2024.2.16

CCBTとExploratoriumが目指す「学び」のかたち。アートを超えて拡張するラボの力を探る

アートとデジタルテクノロジーを通じて、人々の創造性を社会に発揮するためのラボ型文化拠点、シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]。同施設の伊藤隆之、廣田ふみが、ラボ型拠点の先例と言えるサンフランシスコの「Exploratorium」のラーニングデザイナー・松本亮子と、ラボの力と将来像を語る。

文・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) 撮影=手塚なつめ

左から松本亮子(Exploratorium)と伊藤隆之、廣田ふみ(ともにCCBT)
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 東京・渋谷のシビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]は、アートとデジタルテクノロジーを通じて、人々の創造性を社会に発揮するための活動拠点だ。

 このCCBTでは、世界のラボ型文化拠点における活動を紹介するCCBT Meetup「ハロー!ラボラトリーズ!」が定期的に開催されている。2022年2月に開催されたVol.1は「ラボで駆動する、世界の文化拠点」と題し、都市再生の中核を担うイギリスの「Watershed」、テクノロジーの民主化を試みるオランダの「Waag Futurelab」、芸術文化による継続的な実験に取り組む台湾の「C-LAB」の活動を紹介。

CCBT Meetup「ハロー!ラボラトリーズ!」Vol.2

 そしてVol.2では「時代に呼応する、世界の文化拠点」をテーマに、アメリカ・サンフランシスコの「Exploratorium」、ドイツ・ドレスデンの「HELLERAU」、インドネシア・ジャカルタの「ARCOLABS」からスピーカーを迎え、各拠点の歴史や取り組みを紹介する活発なセッションとなった。終了後、本セッションに合わせて来日した「Exploratorium」のラーニングデザイナー・松本亮子と、CCBTの伊藤隆之、廣田ふみとともに、セッションを振り返りながら改めて「ラボ」について考える鼎談を実施した。その内容をレポートしたい。

左から伊藤隆之、松本亮子、廣田ふみ

──1969年設立、長い歴史を持つ「Exploratorium」より、松本亮子さんをお呼びしました。2022年にオープンしたCCBTと比べると長い歴史の違いがありますが、初来訪の松本さんはCCBTに来てどのようなことを感じましたか?

松本 今回のMeetupに合わせてExploratoriumの歴史をまとめてみた後なのでなおさらですが、非常に似ていると思いました。Exploratoriumはまず場所とビジョンはあったものの、細かい部分については決まっていなかったので、とりあえず開館して、その後で議論や経験を通じて柔軟に方向性を決めるという姿勢で進めてきました。CCBTにも同様の姿勢を感じました。

松本亮子

伊藤 私は前職が山口情報芸術センター[YCAM]で、そのあとCCBTのオープン時から携わっているのですが、前職でも現職でもExploratoriumからは強い影響を受けていました。実際にExploratoriumを訪れたこともあるのですが、やはり「これだ」と思うところがあり、その価値観はYCAMにもCCBTにも受け継がれていると思います。

伊藤隆之

松本 Exploratoriumも、50年前に出来た当初は地域の人にとっても本当に何をするところなのかわからなかったはずです。いまでこそサイエンス・ミュージアムと名打たれていますが、そもそもコレクションをもっていないので、当時は全米ミュージアム協会に入れてもらえなかったくらいです。美術館/博物館でもなければ教育機関にもなれず、だから支援も取り付けづらかった。現在ではサイエンス・ミュージアムのパイオニアと言うべき存在ですが、過去にはそういう時代もありました。

廣田 今日、松本さんのトークを聞いて、本当にExploratoriumのビジョンがはっきりしていて驚いたのですが、やはり最初は自分たちが何者かを語る言葉がなくて苦労していたわけですね。CCBTとは何かを伝えることの難しさは、然るべきことではあるのでしょう。

廣田ふみ

──「似ている」という印象は松本さんのご指摘のとおりでしたが、いっぽうで廣田さんは「CCBTとは何者か」ということの伝えにくさも感じている。Exploratoriumを擁するサンフランシスコのように、ラボという施設の必要性を社会が認識するには日本ではまだハードルが高いように感じます。社会のなかでどういったことが必要なのか、松本さんにご意見をいただきたいです。

