• HOME
  • MAGAZINE
  • INTERVIEW
  • 震災から日常と非日常をつなぐ営み。「アクリルガッシュビエン…
INTERVIEW - 2019.8.8

震災から日常と非日常をつなぐ営み。「アクリルガッシュビエンナーレ2018」大賞・門馬美喜インタビュー

絵具メーカーのターナーが主宰する公募展「アクリルガッシュビエンナーレ2018」。今回その大賞を受賞したのは、東日本大震災の被害を大きく受けた福島県とアトリエのある東京都を私小説的につないだ、門馬美喜の《Route93ヶ月 相馬/大田区■》。2ヶ所を往復する門馬が、その風景たちを繊細に感じ、表現する様に迫る。

聞き手・構成=編集部

アクリルガッシュビエンナーレ2018で大賞を受賞した、門馬美喜《Route93ヶ月 相馬/大田区■》(2018)

━━今回受賞した作品は、公募展の募集規格にある「平面」と「立体」のどちらとも定義しにくいものですね。制作の背景から教えていただけますでしょうか。

 福島県相馬市と東京都大田区に私のアトリエがあるのですが、その間を移動するときの車窓から見える風景をとらえた「Route(ルート)」シリーズを描き続けています。今回応募した作品は、両地域から採取した素材をもとに風景を表現しました。作品名の数字は、「東日本大震災から93ヶ月目に制作された」という意味です。これまでの作品だと絵画として見られることが多かったのですが、今回は複数の作品を組み合わせ、インスタレーションのように構成しています。

━━門馬さんにとって、2ヶ所をつなぐということには、どんな意味があるのでしょうか。

 私の地元でもある福島県でつくられた電力は、東京に送られていました。その事実を知りながら、自分が毎月移動している地域を体感してほしいという思いがあります。原発の問題と暮らしのなかにある電力は、切り離せるものではありません。発電所を起点に電力は流通しいろいろな場所でつながっていますし、いっぽうで電力供給のために犠牲となった地域もある。そのつながりを見えるようにすることで、自分たちの住む場所への見方を変えることができます。例えばですが、もし東京湾に津波がきたら火力発電所に事故が起きて、被害が出るかもしれません。被害が出たときに初めて火力発電所の存在を知るのでは遅いのです。そうした身の回りのライフラインを意識してもらえたらと思いました。

━━そのつながりを示すために、風景が断続的に描かれているのですね。

 相馬が「被害に遭った特別な場所」なのではなく、東京と変わらない日常を送っている場所だということを、見せたいと思ったのです。なので、なるべく実物に近い色を採用するようにして、例えばショッキングピンクや赤などの原色は使わないようにしています。よく「ロードムービーのようだ」と言われるのですが、そうなるように意識しました。

━━「ロードムービー」と形容されましたが、絵画を何枚も描いて2ヶ所をつなぐのではなく、様々な支持体に描いてインスタレーションを構成していくのが、新鮮に感じられました。

 以前、建築端材にスケッチを貼ってインスタレーションにしたことがあり、そこから派生しています。相馬市で建築物が建てられた際に出た建築端材を使うことで、被災地の状況をよりリアルに表現しようと考えていましたが、今回は建築端材以外に大田区の素材も使いました。かつて大田区には大森貝塚があったことにちなんだ貝殻や、海苔の養殖の発祥だった名残がある海苔屋さんのパッケージ、ボートレース場のマークシート、それから喫茶店でもらったコーヒーの麻袋などを使用しています。品川火力発電所や日本最大規模の面積を誇る大田市場にも注目しました。

2015〜17年に制作(2019年一部加筆)された、JR常磐線が開通する前の代行バスから見た山下駅~駒ヶ嶺駅間の作品群 © Kigure Shinya
2015〜17年に制作された、常磐高速道路のバスから見えた風景作品群  © Kigure Shinya

震災の経験とその後の感情

━━門馬さんは震災のあと、一度絵を描くことをやめた時期があったそうですね。

 相馬の実家の近くに避難所があり、その様子を横目で見ていて、私は何もできない、美術は無力だと感じていました。その頃津波で流された写真を洗浄するボランティアに参加したのですが、その経験でも無力を感じたんです。写真に付いた泥を清潔な水の中で筆で拭うのですが、私は絵筆の扱いに慣れているからうまくできる自信がありました。でも実際やり始めてみると、おそらく津波で亡くなったであろう方が写っている写真が海水で傷んでいて、すぐバラバラになってしまった。筆を使う技術さえ役に立たない、これまで絵を描いていた経験はなんだったんたろうと感じました。そんなこともあり、震災のあと2年ほどは何も描かなくなりました。

━━「美術が社会に対して役に立てていない」というような感覚でしょうか。

 そうですね。相馬にある実家は工務店を営んでいます。父親は大工で、幼いころから私にとって家づくりは身近な存在でした。人が生きていくために欠かせない「住む場所」に対し、必須ではない美術が、劣っているように感じられました。そのせいで、私自身は美術をやっていることにコンプレックスを持っており、それは作品をつくることでは拭うことができません。だからこそ、震災の後に作品をつくるのを止めて、看板をつくったり、私にもできる建築に関わる作業をしたりしました。

━━その他にも、震災の経験が門馬さんの記憶に与えた直接的な影響はありますか。

 何がトリガーになるかははっきりとはわかりません。大きな船を使った美術作品を見ると、海辺でない場所にまで船が流されたことを思い出して恐怖を感じますし、津波がきたあとに田んぼだった場所が湖のようになり、そこに水鳥が訪れ暮らしているのを見て、気持ち悪く感じたりしました。自分たちの生活圏が壊されて、別の生き物が生きている、という状況が奇妙に思われました。

━━その後、制作を再開したきっかけはなんだったのでしょうか。

 先人の表現者たちがどんなふうに「感情」を表現してきたのかを見聞きしたり、本で読んだりしたことがきっかけでした。作品で感情を表現するということは、災害にあった自分と、災害にあって変わった故郷を表現すること、そのものなのです。私としてはこの「Route」シリーズは、本当はやらないですむならそのほうがいいんだろうな、と思っています。私にとっては、これまで水墨画を描いてきたので、その現代的な表現を追求するほうがずっと幸せかもしれません。それでも「Route」シリーズを続けることで、趣味でもアマチュアでも福島県内の風景を描く人が増えて、風評被害を払拭するとまでいかなくても、福島の日常を発信する人が増えたらいいな、と密かに思っています。

 復興していく風景を見ながら育った東北の子供たちが、将来どんな絵を描くのかが楽しみです。そのためには建設的な復興の場面を描いたり、誤解されている風景を住民の視点で描いたり、あるいは撮影できないところを絵で表現したりすることが、何かのきっかけになるかもしれない。それを心の支えにして続けています。

━━様々な葛藤を経て、震災の経験が門馬さんにとっての美術との関わり方を変えたのですね。そこで人が生活している以上、相馬と東京、震災と美術のつながりは模索されていくものと思います。今後の制作活動がどのような変化をしていくのか、楽しみにしています。

JR常磐線の中で風景をスケッチする門馬美喜。インタビューは、実際に常磐線や代行バスに乗りながら行われた