三角形を通じた対話。田中一光×イッセイ ミヤケ×三澤遥

グラフィックデザイナー・田中一光の作品をモチーフに、2016年に始まった「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」シリーズ。今回の6回目では、凛と咲く花々と、幾何学的に構成されたピラミッドをモチーフに、過去5回よりも多様な素材や技術が用いられた。ピラミッドシリーズ発売にあわせて銀座のISSEY MIYAKE GINZA / 445で開催中の特別展示に際し、同シリーズの解説テキストの執筆にも携わったデザインライターの角尾舞がその魅力を語った。

文=角尾舞 写真=稲葉真

ISSEY MIYAKE GINZA / 445の外観 © ISSEY MIYAKE INC.

 転がったり、倒れたり、立ち上がったり、隠れたり……。三角形というひとつの制約において、思いつく限りと言わんばかりのふるまい。暗闇でささやくかのような、紙の動く音。デザイナー・三澤遥氏による、故・田中一光氏のピラミッドシリーズから触発された作品群が、現在、銀座の「ISSEY MIYAKE GINZA / 445」で展開されている。「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE No.6」のモチーフ、ピラミッドシリーズ発売にあわせた特別展示である。 

展示風景より © ISSEY MIYAKE INC.

 デザイナーの田中一光氏の仕事で有名なのは、無印良品やLOFT等のロゴマークだろう。30年以上前につくられたものだが、まったく色褪せずその力強さがある。ロゴだけでなくポスターや書籍、グラフィックアートなど、様々な作品を遺した。田中氏は生前、イッセイ ミヤケとの協業でも有名で、亡き後も「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」としてプロジェクトが続いてきた。田中氏の作品がイッセイ ミヤケの衣服のなかで表現されている。

 新作である「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE No.6」が発表となったのは、今年1月。イッセイ ミヤケより解説テキストの執筆依頼がわたしに届いたのは、昨年秋のことだった。デザイナーに関するテキストはこれまでも手がけてきたが、田中一光氏と生前に関わったことは、もちろん一度もない。もう会うことが叶わないレジェンドの作品の言語化とはなんと難しいことかと不安に思い、手に入るエッセイや作品集を片っ端から購入して読んだ。知っていた仕事もあれば、まったく知らなかった作品やエピソードもあったが、エッセイから伝わるデザイナー像は、自負や自信、悩める姿も含めて、等身大の真摯な人間だった。

ISSEY MIYAKE GINZA / 445の会場での角尾

 IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE No.6のモチーフは、ひとつが植物、もうひとつがピラミッドのシリーズである。いずれも田中氏自身がグラフィックアートと呼ぶ、デザインの仕事と並行して手掛けていた作品群だ。本人の言葉を借りれば「自己完結する」様々な表現を1960年頃から展開し、シルクスクリーンやオフセット印刷による作品としてギャラリーで展示していたという。

 当たり前の話だが、いまと当時ではポスターを1枚つくるのも難易度が大きく異なるだろう。例えば、ピラミッドのシリーズは1970年代の作品だが、考えてみてほしい、Windows 95が登場するより20年以上前だ。大きな三角形をひとつつくるのだって、ソフトウェアで簡単に描けるわけでもなければ、グラデーションツールがあるわけでもない。現代のわたしたちは忘れがちだが、高精度な幾何学図形もすべて手描きだったのだ。コピー・アンド・ペーストなどない時代に、同じ三角形というモチーフに向き合い続けた理由は明確にはわからないが、表現の実験をし続けた人だったのだろうというのは、作品群を見ていると感じる。

 先述の通り、現在「ISSEY MIYAKE GINZA / 445」では三澤遥氏による展示が開催中である。田中氏はピラミッドシリーズで三角形という形状に対して、カラーバリエーションやパターン、モチーフの組み合わせなどで様々な可能性を探っていたが、三澤氏のプレゼンテーションは、それを受けた返答をしているようにも感じられる。「自分だったら、こんなふうに三角形と戯れますよ」とまるで語りかけるように、三角形の持ちうる色々な動作を、小さなトレイの世界のなかで次々と提示している。三角形で多様な表現を試みた田中氏と同じように、三澤氏は動きの可能性を探る。繰り広げられるふるまいを眺めていると、人の想像力の端から端までを走り回って、実現可能なものを抽出していった過程が見えてくるようだ。

三角形で多様な表現を試みた田中一光の作品とIKKO TANAKA ISSEY MIYAKE No.6 © ISSEY MIYAKE INC.

 会場には忠実に色が再現されたポスターも並んでいる。一つひとつを眺めると、網点の使い方や流線型の色の境目など、一瞥しただけでは見逃すようなポイントがいくつもあることに気づける。

会場に並んでいる忠実に色を再現したポスター © ISSEY MIYAKE INC.

 田中氏のグラフィックは、イッセイ ミヤケのデザインチームによって再解釈され、衣服という新しいかたちを与えられた。No.6の特徴は、これまで以上に多様な素材や技術が用いられ、衣服やバッグに昇華されている点だろう。色や柄の再現に留まらず、まるでポスターの世界観が構造的な奥行きを帯びたかのような協業が実現している。平面の布から立体的な衣服が立ち上がる「一枚の布」というイッセイ ミヤケのコンセプトが、田中一光氏の平面作品との間でも新しい関係性を結んでいるようにも感じる。

Photo by Henry Leutwyler
Photo by Henry Leutwyler

 デザイナーとして活躍した田中氏のエッセイのなかで、グラフィックアートについて言及している箇所がある。

デザインは目的や機能が全面に押し出されているので、これが自分なりの解決法だということで常に客観的であり、それが自分の本質の隠れ蓑になってくれるのだが、絵や版画というものはそうはゆかない。素ッ裸を人に観られているような、耐えがたい羞恥心に襲われる。才能も人間も隠しようがない。それが恥ずかしい。
──『デザインと行く』田中一光 p.52。

 素ッ裸を見られるような羞恥心と表現されたような作品群が、いまこの時代に人の身体を覆う衣服という存在に改めてなっていることを知ったら彼はどう思うだろうかと笑ってしまったが、デザインとアートの関係はいつの時代もどこか似ているのだなと感じる一節だ。デザインで一時代を築いたクリエイターの「恥ずかしい」というストレートな表現が、なんだか(僭越ながらも)可愛く感じてしまう。

 今回の展示は、イッセイ ミヤケとクリエイターとの協業やものづくりへの探求を発信すると同時に、三者のクリエイターが様々なメディアを超えてピラミッドシリーズという三角形に向き合った機会でもあると言えるだろう。時代を超えたクリエイター同士の協業と対話を見ているような、そんな気分にもなれる場所だった。

編集部

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