2021年9月に発表された「TYPE-II Tatsuo Miyajima Project」の新シリーズが、「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(エイポック エイブル イッセイ ミヤケ)」から発表された。デザインチームを率いる宮前義之、現代美術家の宮島達男、そして、メインヴィジュアルでモデルを務めたダンサーの辻本知彦の3名に話を聞いた。
1970年にイッセイミヤケを立ち上げた三宅一生は、仕事を始めたころから服づくりをするうえで「A piece of cloth(一枚の布)」という大きなコンセプトを掲げていた。2000年には、コンセプトの頭文字をとったブランドA-POCを立ち上げたのだが、その理念を現在に受け継ぎ、2021年にスタートしたのがA-POC ABLE ISSEY MIYAKEだ。
2011年から19年までISSEY MIYAKEのデザイナーを務めた宮前義之を中心に、新たな服づくりを志向し、未来への展開を目指すA-POC ABLE ISSEY MIYAKE。昨年に引き続き、この3月にシリーズ第2弾としてアーティスト・宮島達男との協業が再び行われた。「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という3つのコンセプトをベースに、デジタルカウンターなどを用いて時間や死生観を表現してきた宮島達男の数字が再び服に刻まれる。また、メインヴィジュアルには日本人男性ダンサーとして初めてシルク・ドゥ・ソレイユに起用され、数々のミュージックビデオなどにも登場するダンサー/振付家・辻本知彦(「辻」は一点しんにょうが正式表記)を抜擢した。宮前、宮島、辻本が、本プロジェクトに込めた思いと、制作を通じて得たものを語ってもらった。
極彩色の表現からニルヴァーナを読み取る
宮前義之 僕が三宅デザイン事務所に入社したのは2001年ですが、いま仕事をするなかで過去、現在、未来ということをすごく意識することが多く、1970年に仕事を始めた三宅の「一枚の布」という大きなメッセージをきちんと伝えていきたいという思いが強くなっています。そこで、宮島達男さんの作品制作における3つのコンセプトが、いま自分がA-POC ABLE ISSEY MIYAKEを通じてやっていきたいことと強く結びつくと感じ、2021年に「TYPE-II Tatsuo Miyajima Project」でご一緒させていただきました。
そして今回の新シリーズは、数年前に京都市京セラ美術館にお話をいただいたこととも関係しています。今年の3月9日から「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート」(京都市京セラ美術館、〜6月4日)という展覧会が開催されるのですが、数年前に出展のお声がけをいただきました。展覧会に向けて、京都が伝統を大切にしながらもつねにイノベーションを続けている街であり、京都の職人さんと一緒に新しい素材づくりをして、京都が持つ革新性を伝える計画を立てました。そこで、捺染技術という伝統的なプリントの技法に新しい価値をつくり出せないかと考え、「一枚の布」に服のパーツとデジタル数字の柄を設計することにしたのです。樹脂の研究もし、異なる素材をボンディングした素材にスクリーン版を重ね刷りして、カラーで数字を表現する今回のブルゾンが生まれました。
──前回のモノクロの表現から一転して、非常に鮮やかな色でデジタル数字が表現された新シリーズに宮島さんはどのような感想をもたれましたか。
宮島達男 前回のコラボレーションのあと、カラーで再びコラボレーションをやりたいという話は聞いていましたが、これだけヴィヴィッドな色で表現されることは予想していなかったのですごく驚きました。私も版画作品を制作するからわかるのですが、同じ「8」というスクリーンの版の数字をマスキングしながら、ひとつずつ数字を変えて色を載せ、洗って、と繰り返し、膨大な作業量で丁寧に仕上げていることが実際にものを見るとよくわかるんです。京都の職人を口説いて、この1着のブルゾンを完成させるというパッションには感銘を受けましたね。
──「TYPE-II Tatsuo Miyajima Project」のコンセプトとして「時をまとう」を表現していると話されていましたが、さらに京都の伝統技術によって異なる時間が加わった印象です。
宮島 京都の職人技術には伝統がありますから、何百年という時間の蓄積があるわけです。時間の継承があり、今回の新たなチャレンジもあり、さらなる時間の積層が実現した。何版も刷りを重ねて完成した1着の「時をまとう」には、前回からのプラスアルファが生まれていると感じました。
宮前 最初に宮島さんにテスト版のブルゾンをお見せしたときは、スクリーンの版を少しでも減らしたかったので、サイコロを振ってランダムに数字を決めるというプロセスを省略して、デザインとしてバランス良く見えるように数字を配置したのですが、見事にそれを言い当てられてしまいました。宮島さんは数字を無作為に選ぶことが重要だとおっしゃられ、それを聞いた僕たちもハッとしてすべてやり直しました。そうすると、同じ色にたくさんの数字が出る場合もあるいっぽう、ひとつの数字だけを刷る版も出てくるので、結果として版の数が30を超えました。
宮島 版を刷る職人さんを説得するのにすごく時間がかかったんじゃないですか?
