いま、デュシャンが本当に必要とされている場所
中尾 はじめに、「マルセル・デュシャンと日本美術」展開催への思いをお聞かせください。
ラブ ご存知の通り、フィラデルフィア美術館にはデュシャンの作品およびアーカイブを合わせた、膨大なコレクションがあり、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称:大ガラス)、「レディメイド」、《与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス》(通称:遺作)、および彼の多くの絵画を常設展示し、またデュシャンの作品を様々な美術館や展覧会へと貸し出してもいます。直近ではポンピドゥー・センターで行われた展覧会のために、絵画とオブジェの貸し出しを行いました。
私はいつも自分自身にこう問いかけています。いま、デュシャンが本当に必要とされている場所はどこか、と。この数年間でも、アジア、中国、日本、韓国にある多くの機関で展覧会が行われ、そのたびに、皆さんが「アイ・ラブ・デュシャン」と言ってくれました。中尾さんのように、「デュシャンについて論文を書いている」と話してくれる人たちにもお会いします。私は、一般の方々、アーティスト、研究者、そしてまだデュシャンの作品を見たことがない人たちに向けてデュシャンを紹介するために、アジアで展覧会を行うことはとても有益だと思いました。それがこの展覧会の開催を決意した理由のひとつです。
ラブ そして、もうひとつの理由はデュシャンの生涯と作品のつながりを展覧会で見せたい、ということです。私は一般の来場者に、なぜいまも昔もデュシャンが魅力的で、根源的で、そして興味深いのか、その理解に役立つような、デュシャンの生涯と作品に関する展覧会を行うことがきわめて重要だと感じていました。彼は理解するのが難しいアーティストだと思われていますが、私は「マルセル・デュシャンと日本美術」展が、多くのデュシャン展よりもいっそうデュシャンにアクセスしやすいものになることを願っています。
中尾 今回のデュシャン展が東京国立博物館で行われたこと、また日本美術と比較されていることについてどのようにお考えでしょうか。
ラブ フィラデルフィア美術館と東京国立博物館はこれまで多くのことを共同で行ってきました。2015年、狩野派展を東京国立博物館の支援を受けてフィラデルフィア美術館で開催した際に、東京国立博物館の方から「アイ・ラブ・デュシャン」、「日本でデュシャン展をやりましょう」と言われました。私たちは当時、日本やアジアの美術について交渉していたのですから、そこでデュシャンが出てくるのは普通のことではなかったかもしれませんね(笑)。そして、「デュシャンの作品が持つ側面と日本美術を関係させたデュシャン展をしたい」という提案をされ、とても良いアイデアで、面白いと思いました。
デュシャン作品と共振する日本の芸術的実践
中尾 日本美術のセクションを通じて、デュシャンと日本美術にある関係性を感じられましたか?
ラブ そうですね。ただ、この展覧会はデュシャンと日本の関係について考察するものではありません。日本にはデュシャン作品をコレクションしている方々がいるので、別の展覧会を行うことも可能でしょう。特に1950〜60年代からデュシャンへの関心が高まり、《大ガラス》の複製もつくられています。これまで日本で開かれたデュシャン展との相互作用もいくつかあるでしょう。
しかし、今回の展覧会はそうしたデュシャンと日本のあいだにある歴史的な関係性を見せるということではなく、日本美術あるいはデュシャン作品と共振する日本の芸術的実践の、ある側面についての展覧会なのです。偶然性ひとつとっても、デュシャンが用いた偶然と日本の芸術家が用いた偶然は大変異なっています。でも偶然はそこにある。それはコントロールの外側で引き起こされる何かです。デュシャンは《大ガラス》が割れたときにも、そうした偶然の概念を好みました。《泉》については、作品であるための意図がみられますが、デュシャンは「レディメイド(既製のもの)」と呼びます。
「そこに日本美術との類似はありますか」と聞かれれば、「そうした側面はありますね」と答えられるでしょう。そしてデュシャンはテキストをとても大事にしていました。言葉とイメージの戯れです。それは日本の芸術家にとっても決定的に重要なはずです。
美術館の大規模な改築計画「It Starts Here」
中尾 このデュシャン展の核となる「デュシャン 人と作品(The Essential Duchamp)」が、韓国、オーストラリアと巡回していくなかで、フィラデルフィア美術館では大規模な改築計画が進められていますよね。
