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いま、ヘルムート・ニュートンを振り返る意味とは? 映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』監督インタビュー

今年生誕100年を迎えたファッション写真の巨匠、ヘルムート・ニュートン。その人生と作品を、12人の女性の視点から紐解くドキュメンタリー映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』が12月11日よりBunkamuraル・シネマ、新宿ピカデリーほかにて全国順次公開される。本作公開にあたり、監督のゲロ・フォン・べームにいまこの時代にヘルムート・ニュートンを振り返る意味を聞いた。

聞き手=戸田昌子(写真史家)

Helmut at home, Monte Carlo, 1987 (c) Foto Alice Springs, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

──まずこの映画を撮ろうと思ったきっかけは何で、いつのことでしたか?

 ヘルムート・ニュートンは存命であったならば今年の10月で100歳になったわけで、その人生を振り返るのにいい機会なのではないかと思ったのです。彼の作品はとても映画的であり、大きなスクリーンで見せたかった。彼の作品には一つひとつに「物語性」を感じるし、それも映画的です。

Arena, Miami 1978 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

 彼と最初に出会ったのは1997年のことでした。共通の友人を介してディナーで会い、ユーモアや遊び心に圧倒されたんです。もともと彼の作品は知っていましたから、この出会いをきっかけに「映画をつくりたい」と思いました。しかし最初は「NO」だったんです。作家は制作現場を撮られたくない、自分ですべてをコントロールしたいという気持ちがありますから。でも長年友情を育むうちに実現できました

撮影風景 (c) Stephanie Füssenich.

──作品のなかには古い映像もたくさん使われていましたが、自身で撮影していないものも使っているのでしょうか?

 今回は映画の約3分の1がジューンが撮った記録映像になっています。例えばプライベートな空間などはそうですね。

──本作は被写体となった女性たちのインタビューが印象的な映画でした。監督にとって、もっとも印象の残ったインタビューは誰のものでしたか?

 全員ですよ(笑)。どれも素晴らしいインタビューばかりでした。皆、細かいストーリーまで覚えていて驚きましたね。人によっては20年以上前の話なのに。そんなにも彼女たちの記憶に残っているのは、ヘルムートとの撮影が彼女たちを勇気づけるものだったからなのだと思います。

 私は彼女たちをインタビューするにあたり、ひとつのことに興味がありました。それは現場において、被写体として自分を「主題」だと感じていたのか、あるいは「モノ」として感じていたのかということです。これについて彼女たちがどう語るのかに強い好奇心がありました。

Crocodile, Wuppertal 1983 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

──映画では女性たちの多くがヘルムートの撮影によって「力づけられた」と語っていますが、その理由はなんだったと監督は思いますか?

 自分の知らない部分を撮影を通して発見してくれたからではないでしょうか。例えばシャーロット・ランプリングの場合、28歳のときに初めてのヌード写真をヘルムートに撮られています。彼女は「自分の内なる力を見つけさせてくれた。写真がなければ自分のキャリアは違っていたかもしれない」と語っています。それこそが「エンパワーメント」なのだと思います。グレイス・ジョーンズも黒人女性としてエンパワーメントされたと言っています。だからこそ彼女たちは撮影を楽しんだのではないでしょうか。 

シャーロット・ランプリング (c) Pierre Nativel, LUPA FILM
グレイス・ジョーンズ  (c) Pierre Nativel, LUPA FILM

──ヘルムート・ニュートンのドイツ的な側面についてお聞かせください。映画では、ヘルムートの写真にはワイマール共和国時代の芸術の影響がある、と語られています。私はなかでも、ジョージ・グロッスやクリスチアン・シャドなど、ノイエザハリヒカイト(新即物主義)の暴露的、露悪的な絵画表現などの影響を感じます。例えば爪を皮膚に食い込ませる表現などはシャドと共通するものがありますが、そうしたヘルムートの表現におけるドイツ的な側面についてお聞かせください。

 ご指摘の通りだと思います。彼は1920年代のワイマール共和国の美学に強く影響を受けています。彼は当時公開されたモノクロ映画をすべて見ており、もちろんそこからも影響を受けている。ほかにはキャバレーやダンスフロアのあるカフェにも親に連れられて行っており、他者を観察するということが若い頃から刻まれたのだと思います。

