──私も小花模様は好きですが、そこには少女的なイメージがある。フェミニンな模様に隠された歴史に再生と力強さのストーリーがあるのはおもしろいですね。鏡の万華鏡のような《Relation of the parts to the whole》についてはどうでしょう。

安規子 鏡は本来、自分の姿を見たり、確認するためにありますが、この作品では、正面に立つと自分の姿が見えにくくなるよう構成しています。離れていくと、分断された自分と周囲の空間がだんだん見えてきます。ただし、鏡と鏡の隙間の部分は、想像で補って全体像を捉えるしかありません。60兆個もの細胞で人体が構成されていることを意識してみるように、個としての自分と、全体としての広大な世界の関係を想像しとらえてみる、そのような意味を込めたタイトルになっています。
──鏡があれば視覚的に自分自身を見られるわけですが、水鏡のような不鮮明な反射像しかない時代にはどうでしょう。身体感覚を澄ませて内側から自分の存在を認識する方法があって、それを内触覚と呼ぶ。自分自身の内なる身体意識、内触覚と、鏡に反射されて見える身体表面の視覚像との関係が、この作品の前ではゆらいできますね。
安規子 そうですね、想像で思い描く自分の姿も虚像ですし、鏡像も実像とは異なります。自己の認識と実体感の関係は、彫刻を学んだ私たちにとって大変興味のあるテーマです。突き詰めていくと、「自分とは何か」という問いにもつながっていくと思います。
政子 その自己を感じているリアリティと鏡に見えることの差異が作品に表れているのかな、と思いました。作品と向き合って、そうしたところにまで想いを馳せてもらえたらうれしいです。
──はかないイメージが太陽光と時間の堆積によって紡がれた《Ultra-violet ray drawing》も、いまの時代へのメッセージを感じさせます。
政子 じつは10年ほど前につくった作品で、藁半紙の上に図像の型を置いて100日くらい太陽光に当てたものです。当時はうまく図像が浮かび上がらず、失敗したと思っていたのですが、時を経て紫外線がじっくり紙繊維に影響を及ぼし、いま見る図像が現れました。
安規子 脆い性質の素材と自然光、そして時が形作ったこの作品は、自然の変容そのものを包含するためいつまでこの状態が保たれるか予測できません。強靭で圧倒されるモニュメンタルな作品とはかけ離れた、細やかで危うい性質を持つこの作品の在り方は、現代に必要な気づきがあるのではないかと思います。
──全く違う世界の見え方がすぐ近くにあると、《Memory colour》は教えてくれる作品ですね。お互いにどんな見え方をしているのか、確かめることはできないけれど、違いを意識しておきたいです。
政子 どの作品もそうですが、私たちは自分たちの感覚を頼りに、一つひとつ我が身で確かめながら制作をしています。《Memory color》では、白黒印刷された写真に着色をほどこすなかで昆虫の目になりきることもありますし、《Timepiece》では、石や砂を積み上げていく作業は巨人になったような不思議な身体感覚になることもあります。制作の過程で異なる視点を想像力によって広げていくと自然や環境への理解も変わってきます。
安規子 パッチワークの作品では、光が何万光年もの時を超えて私たちに届くその時間を想像しながら、膨大な生地の破片を縫い合わせていくこともあります。そうした制作過程は楽しいですね。制作を通じて私たちが経験した感覚は作品にあらわれているはず、と信じています。



















