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アンドリュー・ワイエスをもっと知るための6つのキーワード【2/2ページ】

KEYWORD 4:ペンシルヴェニア州とメイン州」
固有の歴史があるからこそ生み出されたもの

 ワイエスが生涯描き続けた土地は、ペンシルヴェニア州チャッズ・フォードとメイン州クッシングの2ヶ所に限定される。重要なのは、固有の歴史と人物と物質が重なり合う場として機能したという視点だ。

 チャッズ・フォードは、クエーカー教徒の農村文化とドイツ系移民の歴史、そして黒人コミュニティの暮らしが重なる土地だった。ワイエスは少年時代から近隣のアフリカ系アメリカ人の家々に自由に出入りし、その暮らしを描いた。《マザー・アーチーの教会》(1945)は、地域の黒人コミュニティの礼拝所を描いた作品だ。《ケネットの集会所》(1980)では、クエーカーの質素な集会所建築が、装飾を排した光と影のなかに静かに浮かび上がる。土地の歴史や共同体の記憶は説明されるのではなく、建築の質感や光の落ち方として、ひっそりと画面に滲み出ている。

背景から土地の植生がわかる。アンドリュー・ワイエス《クリスティーナ・オルソン》(1947)パネルにテンペラ 83.8×63.5cm マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR,Tokyo

 《クリスティーナ・オルソン》(1947)をはじめ、オルソン姉弟と長い歴史を持つオルソン・ハウスそのものの肖像は、この土地と切り離せない存在として画面に現れる。草の繊維、木材の風化、皮膚の質感。水彩やドライブラッシュが定着するのは、場所の記憶を宿した物質そのものだ。(小塚)

KEYWORD 5:オルソン・ハウス」
親密で豊かな場所として

 ワイエスの夏の家があるメイン州には、友人クリスティーナとアルヴァロ・オルソン姉弟が住んでいた。ワイエスが初めて彼らを訪ねたのは1939年。のちに妻となるベッツィに連れられてのことだった。それからおよそ30年、1967年のクリスマスにアルヴァロが、1ヶ月後にクリスティーナが亡くなるまでふたりを描き続けた。ふたりはワイエスにとってもっとも重要なモデルであった。

 彼らが住んでいた家はオルソン・ハウスと呼ばれていた。ここには長い歴史がある。1743年、ハソーン一族がマサチューセッツ州セーラムからこの地に移り住み、丸太小屋を建てたのが始まり。18世紀末に本格的な家屋に建て替えられ、さらに1870年には3階建に増築されて、夏だけの宿として一時期営業もしていたという。その後、スウェーデン人オラウソンがハソーン家の娘と結婚し、英語風にオルソンと名乗りこの家を引き継ぐ。そしてオルソン・ハウスと呼ばれるようになった。

住人のいなくなったオルソン家。アンドリュー・ワイエス《オルソン家の終焉》(1969)パネルにテンペラ 46.5×49.5㎝ クリーブランド美術館 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

 ワイエスは、ふたりの主人公が不在のオルソン・ハウスも多く描いている。代わって主役をなしているのは、例えばアルヴァロがブルーベリー摘みに使っていた木の桶、クリスティーナがいつも座っていた部屋に通じる青い扉、アルヴァロが老いて修理もままならなくなり、白く干からびた壁板。たとえふたりが不在であったとしても、日常的な生活風景のなかに存在するそれらのものに、ふたりの気配や息づかいを感じ、ワイエスは一つひとつ慈しむように描き出している。このオルソン・ハウスの佇まいそのものに、障害を抱えながらも自立心を持って誇り高く生きるクリスティーナ、物静かに黙々と姉を支えるアルヴァロ、ふたりが過ごした時間、紡いできた物語、もっと言えば、彼らを育んだオルソン家の長い歴史が息づいているとワイエスには思えたからであろう。

 現在オルソン・ハウスはファーンズワース美術館が管理公開しており、2003年には、国定文化財史跡保存建造物に指定された。(荒木)

KEYWORD6:アメリカを描く
象徴性のなかにある複雑さ

 「私はアメリカ人に、アメリカとはどのようであるかを示したい」──1963年、『TIME』の表紙を飾ったワイエスはそう語った。この言葉は、描いた対象の報告であると同時に、みずからの絵画的世界を根拠づける宣言でもあった。

 同年、ワイエスはジョン・F・ケネディ大統領から自由勲章を授与され、アメリカ文化の公的な象徴として広く認知されるようになった。アメリカ芸術文学アカデミーへの選出、複数の大学からの名誉博士号取得を通して、「国民的画家」という評価は制度的に積み重なっていった。冷戦の緊張と急激な社会変動のなかで、農村の静けさ、木造建築の質感、摩耗していく事物と人の姿など、ワイエスの絵画が体現した「アメリカ」像は、時代に独特の吸引力を持ちえた。

氷に閉じ込められた落ち葉という抽象的なモチーフではるが、そこに複雑なアメリカ社会の原風景を読むこともできる。アンドリュー・ワイエス《薄氷》(1969)パネルにテンペラ 110.2×121.9cm 株式会社三井住友銀行 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

 しかしワイエスが実際に描いた「アメリカ」は、そうした称号が喚起するイメージよりもずっと複層的だ。《自画像》(1945)が示す内省的な視線、《オルソン家の終焉》(1969)では衰退していく土地と過ぎ去った過去、《薄氷》(1969)に見られるある種抽象的ともいえるモチーフの中心を持たないオールオーバーな画面構成は、いずれも「アメリカの誠実さ」という単純な称揚には収まりきらない緊張を孕んでいる。

 ワイエスが描いた私的な風景は、アメリカの原風景の一側面へと読み替えられていった。本展の作品群はその変換の過程を問い直す機会でもある。絵画の前に立つとき、より多層な「アメリカ」の姿が見えてくるはずだ。(小塚)

編集部