つねに映像を扱いながら、絵画やドローイング、立体、パフォーマンスといった複数のメディアと手法を交錯させる作品を手がける泉太郎。2017年のパレ・ド・トーキョー以降、数々の場所で個展を開催してきた泉は、一貫して「見ること」「見られること」「見えないこと」の関係について問いを投げ続けてきた。
現在、東京・麻布十番のTake Ninagawaで開催中の個展「コンパクトストラクチャーの夜明け」では、20年6月にバーゼルのティンゲリー美術館で開幕する個展に先駆け、これまで撮り貯めてきた映像を用いた新作インスタレーションを発表している。本作は、泉が様々な展覧会に際し、宿泊したホテルの部屋でひとり実践し続けていた実験のひとつだ。会期は4月25日まで。
泉は、顕微鏡や望遠鏡の発明により、人間が視覚的に物事へ近づく術を手にして以来、私たちはいまだにカメラのレンズ越しに世界との距離を測り続けていると指摘。そのうえで映像の 「編集され続けること」つまり「映画はカットの数だけ異なる時間に撮影された映像を列べることで辻褄を合わせ」ている点に着目。この特性から出発した泉は、新作では撮影と編集を同時に行い、映像のなかにいくつかの時間を並走させた。
その活動は、参加者や場所、方法論を固定せず流動的に継続されるもの。展覧会のたびに新たに編成するという制作チームは、制作において不可欠となる「内臓」として機能するという。このような制作体制に対して、「コンパクトストラクチャー」は、編集機材を介在せずフィジカルに編集されており、多方向に向けて並走する作家の思考を示すドローイングに似たプロセスを持つ。それは「内臓」というかたちをつくる前段階の「スープのような状態」にあるという。
「プロセスの扱いについて考えることは映像や画像と人間の関係について考えることにつながる」と語る泉。本展は「見ること」と「つくること」の関係を問い直すいくつかの実験として、泉の思考プロセスを読み解くための視座を与えるのではないだろうか。
本作は、泉がホテルにてテレビに映像を映し、その前でアクションを起こし、ビデオカメラで撮影。そして撮影した映像をテレビに映し、またその前でアクションを起こして撮影し、それをさらにテレビに映し、ということを何度か繰り返すなかで生み出された。ほとんどのアクションの内容は光や風、リモコンや影、物体を使ったものであり、直接テレビモニターに触れるような行為ではないという。それぞれのアクションは別の時間に行われているものの画面上で重なり並走し、行為が行われた時間の前後も曖昧となっている。
行為を重ねることで抽象化されたものや、映像と世界との関係を問うようなシンプルなものまで、様々な生態を見せる本シリーズは、いずれの映像も、ビデオカメラとテレビの間を行き来する間に成長して息づくような姿を明かす。泉は、編集行為について、「映像を平坦に整えて支配してしまうような行為に思う」とコメントしている。