約10年前にデイヴィッド・ホックニーが著した『秘密の知識』は制作の現場で起こっていることに迫る実証的な絵画論だったが、その続編とも言うべき本書は美術史家のマーティン・ゲイフォードとタッグを組んだ対談集である。タイトルが端的に示すように範囲は古代から現代までと幅広く、「絵画」に限定せず「画像」の定義から地図、版画、写真、映画などを取り扱う。
とりわけ見どころなのは、時系列を脇に置いてテーマ別に古今の「画像」に言及しているため、メディアを超えた作品同士の思わぬつながりが浮かび上がるところだろう。時代が進んでもテクノロジーが発達しても、「画像=世界の二次的な描写」というシンプルな定義に立てば、異なるメディアによる表現も一続きの歴史として受容できる。映画『カサブランカ』(1942年)のスチル写真に写されたイングリッド・バーグマンの相貌とティツィアーノが描く《マグダラのマリア》の類似性、ジョットのフレスコ画にあらわれるラクダのディズニー・アニメ的な造形、ヴィクトリア朝時代の集合肖像写真に着想を得たビートルズのLPジャケット等々。ホックニーの偏りなき観察眼とゲイフォードの定石を押さえた美術史理解により、こうした取り合わせも決して奇をてらったものではなく、一定の説得力を持つものとして読者に提示されるのだ。
もうひとつの本書の特色は、画像の生産を考える上で欠かせない、美術と科学の密接な関係について多くのページを割いて解き明かしている点だ。ホックニーの推測によると、ブルネレスキ、カラヴァッジョ、フェルメールといった巨匠たちは、鏡やレンズなどの光学機器を制作の補助手段として大いに活用した。これは前作の『秘密の知識』同様、特殊な技能の習得者としての芸術家像にメスを入れる主張だが、ホックニーの狙いはただアトリエの神話を暴くことではない。テクノロジーを駆使すれば誰でも画像は生み出せるが、ホックニーは個々の作例の成功/失敗についても私見を述べ、作品内でどのような効果を上げているかにまで言及する。単なる現実の投影に終わる画像と、世界の構造を表現する手段としての画像との間には、どのような違いがあるのか。つまるところホックニーの最大の関心事は、「優れた二次元表現とは何か」という問いから還元される王道の絵画論なのかもしれない。
ちなみに本書に掲載された図版は約310点、画集としても重宝した充実の内容となっている。
(『美術手帖』2017年4月号「BOOK」より)