当初の開催予定日に準備されていた作品の数々が、ついに日の目を浴びることになった。会期前日に開催されたプレビューでは、記者会見で総合ディレクターの北川フラムが小湊鉄道を軸線に展開する芸術祭の意義を次のように語った。
「1年半以上、アーティストも作品のメンテナンスをしたり、今日という日を迎えるためにスタンバイしてくれたことを本当にありがたく思っています。相当に厳しい状況が続きましたが、スタッフ、サポーター、地元の皆さんの理解があって実現できることになりました。本当に嬉しいです。房総から世界を眺めようということで、1918年にできた小湊鉄道とともに過ごしてきた里山が、今回のテーマです。宇宙、科学、人間、自然の調和したなかで進んでいこうというメッセージを、沿線の会場で感じていただければと考えています」。
小湊鉄道
小湊鉄道に乗ると、「駅プロジェクト」として複数の駅に作品が展示されている。モスクワを拠点に制作を続けるレオニート・チシコフは小湊鉄道を銀河鉄道に見立て、五井から馬立までの7駅に月と宇宙をテーマとする作品を展開。車窓から楽しめる作品もあり、のどかな鉄道駅の風景に突如飛び込んでくる宇宙飛行士の姿などにドキッとさせられるはずだ。
牛久駅で途中下車し、牛久商店街に向かう。印旛沼で漁師として働きながらガラス作家として活動する柳建太郎は、芸術祭期間中は自身の工房「アトリエ炎」を牛久に移設。風車やクレーンなどをモチーフにした動くガラス作品を展示している空間では、会期中に公開制作やワークショップも予定している。
中国出身のマー・リャンは、日本の古い紙芝居小屋にインスピレーションを得て《移動写真館》をオープン。フレームのなかに入り、裏に置かれたコスチュームや小道具を身につけて記念写真を撮ることで、紙芝居の世界に入り込むことができる。
マー・リャン《移動写真館》の斜向かいの建物に展開するのは、芸術祭のアートディレクターも務める豊福亮による《牛久名画座》。絵画教室も運営する豊福が、生徒たちにE. H. ゴンブリッチの著書『美術の物語』に登場する名画の模写を指導。完成した名画の模写で空き店舗の空間を埋め尽くした。今後はこの空間を起点に、牛久商店街で継続的な活動を実施する予定だという。
牛久駅から3駅目の上総久保駅には、ホームに隣接して西野達による《上総久保駅ホテル》がオープンした(法規の関係で、ホームとの間には1cmの隙間がある)。無人駅のホーム待合室をテラスに見立て、そこから駅舎裏に続くように客室を設置。古い公衆トイレを最新の洋式トイレに換え、横にはシャワー室も設けた。駅ができてから88年間、ほとんど変わっていないであろう景色から、状況を変えることで改めてその価値を見出してほしいという西野の思いがホテルには込められている。週末のオフィシャルツアー参加者から先着4組、夜間の特別鑑賞も可能だというから貴重だ(受付終了)。
「いちはらアート×ミックス」は、いくつかの閉校した学校や保育施設が会場となっているのも特徴だ。過疎高齢化によって学校の統廃合が進んでいることを物語っているが、そうした施設と周囲の環境をアーティストが読み取り、その特性を作品に反映させることで土地が持つ価値を改めて認識することができる。芸術祭にはそんな意図が込められている。
旧里見小学校
コロナ禍で制作に励むアーティストたちの声を集め、その動画を美しいインスタレーションに展開したのが、映像作家の高橋啓祐がインスタグラムで行うプロジェクト《Artists’ Breath Playback》。旧里見小学校体育館の空間が活用され、アーティストの声に耳を傾けると同時に幻想的な光の体験ができる。
校舎2階の教室は、EAT&ART TARO《おかしのはなし》。地域ならではの伝承や逸話をもとに創作された千葉県のお菓子を集め、お菓子とお茶をいただきながらそのストーリーを作家と鑑賞者が共有するプロジェクト形の作品だ。お菓子を通して房総を知る。食をテーマにリサーチと制作を続けるEAT&ART TAROが、芸術祭を巡る際の一服の時間を提供してくれる。
月崎・田淵エリア
月崎・田淵エリアに移動する。田んぼの真ん中に土俵のような舞台が設置されている。エルモ・フェアメイズのインスタレーション作品《Mirror of Soil》だ。立つ位置、向く角度を色々と試していくと、チューニングが合った瞬間に音の反響が変化して里山の多様な音が聞こえてくる仕掛けになっている。
エルモ・フェアメイズの作品からほど近く、1軒の民家を舞台に2名の作家が制作を行った。小さな集落にある、かつて有力者が住んでいた屋敷に残された大量の品々。アイシャ・エルクメンはそれらを整理し、石像の並ぶ庭の通路に陳列した。空っぽになった屋内にはモニターを設置し、その作業風景を収めた映像を流す。そして芸術祭のメインヴィジュアルも担当した写真家の石塚元太良は、雑多な品々が整理される前の屋内を撮影し、向かいに位置する民家の軒先に展示した。
磯辺行久は地域を流れる養老川をリサーチした。6000年前には、現在の養老川が流れる場所よりも十数メートル高い位置を流れていたことがわかり、その場所を明らかにする空間作品《6000年前、養老川の本流がここを流れていた》を手がけた。また、気球に乗って空から地面を眺め、現在流れる養老川と6000年前の流れの位置関係を把握するプロジェクト《養老川を翔ぶ》も実施する。水が流れ、草木が生え変わり、大地も生きているのだと実感させてくれる。
月出集落
月出集落では、2007年に閉校した月出小学校をアートの拠点として生まれ変わらせた月出工舎と、その向かいにある古い民家を訪れた。空間に残る記憶などを糸や布、オブジェクトで表現する竹村京、月出地区の植物で染色した糸と布で空間を彩る岡博美らの作品が月出工舎に展示され、大正時代に建てられた民家では、残された家具や道具類を用いて田中奈緒子が空間を再構成した。
旧平三小学校
旧平三小学校もまた、12名の作家による作品で彩られている。校舎の階段から屋上へとつながる梯子を題材に「上昇」をテーマにした《ヤコブの梯子(終わらない夢)》と、配膳室のエレベーターで「下降」を表現した《塔(エメラルド・シティに落ちる》を手がけた冨安由真。「誰もが先生、誰もが生徒」をテーマに、市原の歴史や自然、食など、様々なジャンルの講座を実施する開発好明《市原100人教頭学校 キョンキョン》。ゼンマイ時計の仕組みを用い、重い車輪が2ヶ月かけて緩やかな傾斜を降りていく装置を作品化した秋廣誠《時間鉄道》。市原に実在する建物を撮影し、やさしい町のあかりをミニチュアハウスで表現した栗真由美の《ビルズクラウド》など、空間ごとに見応えのある作品が配置されている。
最後に訪れた市原湖畔美術館では、戸谷成雄の個展「森—湖:再生と記憶」が開催されている。ダムの建設により誕生した人工湖畔に建つ美術館の時空間をインスピレーションとし、「森」「土地」「水脈」に連なる作品を展開する。里山の時空を表現した芸術祭の作品の数々と呼応する展示となっている。
小湊鉄道というローカルな列車に揺られ、大都心を中心に発展する社会の傍に置き去りにされてしまった里山の風景。そういった土地にこそ、自然との関わりや沈思黙考が可能なゆったりした時間の流れが存在する。アートを通してそんなことを感じさせてくれる豊かな芸術祭に足を運んではいかがだろうか。