──厚塗りの油彩による力強い筆致で人物画を描いてきた小村さんですが、東日本大震災以降、試行錯誤を経て作風を大きく変化させ、抽象画を制作するようになりました。東京・神宮前のThe Massでの展覧会「大きな船」(2018)で発表された新シリーズ「Subtract(取り去る、差し引く)」は、小村さんの新たな作風を決定づけるシリーズですが、まずは、震災前に人物をモチーフに描いていた理由を教えてください。
僕は、20代の半ばまで、アメリカで過ごしました。そのころは音楽をやっていて、アメリカでバンドをやってみたいなと考えて高校卒業後に渡米し、シアトルに住んでいたんです。同時に現地のデザインの学校に通い、絵についても学んでいましたが、専門的な美術教育を受けていたわけではありません。
実際に向こうに行ったら、日本にいるときに親しんでいた映画や音楽は西洋のものでも、結局のところ自分は日本人だということを意識するようになりました。2000年に帰国して自分のアイデンティティを考え始めたときにも、そのことは重要な要素になりました。
僕は、日本人の画家といっても、日本画を描いているわけではないし、岩絵具を使っているわけでもない。だから当時は、ひとつのアイデンティティとして日本人を描くことを、すごく意欲的に意識したんです。
──日本人の顔を描くための技法として、油彩による厚塗りにこだわった理由はなんでしょう?
ゴッホでも高橋由一でも良いのですが、やはりすごい厚塗りですよね。厚塗りは油絵という手法とセットだと思っていて、自然にたどり着いたように思います。
自分がやろうとしていたのは、儚さからの再生とでも言えるのでしょうか。厚塗りで描いた絵は、その絵具の厚さがいずれ崩れて散ってしまう予感を孕むような気がしていて、だからこそ人間の儚さを描くことができるのではないかと考えていました。肉体が朽ちていき、そこからまた再生していくような感じ、その儚さを表現したかったんです。
ところが、2011年の東日本大震災は、僕にかなりの衝撃を与えました。人生で初めて、死ぬかと思いましたね。住んでいたマンションが古いビルだったのですごく揺れて、CDが落ちる、本も落ちる。そしてテレビをつけると、すべてが津波によって削り取られていく映像が流れていたわけです。
震災があってからは、厚塗りで肉付けしていくということが急に嫌になってしまいました。方法論も、肉々しくではなく瑞々しく描く、肉をどんどん重ねていくよりも、削り取るように変わっていって。それまでも抽象絵画をいくつかは制作はしていて、人物画の展示のうちの1点を抽象画にするというようなことはやっていたので、唐突に抽象画に切り替えたということではありません。けれども、最終的に「Subtract」にたどり着き、そこに集中できるようになるまでは数年かかりました。
──小村さんがたどり着いた「Subtract」ですが、制作時の考え方や、描くときの身体性は、それまでの作品と比べて変化したのでしょうか?
描き重ねていた絵具を削り取っていくわけですから、厚塗りとはまったく違う方法ですよね。厚く塗っていたときとは違なり、今度は逆にマイナスにしていくという意識なので、身体的な動きは当然異なるものがあります。あまり人には見せたくないですが、アクション的に体を使ってやっています。
自分では削り取るという行為自体がコンセプチュアルだとは思っていなくて、パッとアイデアが降りてきて始めた気がしています。でもやはり震災の影響があって、様々なものが取り去られていってしまった状況への怒りがあり、その怒りをどこに向けていいのかわからないなかで生まれたものではあるでしょう。お金がないから寄付もできない、無力でやり場のない気持ちが作品に向かっていきました。
ものすごく嬉しかったのが、キュレーターの藪前知子さんが「大きな船」のときに展示した「Subtract」を見とときに、震災で削り去られたことが作品において重要なことだとすぐわかってくれたこと。言わなくてもわかるものなんだと、びっくりしました。
──小村さんは2011年、震災後に「Fragment」(Megumi Ogita Gallery)という個展を開いています。「Fragment(断片)」という言葉には、「Subtract(取り去る、差し引く)」という言葉との類似性も感じられます。
英語では儚い、壊れやすいことを「Fragile」と言いますが、その言葉はラテン語の「frango」から来ていて、断片という意味の「Fragment」と同じ語源です。壊れてしまう、儚いから断片になる。僕の制作でつねに核にあるのは、儚さを断片から再生していくということなので、「Fragment」は現在の「Subtract」にも接続しています。
人物画を描いているときも、バストアップばかりだったのは、全体を描きたくなかったからです。つまり、断片を描きたかった。欠落したり、不完全だったりするものからの再生を目指すという意味で、「Subtract」まで一貫はしています。
──「Subtract」シリーズの作品を制作するときには、どのような試行錯誤がなされているのでしょうか?
