2019.6.12

「思ヘバ悲シ、我々勤労者ナリ」。世界が注目する炭坑画家に迫る映画『作兵衛さんと日本を掘る』をチェック

2011年5月25日、名もない炭坑夫の描いた記録画と日記697点が、日本初のユネスコ世界記憶遺産に指定された。その作者であり、幼い頃から福岡県の筑豊炭田で働いた生粋の炭坑夫・山本作兵衛(1892〜1984)をテーマとした映画『作兵衛さんと日本を掘る』が、東京・ポレポレ東中野にて公開中(福岡、大阪、京都、兵庫など順次公開予定)だ。作兵衛の絵さながらに働いた人々の人生や、作兵衛を知る人々の証言を通じて見えてくる、この国の過去と現在、未来とは?

『作兵衛さんと日本を掘る』より ©Yamamoto Family
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 2011年5月25日、名もない炭坑夫の描いた記録画と日記697点が、日本初のユネスコ世界記憶遺産になった。暗く熱い地の底で、石炭を掘り出し運ぶ男と女。命がけの労働で、日本と私たちの生活を支えた人々の生々しい姿を描いた作者が、山本作兵衛(1892〜1984)だ。

『作兵衛さんと日本を掘る』より ©Taishi Hirokawa

​ 作兵衛は福岡県の筑豊炭田で、幼い頃から働いた生粋の炭坑夫。自らが体験した労働や生活を子や孫に伝えるため、60歳も半ばを過ぎて制作を開始。専門的な絵の教育は一度も受けておらず、2000枚とも言われる絵を残した。

 作兵衛が炭鉱の記録画を本格的に描き始めたのは、石炭から石油へというエネルギー革命で、国策により炭鉱が次々と消えていくさなかであった。その裏では原子力発電への準備が進んでいたが、作兵衛は後の自伝で「底の方は少しも変わらなかった」と記している。 

『作兵衛さんと日本を掘る』より ©Yamamoto Family
『作兵衛さんと日本を掘る』より ©2018 オフィス熊谷

 その言葉から半世紀が経ったいま。作兵衛が見続けた「底」はいまも変わらず、私たちの足元にあるのではないか? 映画『作兵衛さんと日本を掘る』は、作兵衛の残した記憶と向き合い、その絵さながらに働いた元女坑夫の人生や、作兵衛を知る人々の証言などから構成される。

 監督の熊谷博子は、本作を完成させるのに丸6年を費やしたという。「皆が富裕層の番犬でアリ・・」「大国ほど原爆実験に大童(おおわらわ)ではないか」など、社会の動きと庶民の思いが正直に記された、作兵衛の記録画と日記。熊谷が「明治、大正、昭和初期の炭鉱の姿だが、じつはいまを描いているのではないか」と語るそれらの作品からは、この国の過去と現在、未来が見えてくるだろう。

『作兵衛さんと日本を掘る』より ©2018 オフィス熊谷