数多く開かれてきたフィンセント・ファン・ゴッホの展覧会。東京・上野の森美術館で開幕した「ゴッホ展」(〜2020年1月13日)は、ゴッホと印象派、ハーグ派との出会いに着目したものだ。
展覧会は、1部「ハーグ派に導かれて」と2部「印象派に学ぶ」で構成。
1880年、27歳で画家になることを決めたゴッホは、その翌年にハーグ派の画家たちとの交流を始める。ハーグ派とは、オランダ・ハーグを拠点に活動していた画家たちのことを指し、田園風景や海岸など、豊かな自然風景とそこで営まれる素朴な暮らしを描いた。
第1部では、このハーグ派の作品を18点紹介。そのなかには、ゴッホの親戚であり最初の師匠でもあったハーグ派の主要画家アントン・マウフェの作品も含まれている。ゴッホの作品を紹介する背景として、ハーグ派の作品をこの規模で展示するのは珍しいケースだという。
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ハーグ派から、モデルを実際に前にして描くことなど、画家としての基礎を学んだゴッホ。84年には油彩画を手がけるようになり、その成果は、会場に展示された《農婦の頭部》(1885)などから見ることができる。
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また、ゴッホが農民の生活を描いたものとして有名な作品に《ジャガイモを食べる人々》(1885)があるが、本展ではその完成を友人や家族に知らせるために制作したリトグラフのうちのひとつが展示されている。
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続く第2部では、1886年にゴッホがパリに出て以降、印象派から影響を受けるなかで起こった作品の変化にフォーカス。
印象派の作家たちに触れ、87年から明るい筆触を取り入れたゴッホ。翌年アルルへと移住し、より大胆な色彩や筆致を用いたゴッホの独自のスタイルへと変わっていった。上野の森美術館学芸員・岡里崇は「印象派との出会いは重要ではあるものの、あくまで過程のひとつだった」と語る。
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最後の展示室には、ハイライトのひとつである《糸杉》(1889)が待ち構える。本作は、ゴッホが自分の左耳を切り落とし、サン=レミの精神療養院に入院した直後に制作したものだ。
墓場に植えられる糸杉は、死の象徴。ゴッホはこの糸杉のシリーズを合計3点描いており、《ひまわり》と匹敵する連作だと言われている。
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数多いゴッホ展のなかで、本展はゴッホが画家としてたどってきた道を提示するもの。印象派とハーグ派、それぞれの作品を通して、画家・ゴッホの形成過程を見つめたい。