宮前 おっしゃる通りです(笑)。しかも、今回はイエロー、マゼンタ、シアン(黄、赤、青の三原色)という色のシリーズから始めて、さらに色数を増やしたマルチのシリーズもつくることにしたので、黒のベースに色を載せるのがすごく大変でした。なかなか色が載りにくいので、結果として32版×2の64回刷る必要が出たのですが、それだけの重ね刷りの必要性を職人さんに説明して、納得していただくプロセスなくこの完成度には達しなかったと思っています。
宮島 たしかに最初に見せてもらったときは、色が浅かったんです。しかし、完成したこのブルゾンはすごく色がヴィヴィッドで、極彩色と呼べるほどです。仏教でいうところの「ニルヴァーナ」ですよね(注:涅槃。再生の輪廻から解放された状態であり、解脱や寂滅なども同義とされる)。いまも日光の陽明門などには残っていますが、昔の仏教寺院というのは極彩色だったんですね。何を表現しているかというと、生死(しょうじ)の向こう側の世界。つまりは、あの世です。このブルゾンは「時をまとう」を表現しているわけですが、今回の新作では、色を使うことによってさらに時間を超えたニルヴァーナも表現されていると感じました。
ヴィジュアルで表現された「時をまとう」
──この新作シリーズのメインヴィジュアルでは、振付家でダンサーの辻本知彦さんによる動きのある表現が、写真家の吉田多麻希さんの撮影によって実現しました。どのような経緯でこのプランが生まれたのでしょうか。
宮前 生地をつくって服のかたちができても、じつはまだ完成とはいえません。やはり服というのは、最終的に着る人がまとって初めて完成します。三宅がずっと大切にしてきたのもその考え方で、「つくり手半分、受け手半分」とよく言っていました。服を100パーセントすべてデザインするのがデザイナーの仕事だというイメージがあるかもしれませんが、僕はそうではないと思っています。余白のようなものが大切で、着る人に服を自分のものにしてもらうことで服が生きてくる。宮島さんと仕事をさせていただき、ひとつの服ができ、次の段階では、それを身体でどう表現して伝えていけるかを考えます。辻本さんのいろいろな活動を見ていると、ダンサーとしてあらゆるものと関係を結びながら、つねに変化を続けていることがわかります。それは、宮島さんのコンセプトともつながると感じ、今回のビジュアルのモデルを辻本さんにお願いしたいと思いました。
辻本知彦 撮影前に宮前さんからブルゾンのコンセプトや、完成するまでのプロセスを教えてもらいました。本当に撮影の過程そのものがコンセプトとリンクしているんですよ。1枚の写真に複数の僕が写っているんですが、それは合成ではなくブルゾンを本当に1枚ずつ着替えて多重露光のように撮影しています。デジタルで色を変えたらいいんじゃないかと最初は思ってしまうけど、それだと意味がまったく変わってしまうということで、なるほどと思いました。そのため、完成するヴィジュアルをイメージしながら、重ねることを前提に動きをつくりました。そのプロセスこそが大切だと、撮影しながら実感しましたね。
宮前 撮影を担当した吉田多麻希さんの頭のなかに、こういうことをやりたいという設計図があって、それを辻本さんにお伝えしたと思うんですけど、ただ言われた通りに動くだけではなく、理解して自分の動きにしてくださったと感じました。
辻本 理解せずにただ動いて撮影されてしまうと、たとえ出来上がった写真が良いものになったとしても、嫌な撮影だったと記憶してしまいます。だから、撮影する吉田さんがどういう動きを望んでいるのか、服をつくった宮前さんがどういう意図をデザインに込めたのか、そういう話をできるだけ聞いて撮影に臨みました。
宮島 でき上がったビジュアルからは、辻本さんのそうした思いが伝わってきます。身体がもっているオーラや心みたいなものが写真には現れるんですね。本当に正直に、ご自身の身体で表現しているので、見ていて嘘がないですよね。