 またイーヴァの影響も大きかった。彼女は1942年に収容所で亡くなってしまいますが、世界でも最初のファッション写真家であったことはご存知のとおりです。彼女のもとでヘルムートは写真のすべてを学び、ワイマール的な雰囲気もそこで吸収した。それが最後まで彼の作品には残っていたのです。

Rue Aubriot, Paris 1975 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

──映画のなかでは、ヘルムート・ニュートン(彼はユダヤ人ですが)の作品にはレニ・リーフェンシュタールにみるような、ナチスの優生学的な身体表現が影響を与えていると語られています。ヘルムートの作品におけるリーフェンシュタールの影響について、監督自身の考えをもっと詳しく聞かせてください。

 ナチスの影響については当然考えなくてはいけない要素です。子供は映画や写真などのビジュアル表現に影響を受けるわけで、優生学的な思想にも影響を受けるわけです。彼自身、様々な迫害を受けたユダヤ人であるにも関わらず。作品を見ていても──とくに光の使い方、女性のポージングに──そういった影響が見られますし、それは彼自身も認めていますね。

 でもそうすることが、彼自身の体験との折り合いのつけ方だったのではないでしょうか。若い頃に自分が魅了されたものを捨てざるをえなくなったとき、作品に込めることで折り合いをつけたということなんだと思います。

Self portrait, Monte Carlo 1993 (c)Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

──ヘルムートの作品がスキャンダルとして受け止められた理由についてお聞きします。アナ・ウィンターのインタビューのなかでも、ヘルムート自身が悪い評判を楽しんで受け止めていたと語られていますが、なぜ悪い評判を喜んだのでしょうか? 話題をつくりたかったのでしょうか。あるいは、自身の作品のなかにある「バッド」な部分、悪趣味な部分について、彼が意識的だったからでしょうか?

 単純に彼は遊び心がある、イタズラ少年のような人だったからだと思います。挑発することを喜んでやるような人物でもありましたから。それに悪い評判というのが『VOGUE』の編集者たちに逆にウケたのかもしれません。ファッション写真の世界では綺麗な写真があふれ、革命的なものが必要とされていた。ちょうどヌードもタブーではなくなったタイミングでヘルムートが登場し、「バッド」なものを含めた作品を撮ることができた。それによってファッション写真の世界に革命を起こしたのです。

アナ・ウィンター (c) Pierre Nativel, LUPA FILM

──2004年のヘルムートの死から16年が経過しましたが、「MeToo」以降のいま、ヘルムート・ニュートンをドキュメンタリー映画として伝える意味とはなんでしょうか。

 「MeToo」やフェミニズムと絡めて、女性の身体をどう見るのかについて議論することは非常に重要だと考えています。ただその議論はイデオロギーによるものではなく、オープンになされるべきではないでしょうか。

 レンズの前ではすべてが「オブジェクト」になりますが、ヘルムートが撮った女性たちがただの「オブジェクト」だったかというとそうではないと私は思うのです。それはほとんどの写真で彼が女性たちをエンパワーメントしているということからも言えますが、判断は映画を見る皆さんに任せたいと思います。私はこの映画で何かを一方的に教えようとしているのではありませんから。

David Lynch and Isabelle Rossellini, Los Angeles 1988 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

 もちろん彼の写真の一部は女性嫌悪や性のファンタジーを喚起させるものであり、危険なことだとも思います。しかし、彼が写真を撮っていた70年代や80年代と比較すると、現代は過剰にポリティカル・コレクトネスを求める傾向があるのではないでしょうか。彼の写真は美術史あるいは写真史の一部であるわけで、その文脈で見ないといけないと思います。

Grace Jones and Dolph Lundgren, Los Angeles 1985 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

 当然、いまの時代に彼の写真を掲載しようとするのは難しいとは思います。フェミニストの人によっては、こういう写真は(他のいくつかの作品同様)隠さなければいけないものだと考える人もいるでしょう。しかしそれは違う。表現の自由は重要であり、検閲が進むということは独裁的にテイストをコントロールすることにもつながります。

 だからこの映画では彼を裁くことも評価することもせず、ただ彼と彼の作品を見せ、観客に判断を委ねているのです。作品を見て議論につながればいいし、映画というものはそうあるべきだと思います。

Newton with Sylvia, Ramatuelle 1981 (c) Foto Alice Springs, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

編集部

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