「坂本さんはギリギリまで希望を捨てなかった」
──坂本さんが日記として残した言葉を、泯さんはどういう種類の言語と捉えましたか。
明らかに、音楽の譜面を書くように言葉を書いていたのだと思います。書くときのコンディションをどう表現するのかも考えていたのではないでしょうか。


──すると演奏家として楽譜に接し、解釈したということでしょうか。
聞かされる人にこちらの解釈を付け加えるのは絶対に迷惑なことだと思うのです。坂本さんらしくするためには、僕の言葉に匿名性を持たせる、僕が読んでいることを感じさせないようにと考えました。
──ご自身を消去するということは、誰かになるということでもないわけですね。
映画やテレビの演技に関してもしばしば考えているのですが、セリフは技術で語るものなのか、感情で語るものなのか。日常会話は違いますよね? 本当のリアルは日常の遥か向こうにあるものではないでしょうか。それを演劇というかたちでやるときに、「セリフを語る」とはどういうことなのかをずっと考えているのです。だから面白いですね。
──収録は順調でしたか。
制作陣も含めて皆さんがそばで聞いているわけですが、自分でもやり直しには気づくのです。「あ、これもう一回だ」ってね。だからそんなに時間はかからなかったですね。
──完成した映画を拝見すると、坂本さんの声と泯さんの声が重なり、2人の坂本龍一がいるような感覚になります。坂本さんを“演じた”ということではないのですね。
全然違いますね。そう聞こえたなら、それは偶然です。
──坂本さんは亡くなる直前まで、自身の身体を音楽として開かれた存在にすることを選んだのかと思います。泯さんはどのように受け止めていますか。
死ぬことがわからないでいるときと、わかるとき──その認識の前後ではだいぶ違うと思うのです。もちろん僕は体験がないから、自分だったらどうするのだろうかと考える。人によってそのあり方は違ってくるし、坂本さんはギリギリまで希望を捨てなかったような気がします。




