辻本 宮島さんにそう言っていただけるのは光栄です。いままで生きてきた身体を、自分が理解したコンセプトに素直に乗せることが一番大切で、それを心がけました。結局心が乗っていないダンスは良くないんですよ。
──今回の撮影と舞台でのパフォーマンスには、どのような違いがありましたか。
辻本 気持ちを動きに反映させるということは一緒だと思いますが、見せ方は全然違いますよね。写真であれば瞬間を切り取るので、その瞬間に集中する必要がありますし、映像であれば、フレーム数に合わせたスピードで動く必要があります。
宮島 「時をまとう」というテーマがあるので、身体がまとうことで完成する服だということがメインヴィジュアルで表現できました。パフォーミングアーツは音楽と同様に「時間芸術」と呼ばれますよね。今回のメインヴィジュアルも、動きや時間を平面で表現したエドワード・マイブリッジの写真に類似していると思います。いっぽうは動きの軌跡を3カット組み合わせて1枚に収めていて、もういっぽうは身体の瞬間ごとの美しい表現を分解し、経過を並べることで全容を見せている。非常に高度でアーティスティックな仕事をされています。
宮前 (三宅)一生さんがずっと言っていたのが、人の身体こそが究極的に美しいということです。辻本さんの身体能力で駆けて跳ねることが、本当に美しいと感じました。コンセプトを理解した吉田さんがそれを引き出してくれて、普通のファッション写真とはまったく違うものをつくることができました。
異分野の協業で広がる表現
──吉田さんの写真表現、辻本さんの身体表現と結びつき、「時をまとう」というコンセプトから時間を表現することの多層性が派生したのだと理解することができました。
宮前 もし自分だけですべて考え、自分の意図ですべてをつくろうとしたら、バランスはとれるかもしれないけど、それ以上でも以下でもなくつまらないものしか生まれないと思うんです。ヴィジュアルに関しては、吉田さんがコンセプトを理解してくださったので、撮影プランはほぼお任せしました。僕たちがチームで仕事をするときも、大きな行き先は最初に決めますが、あとは、つくるプロセスで生まれるものを取り込んで、そうすることで見えていなかった場所に行けると思っています。
辻本 僕も今回は刺激が多かったですし、他業種の方からお話を聞くのはすごく好きなので、今日も何かを持ち帰りたいと思いながら取材に来ました(笑)。例えば、宮島さんが心と身体の動きの話をされましたが、ロボットダンスってありますよね。心のない機械のように見えるダンスですが、素晴らしいロボットダンスを見せるダンサーは、自分に心があることを理解したうえで、心を消して動き出し、心を消して止める、ということを繰り返しているんですよね。宮島さんの話で、そのことに気がつきました。機械的に動けるように練習するのではなく、心を消す練習をすることで見えてくるものがあるんですね。
宮島 今回は宮前さんの、ヴィヴィッドな色の表現からニルヴァーナを感じましたが、昔、ワシリー・カンディンスキーが美食家が美味しいものを食べて幸せになることに似ていて、色は感覚的な幸福感や喜びを生み出すものだと言っていたことを思い出しました。極彩色には、生死も時間も超えた本能的な感覚を覚えるので、ニルヴァーナと結びつくのでしょうね。また、辻本さんがパフォーマンスをしたメインヴィジュアルからは、時間の積み重ねという重量と質が写真に込められているのを読み取ることができました。共同で何かをつくると、こうして色々思い出したり考えたりするきっかけになりますよね。
宮前 京都市京セラ美術館での展覧会では、今回のメインヴィジュアルをバナーのように大きな1枚の布にプリントして展示をする予定です。また、ブルゾンになる前の1着分の情報が全て入ったテキスタイルや、制作工程に迫った動画作品等もご覧いただけます。日常では味わえない特別な体験を生み出せたらいいなと考えています。ぜひ、多くの人に訪れてほしいですね。