今年80歳を迎えたデイヴィッド・ホックニー。彼の60年近くに渡るキャリアを振り返る本展では、アート・スクールに在学中だった1960年から2017年に制作された最新作まで、およそ90作品が並ぶ。近年、ホックニーの展覧会は各地で頻繁に開催されているが、彼の全キャリアが網羅されているものは珍しい。点数は抑えられているものの、ホックニーの軌跡を包括的に見ることができる貴重な機会となっている。
ホックニーに関して特筆すべきは、アーティストとして非常に恵まれたスタートを切った点だ。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに在学中から頭角を現し、卒業時にはすでにイギリス国内で名の通った存在となっていた。絵はコンスタントに売れ、当時ロンドンで起こった若者の文化革命「スウィンギング・ロンドン」シーンの一員として、雑誌に頻繁に登場したりもした。
一般的に「Student Work」と呼ばれる学生時代の作品は、門外不出にするアーティストもいるが、本展では惜しみなく公開されている。初期作品を扱ったギャラリーには14点が並び、抽象・具象・ポップなど様々なスタイルを取り入れたり、組み合わせたりと、試行錯誤を重ねるホックニーの様子が紹介されている。若くして手に入れた「名声」に安住することなく、あらゆる表現を追求するホックニーのスタンスは、この頃すでに確立していたことがわかる。
1964年、ホックニーはロサンゼルスに移住する。イギリスとは対照的に、ロサンゼルスは既成価値からの自由を象徴する、ホックニーにとって憧れの場所であった。またアートの中心、ニューヨーク・ロンドン・パリから離れていることで、最先端のアート・ムーブメントを、自身なりに咀嚼、解釈する空間を確保することができた。以降、断続的に50年に渡り、ロサンゼルスはホックニーの活動拠点となる。この時期の作品を集めたギャラリーに入ると、ホックニーの使う色味が劇的に明るくなるのに気付く。ロサンゼルスへ拠点を移したことで、アーティストとして大きく変化した様子が視覚的に伝わってくる。
ロサンゼルスの風景画は、おそらくホックニーの作品群の中で、もっとも知られているイメージだろう。単純明快で朗らかに見える風景だが、よく見ると、当時アメリカのアートシーンを席巻していた、抽象表現主義、ミニマリズム、カラーフィールド・ペインティングなどのスタイルが引用されている。多くのアーティストたちが「新しく、コンセプチュアルで、抽象的な表現」を確立しようと躍起になっているかたわら、ホックニーは彼らの手法を平然と具象画に取り込んでおり、これらのアート・ムーブメントをシニカルに見据えるホックニーの姿が浮かび上がってくる。
《A Bigger Splash》(1967)は、ロサンゼルスの邸宅とプールを描いた作品。ミニマリズムを意識した構図を取りながら、画面中央にはジャクソン・ポロックの「ドリップ・ペインティング」を連想させる大きな水しぶきが描かれる。ポロックの直感的・瞬間的な力強いアクション・ペインティングとは対照的に、ホックニーはこの水しぶきを丹念に描写し、絵を仕上げるのに2週間を費やしている。じっくり作品を見ると、細部の表現に隠された、ホックニーの職人気質を見て取ることができる。
アンチテーゼの意味合いを込めて、同時代のアーティストの手法を取り入れることが多かったホックニーだが、70年代半ば以降の作品には、ピカソ、セザンヌ、マティス、スーラなどをはじめとしたアーティストの影響が見られるようになり、ホックニーの美術史への関心と造詣が深まっていく。「Assembled Views」と題されたギャラリーには、それまでのシニカルさが後退する代わりに、他のアーティストの手法を借り、その目線で「ものを見てみる」ことで、「よりよく世界を見よう」と試みるホックニーの転換期の作品が並ぶ。続く、近年の風景画をまとめた部屋では、ホックニーの視点が成熟、洗練され、絵の中に調和が生まれていくのを見ることができる。
ホックニーは、2010年にiPadが発売されると、いち早くドローイングツールとして導入する。iPadを使うことで、ホックニーの色彩への取り組み方は根本的に変わったと言える。戸外制作を頻繁に行うホックニーにとって、目に見えたものを、光の加減が変わる前に、絵の具でキャンバス上に置き換えるのは、時間との勝負であった。iPadでは色の調整が瞬時にでき、デバイス上でドローイングを繰り返すうちに、ホックニーの色彩への反射神経は研ぎ澄まされていった。
会場では、iPad作品は、モニターで紹介されるにとどまっているが、iPadでの制作がキャンバス作品にも変化を与えていることが示唆されている。ロサンゼルスの邸宅を描いた、最新の「ブルー・テラス」シリーズでは、まぶしいほどの鮮やかな色彩とキュビズムの構図が共存する。内側から発光するような色合いには、iPadの影響が感じられる。まるで、マティスとピカソがiPad上で合作した作品を見ているような印象を受ける。
ホックニーは、表現を通じて対象物が誇張されることで、よりそのものの本質が際立つことを深く自覚している。ホックニーは他のアーティストの手法を取り入れ、その誇張プロセスのエッセンスを掴み取るだけではなく、それらを組み合わせることで、「ものを見ること」の喜びを最大限に引き出そうとしていると言えよう。展覧会を見終わった後は、隣接する展示室で、ホックニーが影響を受けたアーティストたちの作品を見比べてみてほしい。
年を重ねるにつれ多作となるホックニー。これから制作される作品が楽しみになるような回顧展となっている。