松本 Exploratoriumには市からの支援はなく、ファンディングや助成金を、自分たちがプロポーザルを書くことで獲得しています。チケット収入に加えて、グローバルスタジオという部門が世界中のミュージアムに展示品を提供したり、ミュージアムの構築を手がけることで収入を得ています。以前は3割がチケット収入、3割がファンディング、残りの3割が寄付といった具合だったのですが、グローバルスタジオができてから、チケット収入を含めた収益の割合が5割ほどに増えました。

伊藤 アメリカだと自分たちでお金をとってきて維持されている施設というのがほとんどですよね。日本ではわずかです。

廣田 アメリカの場合はアートに公共が絡むということがセンシティブではありますよね。独立性を阻害する原因になると。ほかに、松本さんが現地にいって日本とのカルチャーの違いを感じたことはありますか?

松本 生煮えのアイデアをすぐにシェアする(笑)。

廣田 たしかに今日のMeetupでも、松本さんがExploratoriumのカルチャーについて「プロトタイプができたらすぐに観客に向けて展示する」と言っていましたよね。

松本 そうなんですよ。今日つくったプロダクトをすぐに来場者に向けて出したりする。それがすごくおもしろいなと思います。お客さんがいるそばからプロトタイプを設置してみたり、営業時間中に道具や部品を持って館内を動き回るスタッフの姿を見るのは日常茶飯事です。

Exploratorium

──今日のmeetupではExploratorium以外にもドレスデンの「HELLERAU」とジャカルタの「ARCOLABS」のトークもありました。それぞれの活動について、みなさんはどういった感想を持ちましたか。

廣田 それぞれ規模も体制も違うはずですが、不思議と話のなかで目指していることは同じでしたよね。「シビック・クリエイティブ(人々の創造性を社会に発揮する)」という、CCBTのコンセプトを後押ししてもらっているような印象さえ受けました。

松本 若手のアーティストを大切にして機会を与えるという話もみなさんしていましたよね。それはExploratoriumでも同じです。評価が定まった著名なアーティストを呼ぶよりも、若手のアーティストを招致したほうが協働できるのでいいんですよね。

──機関の規模や所有する施設の大きさではなく、人々の創造性をいかに刺激するか、というところが共通しているということですね。同時に、それを実現するにはそれなりの長い時間も要するということもわかります。

伊藤 そうですね、YCAMでは市の教育担当者と組んで学校の授業のなかに入っていくということを10年ほどかけて試みてきました。最初は面倒くさがられるだけでしたが、段々と市からお願いをされるようになるという浸透ができました。学校は各地にあるので、それを広げていくことも将来的な可能性としてはあるなと感じていました。

松本 大切なのは場所ではなくてアイディアなんですよね。その場所に行かなければ体験できないということではない。Exploratoriumもその歴史のなかで、書籍、映画、ドキュメンタリーフィルムなどをたくさんつくりました。もちろんウェブでも様々な試行をしてインカムのベースを広げていきました。入場料も高くなっていますが、それがネックとなって来られないのであれば、学校や図書館で企画をする。市民のために開かれている場所にアイデアを持ち込むことで広げていくという考え方なんです。

廣田 でも、そのように広げていくためにはそれなりの数の人材が求められますよね。

松本 そうなんです。だからもっとも重視しているのは、エデュケーターを教育することなんです。Exploratoriumのスタッフが直接子供達を教えることもありますが、そのリーチは限定的。むしろ、私たちの学習観にもとづいた方法で教えられるエデュケーターを増やし、彼らが各地の学校や機関でその土地や文化にそった方法でこのような学びを広めるべきなんです。そうすればかけ算のように広がっていきます。そのために教育者の教育ということをとても大切にしています。

廣田 それはとても重要な話ですし、Exploratoriumというブランドの力も大きいのでしょう。CCBTもまた、自身のブランドを強くすることで、教育者になりたい受講者を増やせるようにしなくてはいけませんね。そのためにはどのようなことをしていたのでしょうか。

