NEWS / REPORT - 2020.11.1「性差」はいかにつくられてきたのか? 国立歴史民俗博物館で「性差(ジェンダー)の日本史」を見る展示風景より、右は重要文化財の高橋由一《美人花魁》(1872、東京藝術大学蔵)「性差(ジェンダー)の日本史」会場入口 撮影=筆者展示風景より、重要文化財の栃木県甲塚古墳出土埴輪(6世紀後半、下野市教育委員会蔵)展示風景より甲塚古墳出土埴輪(6世紀後半) 水玉模様が特徴の女性の埴輪 撮影=筆者 展示風景より、甲塚古墳出土埴輪(6世紀後半)。女性の埴輪は頭の髷や胸の膨らみで識別できる 撮影=筆者展示風景より展示風景より、洛中洛外図屏風「歴博甲本」(16世紀前期、国立歴史民俗博物館蔵、複製) 撮影=筆者展示風景より、洛中洛外図屏風「歴博甲本」の解説パネル。登場する女性たち一人ひとりに物語があるのだ 撮影=筆者展示風景より、ぼどことどんじゃ。どんじゃと南部県南地方の女性たちがコギン刺しで布をかさね、麻屑を詰めてつくった袖付きの布団。家長男性が使い続けたもので、重さは14〜15kgになるという。ぼどこも何代にもわたって出産用に使われた敷物。どんじゃ同様に丁寧に作られた展示風景より。仏教界の女性観も人々の暮らしに大きく影響を与えていた展示風景より、中央は高橋由一の代表作《美人(花魁)》(1872、東京藝術大学蔵)。モデルとなった花魁の小稲は、この絵を見て「妾はこんな顔ではありんせん」と腹を立て、泣いたという 撮影=筆者娼妓の暮らしを再構成した展示 撮影=筆者高橋由一《美人(花魁)》のモデルとなった四代目小稲が主人公の小説 撮影=筆者展示風景より、新吉原詳細図(1849、個人蔵) 撮影=筆者展示風景より、戦後に労働省(現 厚生労働省)婦人少年局によって制作された啓蒙ポスターユネスコ「世界の記憶」にも指定された山本作兵衛による炭坑記録画《坐り掘り》(田中市石炭・歴史博物館蔵)。筑豊では夫婦共に炭鉱に入るのが一般的であった。つるはしで夫が石炭を彫り、妻が石炭を坑道まで運び出す 撮影=筆者9 / 16 記事にもどる 編集部