作品が「生き続ける」ということ
──イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、王さんの作品について論考を執筆しています。彼は、あなたの絵画が「どこか」であると同時に「別のどこか」でもあり、そこでは生成と消滅がつねに起こっていると論じています。こうした色やかたちのあいだに生まれるダイナミズムを、ご自身はどのように捉えていますか?
王 アガンベンの文章は、私自身がそれまで明確には意識していなかった作品の特徴を指摘し、これから自分がどの方向へ進んでいくのかを考えるひとつの扉を開いてくれました。彼が私の絵画について使った重要な言葉のひとつが、「事件」です。
「事件」は、ひとつのものだけで完結するものではありません。何かが起これば、その影響は周囲へと波及していく。絵画でも同じように、ひとつの視覚的な実体と、もうひとつの実体が作用しあうことで、そのあいだにひとつの「事件」が生まれます。重要なのは、それぞれの色やかたちそのものだけではなく、その「あいだ」で何が起きるのかということです。そこにはエネルギーの場が生まれ、それが画面全体へと広がっていきます。
その意味で、「空白」や「距離」も重要です。コロナ禍で人と人が隔てられたとき、私自身、むしろ他者との交流や光、生命の感覚を強く必要としました。距離があるからこそ、相手の存在が見え、そのあいだに交流が生まれる。私が制作で考えている「衝撃」も、そうした関係とつながっています。

だから私は、画面の色やかたちを細部まで描き込み、「これは何である」とひとつの意味に固定しようとはしません。固定されていないものと、もうひとつの固定されていないもの。そのあいだに生まれる「生気」を追求したいのです。
中国には、万物が「無」から生まれるという考え方があります。何もないように見える空白も、何も存在しない場所ではなく、そこから新たなものが現れる可能性を持っている。私にとって絵画とは、色やかたち、そしてそのあいだの空白から、何かが絶えず生まれ続ける場なのだと思います。
──最後に、長いキャリアを経た現在、アーティストとしてどのような作品を目指していますか? ご自身にとって理想的な絵画とは、どのようなものでしょうか?
王 私にとって、芸術家の創作におけるもっとも理想的な状態とは、作品が「永生」することです。作者の手を離れたあとも作品が生き続け、見る人と関係を結び続ける。それが理想です。
そのことを強く考えさせられたのが、マーク・ロスコの作品でした。彼の作品には、明確な内容も、物語も、特定の主題もありません。しかし、そこからは絶えずエネルギーが発せられ、見る人とのあいだで交流が続いているように感じます。作品がそのような状態に到達することこそ、芸術家にとってもっとも理想的なのではないかと思いました。

私はロスコの作品を何百点も見ましたが、その経験は非常に大きな衝撃で、帰ってから何週間も眠れないほどでした。そして、自分自身の進む道を改めて考えました。「自分は自分自身の言葉で作品をつくることができるのか」と。
私にとって理想的な絵画は、ひとつの物語や意味に閉じられるものではありません。作品そのものがひとつの生命を持ち、私がそこにいなくても見る人に語りかける。見る人もまた、自分の経験や時間を持って作品と向き合い、そのあいだに新しい関係が生まれる。そうして作品と人とのエネルギーの交換が続いていく。その状態が、私の言う「永生」です。特定の時間や場所を超えて、作品そのものが生き続けるような絵画をつくる。それが、いまも私が追い続けている目標です。

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