ラブ はい。「It Starts Here」と銘打ち、2017年3月よりプロジェクトをスタートさせました。フィラデルフィア美術館の開館時、2万5000点ほどであったコレクションは、いまでは約10倍となっています。つまりより広い展示空間が必要なのです。そして、そもそも建物自体が100年前のものなので施設の老朽化にともなってすべてのシステムを変えなければなりません。そして同時に、100年前に設計されたフィラデルフィア美術館において、今日ではその頃とはまったく違う様々な活動が行われていますので、それに対応しなければならない。そういった複雑な問題を解決することが急務で、これはとてもコストがかかる工事です。高台にあるため、いろいろな規制もありますが、2020年の春をめどに施設の修繕、刷新プロジェクトは完了する予定です。
中尾 私もフィラデルフィアに滞在していたことがあるのですが、ベンジャミン・フランクリン・パークウェイを通って、高台に見えてくるフィラデルフィア美術館の建築は街のランドマークのような印象がありました。
ラブ はい。それゆえあまり自由に増築することができないのですが、外側を変えることができないのであれば、巨大な敷地の内側を変えなければなりません。このプロジェクトの基本計画を立てているのはフランク・ゲーリーです。ゲーリーは「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」やロサンゼルスの「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」で知られていますが、新しい建築だけではなく、古い建築の内部の扱いにも長けており、100年前に建てられた美術館への敬意とともに理解を示してくれています。
2つの大きなモダンアートの潮流
ラブ 改築において重要なのは、人々の動線をどのようにコントロールするか、ということですが、100年という歴史あるこの建築物を彼にお任せして、人の流れを含めケアしていくための計画を進めています。8361平米もの新たなスペースが来場者に開放され、そのうち 2136 平米 はギャラリースペース (1068 平米が コンテンポラリー・アートに、1068 平米がアメリカ美術)にあてられます。また 6224 平米はパブリック・スペースとなる予定です。しかし、計画が完了した後も美術館の外観は何も変わっていないように見えるでしょう。
中尾 デュシャンの作品があるギャラリーはどのように改築されるのでしょうか。また《大ガラス》や《遺作》の位置は変わるのでしょうか。
ラブ スペースは広げますが、場所はいまと変わらない予定です。
中尾 北ウィングにはモダンアートのセクションがありますよね。では広さは変わるけれども、これまで通り、そこにはモダンアートが展示され、そして最後にデュシャンの作品があるギャラリーを見るという流れも変わらないのでしょうか。
ラブ 1940〜50年代以降のコンテンポラリー・アート、例えばジャスパー・ジョーンズやサイ・トゥオンブリーなどはすべて地下の階へと移動します。美術館の中庭の中央には、噴水があります。これは《大ガラス》が設置されている部屋からも、そのガラスを透かして見ることができる位置にありますが、その下を通り抜けられるスペースが増築される予定で、噴水の周りがガラス張りとなり、この地下のギャラリー自体にも外光が入る仕組みとなっています。天井高が8〜9メートルと非常に高く、部屋には仕切りがありません。ですので、地下ではありますが、建物の中で一番天井が高く開かれた、とても明るく、部屋全体を見渡せる大きなスペースになります。ここにゲーリーの力が集約されているのだと言えるでしょう。
中尾 私はモダンアートのセクションの最後に《遺作》が置かれたという状況に注目しているのですが、デュシャン自身が《大ガラス》や《遺作》を設置した場所が変わらないということは、デュシャン研究にとっても重要だと思います。
ラブ 1954年から公開されているアレンズバーグ・コレクションと、デュシャン自身がインストールに関与したデュシャンの作品には、大きな文脈的つながりがあります。昨年、私はニューヨークでフィラデルフィア美術館におけるモダンアートに関するレクチャーをしました。
もっとも重要なのは、フィラデルフィア美術館が、3つの寄贈を通じて、MoMAや他の有名な美術館よりも早く、アメリカで最初に重要なモダンアートのコレクションを形成した美術館だということです。
