡本太郎が縄文土器に出会い、人間の根源を表現するために取り組んだ作品が並ぶ。それまでの太郎作品はどこかしらキャラクター性を思わせるモチーフが描かれてきたが、ここでは線、面、色、点によって成り立つ画面構成に注目したい。
なおこのセクションでは、岡本太郎が日本各地を取材するなかで撮影した122枚の写真をスライドショーで展示。太郎がその目で何を見てきたのかを追体験できる。
岡本太郎にとって、大衆とのつながりもまた芸術だった。第4章「大衆の中の芸術」には、鯉のぼりやコップ、椅子、アロハシャツ、テレビCMなど岡本太郎が関わった多種多様なプロダクトが並ぶ。こうした商品に自らの思想や芸術感を表出することで「岡本芸術」の真髄を伝えようとした岡本太郎は、「自身の作品が大衆の目に触れるところにあってこそ意味があると考えていた」(大下)という。
なお大阪展では、大阪ゆかりのものとして岡本太郎が大阪府吹田市あったレストラン「カーニバルプラザ」のために手がけたデザインや、ロゴをデザインした近鉄バッファローズのグッズなども展示されている。
岡本太郎を語るうえでやはり欠かせない《太陽の塔》(1970)と《明日の神話》(1968)。このふたつは岡本太郎を象徴する作品であり、なおかつ非常に近い時期に構想されたもの。大下はこの2作品を「双子ともいえる作品」と評する。本展では太陽の塔からは50分の1スケールの立体作品や内部模型、そして貴重な太陽の塔のドローイングが展示。明日の神話はドローイングと巨大な下絵が並ぶ。2作品を対比することで、その関連性も見えてくる。
最終章となる第6章「黒い眼の深淵」では、晩年にあたる80年代の作品を中心に展示が構成。晩年、絵画の発表はほとんど行っていなかったという岡本太郎だが、そこに並ぶ作品を見れば、若い頃から変わらぬ人の顔やマスクに対する強い探究心が見てとれる。
なおこの最終章には興味深い作例も並ぶ。岡本太郎は生前、作品をほとんど手放さなかったことで知られるが、複数の作品はその行方が不明となっていた。そうした作品は、太郎自身によって加筆あるいは上書きされたことがわかっており、本展では元の作品と現在の作品が対比できるような展示構成となっている。
展示を締めくくるのは、岡本太郎が最後に取り組んだという未完の作品《雷神》(1995)だ。本作を含む晩年の作品を見ても、若かりし日の力強さは一向に失われておらず、つねに強い創作意欲が維持されていたことがうかがえる。岡本太郎をすでに知っている人もこれから知る人も、本展を見れば岡本太郎という存在の力強さを実感することだろう。
なお大阪には万博記念公園に《太陽の塔》が存在している。本展鑑賞後は、この現存する最大の太郎作品も訪ねてみてはいかがだろうか。