杉本博司と千住博が語り尽くす「古美術のすすめ」【3/3ページ】

「時間」「感触」という日本美術の特質

田島 日本とアジアの古美術のおもしろさでいえば、「時間により変化していく」という点も指摘できそうです。たとえば銀を用いて書かれた写経は、時の経過とともに酸化して黒くなっていく。裏に箔を散らした作品は、時が経つと箔の成分が表に染み出てきて、その模様が見るべき「景色」となる。時間が作品を仕上げるということも古美術のおもしろさだと思います。

千住 そうですね、その手法は古美術にかぎらず、現在にもしっかり受け継がれています。私も杉本さんも香川県の直島に作品が置かれていますが、私のほうの《空の庭》と題した襖絵は、銀泥で描いています。時間とともに黒くなっていくのを承知で、あえて用いています。

 「直島に作品を」とお声がけいただいた福武總一郎さんからは、日本から発信する現代アートの可能性を考えてくれとお題をいただいていました。私が思うに、西洋美術が不変の概念を目指してきたとすれば、対する東洋美術には無常という概念が強くあります。常ではないということを一枚の絵で表すにはどうしたらいいか。考え尽くした末、私は銀の背景に森と崖を描くことにしました。銀が変色していくのを通して、日本の美術の本質に無常観があることを示しました。

 設置して数年で銀はどんどん黒くなっていきました。想像以上に早い変化で少々戸惑いました。時の流れはすさまじい。時の流れこそ我々にとって最も大切なものであると、この作品が私に教えてくれました。

2009年完成当時の《空の庭》
撮影=Nacása & Partners Inc.
2024年の《空の庭》

杉本 銀塩写真で作品をつくっている私も、ずっと銀を用いてきたことになりますね。直島には、海辺に雨晒しで設置した作品群があります。私としては銀がどんどん変化していくことを意図していたのですが、定着処理をちゃんとしすぎたのか、いまのところ意外と変化がなくて、少々がっかりしているところです。

 千住さんの《空の庭》が設置されている直島の施設「石橋」を、先日久しぶりに訪れました。黒漆で塗った床のツヤがとれて、たいへんいい感じになってきていますね。

杉本博司
杉本博司ギャラリー 時の回廊の展示風景より、壁に飾られているのは《アイリッシュ海、マン島》(1990)

千住 そのご指摘は大変うれしいです。あそこはまさに、手ざわりならぬ「足の裏ざわり」を重視してつくったので。靴を脱いで屋内へ上がる日本人にとって、足の裏は手のひら同様に高感度のセンサーとして働きます。日本の家屋は足の裏の接触を通して、素材感や温度、湿度など多くの情報を与えてくれるのです。

 杉本さんの建築のお仕事は、いつも素材感や体感を重視していらっしゃると感じます。例えばMOA美術館は、素材の魅力をふんだんに味わえますね。

杉本 MOA美術館の展示室リニューアルは、存分にいい仕事をさせていただきました。展示ケースは屋久杉を用いており、わざと目を立てる「浮造り」という仕上げを施し、素材の持ち味を強調しています。また、展示室の周りに壁を立て、黒漆喰を塗り込めて、ガラスケースへの写り込みを一切なくしました。そこに国宝の野々村仁清《色絵藤花文茶壺》が置かれたさまは、あたかも宇宙空間のなかに壺が浮いているかのようです。

千住 あの環境で対面すると、壺が雄弁に語り出す。まさに宇宙を感じさせます。宇宙とは空間と時間のことで、そのふたつをくっきり浮かび上がらせるのが、美術品の理想的な展示のありようだと思います。

古美術を通して日本を体感せよ

田島 本物に触れ、体感することが、作品を味わうには何より大切というお話だったかと思います。おふたりがとくにお好きな古美術のジャンルや作品はありますか。

杉本 古美術で私がいま一番見たい、また買いたいものといえば、やはり牧谿や馬遠といった南宋の水墨画です。風景などに託して「気韻」のみを表現しようとしていて、見るたびに唸らされます。