まず1952年に寄贈された、画家でありコレクターでもあったアルバート・E・ガラティンのコレクション。そこにはピカソ、ブラック、ドローネー、グリス、モンドリアン、ミロらの作品が含まれていました。それからアルフレッド・スティーグリッツの妻であったジョージア・オキーフが寄贈したアメリカのモダンアートのコレクション。そこにはオキーフ自身のもの、ハートリー、ダヴらの作品が含まれていました。そしてルイーズとウォルターのアレンズバーグ夫妻による寄贈です。
これは当時のアメリカにおける最も重要なプライベート・コレクションでした。そこにはマティス、ピカビア、レジェ、ピカソ、キュビスムの絵画、初期のシャガール、そしてブランクーシ、もちろんデュシャンの作品が含まれていました。パリを除けばフィラデルフィア美術館がブランクーシの最も重要なコレクションを持っています。
1954年の展示室の写真にも写っていますが、ひとつのコレクションの中で、それらのアーティストは2つの大きなモダンアートの潮流をつくり出していました。ブランクーシは、いかに物体を削ぎ落として根本的なかたちをつくるか、そしてデュシャンはご存知の通り、ものではなく、いかにアイデアでアートをつくるか、ということを中心にするもので、この2つの流れが重要です。
アレンズバーグのコレクション以外にも、1954年に撮影されたいくつかの写真を見れば、カンディンスキー、クレー、ミロが展示されていたことがわかります。こうしたことはデュシャンが作品をインストールしたときの状況に近いものです。 またデュシャンとは直接的には関係ないのですが、フィラデルフィア美術館は、これ以外にも1920〜40年代のメキシコの美術や、クリスチャン・ブリントンから寄贈されたロシアの美術、つまりヨーロッパの文脈ではないものもコレクションしていました。
中尾 ジャスパー・ジョーンズら、1950年以降のコンテンポラリー・アートの作品を地下の階に移して、上の階にそれ以前のブランクーシやデュシャンらの作品を展示する、ということには何か特別な理由があったのでしょうか。この改築によって、かつてデュシャンがいた頃の時系列に展示室の並びが再び戻されていくようですね。
ラブ 今後は地下の新しいスペースで特別展示などをしようと思っているため、コンテンポラリー・アートを下の階に持ってくる方が自然でした。美術館という場所にはやはり物理的なスペースの制限がありますが、すべてを入れなければいけない。近代と現代を分けたことには、もちろんそうした避けられない制限があるのです。
デュシャンに対する思い
中尾 結果的にクロノロジカルになっていることで、1954年当時の状況に近い展示作品の配列へと揺り戻されていくということになれば、個人的には面白い変化だと感じます。ぜひ見に行きたいです。
最後に、世界最大のマルセル・デュシャンのコレクションを持つフィラデルフィア美術館の館長として、これからデュシャン、そしてコンテンポラリー・アートを伝えていくための展望をお聞かせください。
ラブ デュシャンに関して興味深いのは、21世紀初頭の現在にまでおよんでいる影響でしょう。もちろんマティスやピカソ、あるいはシュルレアリストのような芸術家の影響もあります。しかし、デュシャンの場合は50年あるいは60年前よりもむしろ重要性が増しているのです。デュシャンはその晩年の20年間においてモダンアート、そしてコンテンポラリー・アートにおいても同様に、鍵となる人物であったことは明らかです。デュシャンのコンセプチュアルなアイデアはあらゆる事象に基づいています。そしてそのほぼすべてに、区分けしていくこと、あるいは芸術と生活のあいだに境界がつくり出されていくことへの拒絶がみられます。これらは現代のアーティストにとって、極めて重要なあり方となり、今日にまで強く響いています。
私たちは彼の作品を展示することを大切にし、いっそうの理解を深めていく、ということを続けていかなければなりません。デュシャンに関するコレクションやアーカイブを発展させ、新たなものを加えながら研究を進めていきたいと思っています。アメリカの一般的な美術館は、コンテンポラリー・アートのセンターのようにモダンアートを展示していくことに興味を持っていますが、フィラデルフィア美術館としては、私たちの過去の歴史的なコレクションと対話するように、創造の大きな流れの中でコンテンポラリー・アートを見せていきたいと考えています。
中尾 本日はありがとうございました。
ラブ 新しくなったフィラデルフィア美術館でまたお会いしましょう。