松本 開館当時、サンフランシスコは新聞をはじめとした地元のメディアが強く、長年にわたりそことの結びつきを強めて認知の拡大をはかったという歴史はありますね。けれど実際には相互に強化する関係だったんですよ。地元紙がExploratoriumの革新性を讃えるにつれ、私たちはメディアで描かれるイメージに合わせて自身を形成しました。そこには地元メディアと密接につながることで、実践と言語化のうまい循環が起こっていて、それでブランドができてきたように思います。

Exploratoriumのプログラム「After Dark: Art x Climate」

──スタッフたちの労働環境などはどのようになっているのでしょうか。

松本 まず、採用にあたってのスタッフの人種や性別などのバックグラウンドのバランスについてはすごく考えられています。とくに多くの女性が働いているということは知ってほしいですね。エンジニアにもディベロッパーにも本当に女性が多い。

廣田 そのあたりは、日本の美術館の課題ですよね。雇用される職員の職種に隔たりが大きく、専門性については外部への業務委託契約で回しているところがとても多い。

伊藤 旧来の美術館や博物館の制度をそのまま持ってきているので、CCBTのような新しいことを試みるラボに適した役職がないというのも課題ですね。そういった根本的な制度理解と整備は今後取り組むべきことだと思います。

松本 それでも東京都歴史文化財団のような公的な組織が、CCBTのような施設を運営することには大きな価値があると言えますよね。

廣田 いまだ作品ありきというアートの認識が支配的ななか、CCBTの取り組みを広く伝えることの難しさもありますよね。Exploratoriumは本国ではアートの施設だという認識をされているのでしょうか?

松本 あまりアートの施設とは認識されていないと思います。アートである前に学びのための機関なんですよね。学びに人々を引き込んでいくための手段というか、実際に手を動かし直接的にセオリーを会得していくための方法のひとつがアートなんです。

伊藤 YCAMに勤務していたときも、たしかに「これはアート」「これはアートではない」といったことは意識していませんでしたね。アートだと解釈できればいい、といったレベル感で。

廣田 その点では、CCBTという名称は良かったと思います。新しいアートは、アートという枠組みの外側から生まれてくるのかもしれません。

松本 アウトプットの方法が異なるだけで、私たちはアーティストも、サイエンティストと同じような「現象の探求者」だと思っています。両者ともに気づきに長けている。一般の人が気づかないようなパターンや仕組みにいち早く気づき、アーティストはそれを実際に体験できる展示品に落とし込むことが非常に上手。ウィットに富んでいたり、メタファーが効いていたり。それが学びのために有効だということなんです。

CCBTで開催された明和電機のワークショップ

──最後に改めて、本日のお話を踏まえてラボならではの強みを聞かせていただければと思います。

松本 日本においては、美術館、アートセンター、芸術祭と来て、次のトレンドにラボを位置づけることも可能なのではないでしょうか。多くの企業においてもラボをつくる動きは加速していますし、狭義の美術ではなく、実験を通して新たな価値を見出す場所として、ラボが求められる時代になっているのだと思います。これはサンフランシスコという土地柄なのかもしれませんが、Exploratoriumも、地元企業とお互いの顔が見えるレベルでのつながりが生まれていますし、日本でも今後はそういった企業との取り組みも加速していくかもしれませんね。

伊藤 CCBTも、アイデアを考える過程や試作品をつくる過程などが可視化される、ラボならではの良さが出ています。過程が共有できるので、アーティスト同士がつながるきっかけになる。まだまだ始まったばかりですが、こうしたラボの良さを、松本さんがおっしゃっていたような企業も含めた外部にも広げていけたらと思います。

廣田 美術史やマーケットを前提に作品を見る楽しみと、つくりながら学ぶ楽しみとは、それぞれ違いますし、両方必要なんですよね。少しずつでも、手を動かして過程を楽しむことを、子供たちもふくめた「シビック(市民)」に届けていければいいですね。