千住 南宋絵画には私も思い出があります。大学院に在学中のこと、台北故宮博物院の地下修復室に入れていただいたことがありました。朱色の漆塗りの修復机に南宋絵画が置いてあり、至近距離で覗き見ると、絵画が呼吸しているように感じられました。木の葉の一枚ずつが描き分けられ、しかも葉は緑に、花は赤く薄っすら色が付いていました。ガラスケース越しに遠目に鑑賞していたときにはまったく気づかぬ、こまやかな工夫が凝らされているのを知って、ショックを受けました。最高峰のものはここまでやっているのかと。

 その後、同じく南宋の画家・梁楷の作品を、ある古美術店でじっくり拝見する機会を得ました。そのときも、画中の宇宙的な広がりに感じ入り、言葉を失いました。

 当時の私は西洋絵画に傾倒していましたが、梁楷によって世界の半分しか見ていなかったことに気づかされ、以降自分の作品を東洋美術へシフトさせていきました。

 それにより大きなジレンマも解消されました。西洋美術一辺倒だったころは、それら素晴らしい作品群の「次」を担うことは自分にできないというのが悩みでした。西洋に生まれ育ったわけではない私には、その文化を継げるわけもなく歯がゆかった。東洋美術との出会いによって、自分の創作の方向性が定まり、日本の伝統の「次」をつくるのだという意欲が湧いたのです。

杉本 実物を目の当たりにして初めて、本当の凄みが伝わるということはよくあります。北京の故宮博物院に、馬遠の《十二水図》と呼ばれるものがあります。各地の水辺の光景を描いたものです。私はこれを《海景》を始めたあとに知り、「自分と同じようなことをしている人が、宋の時代にすでにいたのか」と驚きました。たいへん繊細な表現ですから、図版で見るだけではなかなか伝わらないかもしれません。

千住 このところ日本のお寺でも、持っている名品そのものは表に出さず、高度な印刷複製品で代用する例が増えています。様々な事情はあるのでしょうが、複製品はやはり実物とは似て非なるもの。複製を見て「こんなものか」と思われてしまうのは文化的損失です。実物を見る・見せることの大切さを改めて強調しておきたいところです。

甍堂 唐招提寺盧舎那仏光背化仏

杉本 人に模造品を見せて、本物は収蔵庫にしまっておくというのでは、なんのために美術品が存在しているのかわからなくなってしまいます。そんなことがまかり通るようでは、世も末ですよ。

田島 歴史を刻んできた名品の実物と、じっくり対面すべしということですね。「東美特別展」をひとつのきっかけとしていただければと思います。今回は同時開催で「常盤山文庫名品撰 東京美術倶楽部を彩った書画の名宝」と題し、国宝・重要文化財を含む全11点が並ぶ展覧会もあり、一期一会の機会となりそうです。

 最後に杉本さんと千住さんからそれぞれ、「古美術のすすめ」の言葉をいただきたいのですが。

杉本 古美術に触れたことがないとは、日本の真髄に触れていないようなもので、もったいない話です。古美術を通して、日本人がどういう目を持ち長い歴史を生きてきたのかは、やはり知っておいたほうがいいでしょう。

 古美術店へ足を運んでみると、値の高いものばかりじゃなくて民芸的な安いものもありますから、いちど本物に触れに行ってみてください。

千住 古美術を通して日本を体感せよという杉本さんの「すすめ」、その通りだと思います。日本文化には、世界のあらゆる歴史と文化が、流れ込んで溜まっています。日本は西から東へ伝播する流れの終着点だからです。

 多様で国際的な蓄積を一堂に見せてくれるのが日本の古美術であり、日本の古美術を見るというのは人類史を丸ごとたどるに等しいことです。むりにわかろうとしなくてもいいですし、むやみにありがたがる必要もありません。まずは気軽に古いものと対面する機会をつくってみてください。気が合う品ときっと出逢えるはずですから。

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2024.10.04 - 2025.02.10
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