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彫刻家・森靖インタビュー。彫刻の歴史の厚みと向き合いながら巨大な木彫を刻む【2/2ページ】

──第1展示室では碌山美術館のコレクションと、森さんの作品が共演した空間となりました。自身のこれまでの制作と、これまでの日本の近代彫刻の歴史を、どのように共鳴させたのでしょうか?

 構成の基本となっているのは自分の過去作です。高校時代の卒業制作、その両サイドに大学の卒業制作を展示したのですが、この頃は伝統的な人形づくりや工芸の文脈を意識しながら「どこまで自分は彫れるのか」「どこまで生命感やリアリティを出せるのか」といったことを追い求めていた時期の作品です。学部時代までの僕の制作というのは、こうしたスタンスでした。

 当時の僕の作品は、碌山美術館のコレクションとも呼応するものと言えます。例えば、展示室で卒業制作とともに展示してもらった新海竹太郎《お俊・傳兵衛》(1916)は浄瑠璃の『近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)』に題材をとった物語性の強いものですが、同時に明治工芸の傑作である「生き人形」、例えば安本亀八《相撲生人形》(1890)の持つリアリズムとも通じるものがます。こうした、リアリティがつくり出す物語性は、当時の自分の興味に重なっています。また、同じく自作と一緒に展示している高村光太郎の未完の絶作は、彼の息吹が色濃く残っています。同作がもし完成していたらもっと形が整っていたでしょうが、その整っていない、ストロークが残留している感じは、高校時代の自分の作品と似ているようにも思いました。

 高校、大学時代は、僕が近代彫刻をいちばん見ていた時期です。当時からコンセプトをつくるのはほかの人のほうがうまいと思っていたので、違う方向を探っていたんですね。周囲でコンセプトをつくることが声高に叫ばれるなか、コンセプト性の薄い古代から近代にかけての彫刻や絵画ばかり研究していたわけです。

展示風景より、左から森靖《Self-potrait》(2002)、《Sumo Stomp》(2007)、新海竹太郎《お俊・傳兵衛》(1916)

──当時育んだ古典的な彫刻への造詣は、現在の制作にどのように活かされているのでしょうか。

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