感覚的なものばかりですが、つねに「ものかん」(後述)を出したいと思っています。洋画家の坂本繁二郎が表現しようとした、実在感やリアリティにつなげて解釈してもいいと思いますが、この「ものかん」を僕は大事にしています。
オブジェクトとしての「もの」という言葉はもちろん、日本語には「もの」悲しい、「もの」憂げ、「もの」さみしいといった言葉もありますよね。でも「もの」楽しいとか、「もの」うるさいとは言いません。ここでの「もの」は「なんとなく」や「どことなく」という意味があります。つまり「もの」という言葉には、儚さとか不完全さに続く気配が潜んでいるということなんです。
それを「ものかん」と勝手に呼んでいます。これを英語にすると「Mono Can」。「小ささができる」ということなんです。この「ものかん」がうまくいくときと、いかないときがあって、「Subtract」は塗り重ねることができないので、うまくいかないときは、失敗としてキャンバスごと破棄することもあるんです。
──お話を聞いて、小村さんは「言葉」に強い興味もって制作をされているように感じました。それはアメリカで過ごしてきた経験から、英語、あるいは日本語を客観的にとらえ、制作につなげているからでしょうか?
たしかにそうかもしれません(笑)。中学校・高校と特殊な学校に行っていて、勉強をあまりしないままに渡米しました。漢字なども書かないからどんどん忘れていってしまうんです。そういうことが影響しているかもしれないですね。
──アメリカ滞在時に、自身の制作の方向性を決定づけるようなできごとはありましたか?
現地での影響は色々ありましたね。当時通っていたレコード屋のお兄ちゃんが、僕が日本人だとわかると「ちょっと待って、俺のコレクションなんだけど、お前これ見たほうがいいよ」と、大竹伸朗さんの作品集『倫敦/香港 一九八〇』(用美社、1986)を出してきたんです。最初に見たときは良さがわからなかったけれど、何度かレコード屋に通って見せてもらううちに、魅力を感じるようになりました。
「感じる」というのは、本当は考えないとできないことですが、意外と素のままでできると思っている人が多いと思うんです。大竹さんも衝動で制作していると思われる人が多い気がしますが、僕はあの人ほど考えている人はいないと考えています。彼のように、僕も思考したいなと思っていますね。
でも、最初から思考があるというよりも、最初はなんとなくの勘でしかないんです。なにかを考えながら探っているうちに、自分の勘が合っていたことを知ることも多いです。日本はハイコンテクストだから、制作における自分のコンセプトを見つけるのが大変という話を耳にしたりしますが、じつは勘を大切に、そこからどうやってコンセプトにたどり着くのかということが一番大切な気がします。
僕の場合は、断片的なもの、壊れやすそうなものに惹かれていきましたが、そもそも考えてみれば全体性のようなものを、一度も好きになったことがないんです。後になって、感覚的な好き嫌いと、自分の考えてきたことは一致していたんだ、と思ったり。だから、ここ数年は自分の感覚を信じるようにしていますね。
──AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMAでの個展(〜2020年1月25日)タイトルは「ダイヤモンド」と名づけられています。どういったコンセプトのもと、このタイトルに行き着いたのでしょう。
はじまりはそれこそ感覚的で、古本屋で見つけた『ダイヤモンド』という古い自作の本の「ものかん」に惹かれたところからです。この本との出会いから、そういえばダイヤモンドについてなにも興味がなかったな、と考えはじめました。それまではダイヤモンドがどうやってつくられるのかさえ、考えたことがありませんでしたから。
ダイヤモンドがどうやってできるのかを調べていくと、色々とわかってきました。高熱と圧力によって地下深くで炭素分子がダイヤモンドになるのですが、それが火山の噴火などで地表に押し出されるんですね。そのスピードが速いとダイヤモンドとして現れるのですが、ゆっくり押し上げられると鉛筆の芯に使われるようなグラファイトになってしまう。世界でもっとも硬いとされる鉱物のダイヤモンドは、柔らかくて紙に絵を描けるグラファイトでもある。そういうところがとてもおもしろかったんです。
