──長野・安曇野の碌山美術館で「森靖展 -Gigantization Manifesto-」が開催中です。高校時代の初期作から最新作までが展示されている本展では、森さんがずっと彫刻という表現形態と向き合ってきたことがよく伝わってきました。本展の開催にあたって改めてお聞きしたいですが、ご自身にとっての彫刻とはどのような表現形態ですか。
東日本大震災のあと、現代美術を学んでいた周囲のアーティストは、いっせいに震災に呼応して作品をつくり始めました。当時、僕は雌雄同体のエルヴィス・プレスリーをモチーフとした《Jamboree-E. P.》(2014)をつくっていた時期だったのですが、周囲の災害の衝撃に向き合うそのスピードについていけなかったことを憶えています。
思うに、彫刻の時間というのは現代美術の時間よりもゆっくり流れている。自分の身体をつかって、削ったり組み合わせたりしているのでスピード感が違うんですよね。もちろん、技術があればコンピューターにアイデアを落とし込んで、それを業者にお願いして立体化するということもできるし、実際にそうやって作品をつくっている彫刻家もいます。でも、自分はそうではない。改めて、何か自分にとって彫刻という表現形態が合っていると感じられた経験でした。
僕は300年くらい後のことを考えていて、そのときにまだ自分の作品が残っていたら、多分細かいコンセプトとかは全部忘れられてしまっていて「ひとりでつくったこと」「それをデジタル技術が浸透した時代につくったこと」といったシンプルな要素だけが残っていると思うんです。そこを突き詰めていこうということは、震災を契機に決めた方向性です。
──彫刻に向きあう過程において、様々な模索があったのですね。
当時の自分のコンセプトの変化を端的に感じられるのが、マリリン・モンローもモチーフとした《Much ado about love - Kappa》(2009)と、ミロのヴィーナスをモチーフとした《3MMM - Melt&messy》(2023)が並ぶ第2展示室でしょう。前者は木のパーツを寄せていて、後者は木の形(なり)を使って制作している。前者はパーツをコンピューターなどで制作すれば、おそらく様々な方法でつくることができるけど、後者は多分、どんなコンピューターでもつくることができない。そこに、自分の考える彫刻のおもしろさがあるんです。
──あれほどの巨大な彫刻をつくるときは、必然的に自分の身体を積極的に使いながら制作しなければいけないと思います。森さんにとって、制作と身体の関係はどのようなものでしょうか。
身体を動かしながら視点を変えて、見方を変えていく。まず、そういった身体性はあるでしょうね。世界中、いまも昔も「かたちをどう見るか」ということが全面に出ている作品はたくさんあります。例えば台湾の故宮博物院にある《翠玉白菜》(18〜19世紀)も、玉(ぎょく)を白菜に見立てて造形するという行為に強さがある。その強さって人間の目と感覚でしかできない立体表現だと思うんです。
僕が制作するときは、重さ2トンほどある木を寝かせて、ごろごろと転がしながら、木を上手く寄せることができる場所を探っていきます。探りながら、次第に自分の視点がどこにあるのかわからなくなる。そうやって探り当てたあとで、自立させられそうな底面を見つけて、巨木を立たせるのですが、そのときはホイストやチェーンブロックといった巻き上げ機とかを使いつつ、手で触りながら行う。そこには身体でしかとらえられない感覚があるように思います。
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