ペインティングは無限の情報を圧縮する。桑久保徹インタビュー
桑久保徹の公立美術館における初の個展「A Calendar for Painters without Time Sense. 12/12」が茅ヶ崎市美術館で開催されている。展示されているのは、美術史に輝く巨匠の人生を1枚の画面に表現し、12枚でつづった「カレンダーシリーズ」。制作を通じて感じたペインティングの可能性について、桑久保に聞いた。
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現代美術として絵画とどう向き合うか。自分のなかに「架空の画家」を想定し、演劇的アプローチで創作することからキャリアをスタートした桑久保徹の公立美術館における初の個展「A Calendar for Painters without Time Sense. 12/12」が茅ヶ崎市美術館で開催されている。美術史に輝く巨匠の人生を1枚の画面に表現し、12枚でつづる「カレンダーシリーズ」が完成し、一堂に会した。
アトリエの壁に名画のカレンダーを掛ける習慣がある桑久保徹は、もっとも長い名画の鑑賞体験を実現するのはカレンダーだと感じてきたという。そこで彼は、美術史に輝く12人の画家を選び、12枚のカレンダーという媒体にまとめようと考えた。その根底にあったのは、日本人である自分が西洋の油絵を描くことへのちょっとしたギャップであり、日本人が西洋の名画を受容してきた西洋美術史との距離感のようなものだという。
個展会場に入ると、1月のカレンダーを彩るのはパブロ・ピカソだ。《パブロ・ピカソのスタジオ》(2017)と題する白黒の作品に描かれた《ゲルニカ》や《泣く女》。遠くには海、数々のピカソ作品とアトリエの様子が組み込まれていて、画家の人生の縮図を1枚の画面に表現する試みを読み取ることができる。桑久保は次のように語る。
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「ピカソは模写をしたときにすごく難しかったんですよ。これを1枚にどうまとめられるかと考えて最初に思い浮かんだのが、学校の美術室の壁にかかっていた《泣く女》で、そこからイメージが広がっていきました。それを多くの人がピカソと聞いて想像する《ゲルニカ》のタッチで、白黒で描くことにしました。とてつもない作品数ですし、画風も多様で難しいので終わらないような予感もしていましたが、描いていると、ピカソも過去から多く学んでいて、例えばセザンヌのサンプリングをしていたり、イタリアで見た彫刻を組み合わせていることを体感できました。もちろんイマジネーションも技術もとてつもないですが、ピカソも突然変異の天才ではなかったわけです。そこには勇気づけられましたね」。
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2月《エドヴァルド・ムンクのスタジオ》(2019)、3月《ヨハネス・フェルメールのスタジオ》(2016)、4月《ジェームズ・アンソールのスタジオ》(2015)……といった具合に、名作に彩られた画家の人生が181.8×227.3センチメートルの画面に描かれている。桑久保がこのシリーズを描き始めたのが2014年のこと。遠景から描き始め、徐々に手前の描写を行ったのちに、マスキングテープを貼りつけておいたいくつもの四角い空白に、巨匠たちの作品を画中画として描きあげる。その手順は早い段階で決めたが、具体的な描写への模索は続いた。「日本人である自分が油絵を描くのは、自らの表現なのかサンプリングなのか」という問いかけから始まって、よりパーソナルな動機でキャンバスに向かうようになったという。
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「最初に完成したのが4月の《ジェイムズ・アンソールのスタジオ》(2015)なんですが、アンソールはもともと自分の描写方法と体質的に遠くない作家だと思っていました。強い色に白を混ぜてパステルカラーにして、ベタっとした筆致で描く感じですね。ピンクのイメージがあったので、4月の桜にちょうどいいとも考えました。アンソールが見た景色を僕のやり方で描き、そこに作品やアトリエを描きこむことで画家の生涯を描く感覚でした」。
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「次に《ポール・セザンヌのスタジオ》(2015)を描いたとき、いろいろ気づきがありました。セザンヌは単純に模写がすごく難しかったというのもあるんだけど、自分のタッチで描いた画面に画家の名作を入れていくのではなく、もっと彼らに近づいて、彼らに寄り添って描きあげたいと思うようになりました。そのためには、対象となる画家のことをよく調べて、背景と作品の模写とのあいだにギャップが生まれないようにすべてを面相筆で描くので、リサーチに1ヶ月、作業には5ヶ月かかかるようになりました」。
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作品内の名画は小さなサイズで描かれたものであっても、たしかに《サント=ヴィクトワール山》であり、《真珠の耳飾りの少女》であり、《星月夜》だ。写真に撮って貼りつけたようなコピーではなく、漫画のようなパロディでもなく、名画を描いた巨匠のいる空間で、その巨匠が描いた作品であると感じさせてくれる絶妙なバランスで描かれている。
残念ながら所蔵元との調整がつかず、《ジョルジュ・スーラのスタジオ》(2018)はモニターでの展示となってしまったが、いずれの作品も、キャンバスの隅から隅までいつまでも目を動かし続けたくなる精度の高さで完成させている。画面の一点がハイライトとなるような作品でもなければ、画中画が浮き上がるような作品でもない完成図を思い描いた桑久保が、精魂込めて絵筆を握り、美術史の巨匠たちの人生に向き合ったことが画面から伝わってくる。「キャンバスへの絵具の“付き”が一番好きな人です」と、11月の《アメデオ・クレメンテ・モディリアーニのスタジオ》(2019)を前に桑久保が話し出す。
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「マグリットも実物を見たときにポスターのように平面的ではなく、マチエールがある画面に驚きを感じた画家でしたが、モディリアーニは実際の作品を見て本当に絵具の色の出方というか、画面への“付き”がカッコいいと感じました。根っからのお洒落さんと僕は呼んでいるんですが、調べていくと、本当は彫刻家として制作を続けたかったように思えます。だけど、体の弱さのせいで途中から絵画に向かったことが理解できて、あとは、女遊びをしていて、酒とタバコと薬をやっていて、みたいなイメージですけど、実際は単純にオーバーワークだったんじゃないかと思っています。若くして亡くなりましたが、あまりに作業量が多くて、本当にずっと絵のことばかりを考えていたはずです。薬も、きっとモルヒネとかで痛みを和らげていたんじゃないかな」。
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リサーチと制作を続けながら、画家が何を見て何を考えていたのか、どのような意識でキャンバスに向かっていたのかを追体験するような感覚だったと桑久保は説明する。そして、伝説のように言い伝えられてきた画家の人生や、西洋の名作絵画の日本での受容、それを受け止めて絵筆に込める桑久保による表現の設計など、いくつもの要素が結合して絵が完成していることがわかる。1枚の画面の視覚表現の背後に、多くの情報を伝える絵画というメディアのポテンシャルを感じさせる展示となった。
「『カレンダーシリーズ』は画家にフォーカスして、その画家の世界観を探っていくような作品だったんですが、制作しながら感じたのは、有名であろうがなかろうが人はそれぞれが自分の世界を持っていて、それらの世界はすべて平等で素敵だということです。僕はそれをなるべく美しい絵として、調和のある状態で表現したいと考えました。ペインティングはメディアとして、塗りや色の出方なども含め、じつは把握しきれないほどの無限の情報が圧縮されたメディアだと思っています。人間というのはスキャナーとしてそれを見て感じる性能がとても高いので、そういったところにペインティングの可能性を感じています」。
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