絵画も同じで、ゆっくり描けば必ずしも丁寧で綺麗なものができるわけではない。僕みたいに、パッとひらめいて、それを絵のかたちにもっていかなければいけない人もいる。そのあたりの感覚が一致したんです。
また、ダイヤモンドは硬いから永遠性があると考えることもできるんですが、同時に劈開性があって、ある特定の方向の力にはものすごく弱いし、だからカットができる。永遠の愛の象徴としても扱われますが、いっぽうで極端な弱さを持っている。その両面性が現代人にも言えることじゃないかなと思いました。なんであれ儚いと思っていたほうが、どんなときもしなやかに対応できていいなと思います。
──「ダイヤモンド」での新作の表現として、新たに挑戦したことはありますか
展示作品はすべて「Subtract」シリーズとして制作していますが、今回は斜めの線を意識的に取り入れるようにしました。ダイヤモンドのカットが斜めになっているからですが、これは断片の話とつながっています。ダイヤモンドそのものは描きたくなくて、ダイヤモンドを拡大して見える像を、写し取りたいという欲望があります。
また、「Subtract」の絵は、差し引くことでキャンバス地の白を、光として見せるようにしているつもりです。「Subtract」を色々と試しながら、面と線が同時に生きている感覚が欲しくて、その両方を見せられるようにしました。
──「ダイヤモンド」というタイトルですが、多くの人がイメージするダイヤモンドのように無色ではなく、さまざまな色の作品が展示されています。また、キャンバスの大きさや厚さもそれぞれ異なっていますが、これもコンセプトと関わるところなのでしょうか?
ダイヤモンドの色は光によって変わります。ピンク色のところにダイヤモンドをおけばピンクになるし、光が反射しているところは虹色になる。基本的には無色で透明ですから、それを表現しようとも思いましたが、光によって色が変化することを選びました。
キャンバスの大きさも、当初は小さなものに描いていたのですが、ダイヤモンドは噴火で地表まで一気に上がってくるエネルギーを持ったものなので、大きいものもつくることにしました。それぞれのキャンバスサイズや厚みがバラバラというのも、意識的なものです。ダイヤモンドは同じものがないですし、また光の角度によって様々に変化しますからね。
──また、「ダイヤモンド」の展示空間では、小村さんの制作した音楽作品《エンドループダイヤモンド》(2019)が流れています。これはどういった志向によってつくられたのですか?
自分は画家だとつねに思ってはいますが、昔からずっと、音にも興味があるんです。《エンドループダイヤモンド》は、展覧会タイトルにつなげて、ダイヤモンドにまつわる曲をピックアップし、一番最後のフェードアウトしていく音をループさせているんです。10年くらい前に一度《エンドループ》という方法で制作したことを思い出して、当時つくったものをあらためて聴いたら、まだいけそうだったので今年再び制作してみました。いろいろな曲の一番最後の音だけを抜き出して、時間感覚が無くなるように、断片的にループさせた作品です。
音楽と絵の違いは、時間があるかないかだと思っています。だから、音を絵に引き込みたいんですよね。最後の音、消えていく儚い音をループさせることで、絵に近づけたかたったんです。
──今後も絵画と並行して、音楽作品の制作も続けていく予定ですか?
できる限り続けたいですね。今回も葛藤があって、音楽は自然と空間を支配してしまうから、観賞用のBGMになりすぎないように努めました。いっぽうで、美術系では多いのかもしれないですが、アバンギャルドで、ノイズ的なものにもしたくなかった。その中間に留められるように、これからもつくっていきたいですね。
──最後に、「Subtract」シリーズの今後の展望や、新たに挑戦したいテーマはありますか?
まだ温めているのではっきりとしたことは言えないですが、地平線や水平線をなにかしらのかたちで扱いたいです。地平線や水平線も言葉としては「線」と書きますけど、実際に線があるわけではない。つかもうとすると線が遠のいていくように、線は存在するようでいて存在しない。「Subtract」のシリーズでは、差し引くことで線が現れて光が生まれるところが面白いと思っているので、こうしたテーマが「Subtract」にも合っている気がしています。
「Subtract」についてはまだ課題があるなと思っています。儚さのようなものが見る人にとって重要なことだと僕は信じているので、これからもっと追求していきたいですね。