アーツ前橋(群馬県前橋市)が、高崎市出身の作家2人の遺族から借用した6作品(木版画4点、書2点)を紛失した問題をめぐり、2020年11月の公表からいまだ事態が収束しない。2021年3月、作品紛失の原因や対応について調査委員会がまとめた調査報告書に対し、すでに退任を発表していた住友文彦館長(当時)が反論会見を開き、館長を退任した。
作品紛失にも増して問題となっているのは、遺族への報告の遅れだ。2020年1月に紛失が確認されてから遺族への謝罪まで約6ヶ月もかかっている。この原因として、調査報告書では、住友元館長と担当学芸員が、作品を紛失した事実を隠蔽しようとしていたことを指摘。調査報告書によれば「作品リストを更新して(書き換えて)、紛失した作品は最初から借用していなかったと遺族に伝える」「2022年に作家の企画展を提案し、その終了後に紛失の事実を伝えるか判断する」などと提案したとされている。それに対し住友は会見で「隠蔽や虚偽の事実はない」と反論。「専門家(である私たち)に遺族への説明を任せるよう求めたが、市職員に聞き入れられなかった」「報告の遅れを中心とした内容で、紛失原因の調査はほとんどなされていない」と主張した(*1)。
前橋市文化国際課が運営するアーツ前橋は住友会見には反論せず、収蔵作品総点検のため、6月30日までの休館に入った。
この問題について美術評論家連盟は、5月2日、前橋市長宛に調査報告書の中立性への懸念や作品紛失の原因究明などを求めた意見書を送付した(*2)。しかし、情報公開請求で前橋市から提供された資料などを再検討し、同月31日には「調査報告書の内容がおおむね妥当である」として先の声明の撤回とお詫びを表明。「紛失を隠蔽する根拠を美術専門家の判断として主張するものがあるが、美術館員および評論家としての職業倫理に悖(もと)る」と住友元館長の言動を批判している(*3)。
美術評論家連盟が入手した資料とは、情報公開請求によって前橋市から提供された作品紛失に関する資料で、メールや会話の録音起こしなども含めて仔細に動向がたどれる。筆者も同じ資料を入手したので、作品紛失に関する経緯と問題点を次の章で整理したい。
前橋市と館長・担当学芸員の主張の違い
紛失した作品は、担当学芸員が作家の遺族らに何度か交渉を重ねて寄託・寄贈の話に至ったものだった。2018年12月17日、遺族の家から美術専門車で旧前橋市立第二中学校のパソコン室に借用した52点を搬入した。この日の夜、借用証がないことに気づいた遺族は、翌日から何度か美術館に問い合わせている。後日送られてきた借用書に点数の記載はなく、「一式」と書かれていた。52点であることがわかったのは約1年後の2019年11月のことだった。
2019年3月26日、担当学芸員らが調査作業を行い、状態の良い37点はアーツ前橋の一時保管庫へ移送。15点が旧二中のパソコン室に引き続き保管された。この時点では紛失作品も保管されていたことが確認されている。
8ヶ月を過ぎた12月3日の会議で、副館長(市職員)が、教育委員会で旧二中の不要備品を処分するため、捨てられては困るものを整理して分けておくようにと告知する。翌4日、副館長・事務職員・別室担当の学芸員とでテープをパソコン室の床に貼り、借用作品と学校備品の境界を明示。12月20日には備品の処分が実施された。担当学芸員は「予定が重なっている」といった理由で、両日とも作業に立ち会っていない。後に「自身が担当する作品に関わる整理であるという認識はなかった」「情報が共有されていない」などと責任を転嫁するような発言も見られる。作品リストが渡されておらず、作業した3人は誰の作品があるのかも知らなかったという。
年が明けて2020年1月6日、担当学芸員が、収蔵美術品専門委員会にかける作品のリストを作成(採寸)するため旧二中で確認作業をした際、3作品が見当たらなかった。27日には、旧二中から作品をアーツ前橋の一時保管庫に移動。同日、住友館長に3点が見当たらないことを報告している。30日には収蔵美術品専門委員会が開催されたが、住友元館長から委員たちへは「(紛失)3作品はコンディションの都合で候補にすることを見送る」との説明があった。担当学芸員は遺族にメールで11点の収蔵が決定したと報告しているが、3点の作品が紛失し、11点が8点になったことは伝えていなかった(寄贈手続きはその後停止)。
2月3日、担当学芸員と副館長は先の学校不要備品の搬出先を訪ね、作品を誤廃棄した可能性が低いことを確認。同日、保管場所を再確認してさらに3点の紛失を確認、計6点の紛失が判明した。 調査報告書には、担当学芸員と副館長が公用車で移動中に交わされた会話の録音記録がある。担当学芸員は「自分がリストをつくっていて、遺族は(何を貸し出したかは)把握していない」「いまこの時点で遺族には伝えず、いったん寄託を受け、今後、個展をする」と提案。それに対し、副館長は「早く言ったほうがいい」「事故の責任はひとりで負わないこと。みんなで考えること」と説得している。
担当学芸員が経緯をまとめた文書でも「作品の寄贈が決定したばかりであるため、現時点で遺族に状況を共有することで、寄贈の話も振り戻ってしまう可能性が高い」「現在は調査中というかたちで、保留にしておくのが良いのではないか」としている。
いっぽう、住友元館長も担当学芸員と同じ策を主張し続け、市長への報告は4月にずれ込んだ。人事異動があり4月から新年度体制になって対応の協議が本格化していくなかで、文化国際課長や新副館長らの「事実を遺族に伝え公表すべき」「遺族には正直に話し遺族の動向を確認する必要がある」という説得に対し、「いま相手方に話してマスコミに公表されてしまうとアーツ前橋の信用が落ち、他館からの作品借用などができなくなり、館運営に支障をきたす」などと反論している。
4月15日の会議では住友元館長が欠席し、手紙が代読された。そのなかで住友元館長は「保管リストを更新する計画を話し合うのではなく別の解決方法の道筋が描かれている」「作品価値に比して公開することで失うものが大きすぎる」「(作品群の)一部が公開され、歴史に残されることを望み、かつ遺族はその保存から解放される。すべてを丁寧に管理する場合は倉庫業のほうが効率的にこなすでしょうが、遺族はそれを望みません(中略)基本的には学芸員や専門館館長が預かり、きちんと遺族の望みと、何よりも作家を歴史に埋もれさせないようにする評価を優先させるはずです」と自論を展開している。
6月、担当学芸員が遺族を訪問。紛失については伝えず、2022年春に展覧会を企画する旨を伝え、館長指示に従いリストをいったん引き上げた。副館長は「懲戒処分になる可能性が高い」としてリストの更新はしないように指示。7月には「これ以上引き延ばすのであれば事務職で対応せざるを得ない」という文化国際課長に対し、館長は「事務職員が入ると遺族の信頼を得られなくなる。専門家に任せてほしい」と譲っていない。
同月、ようやく担当学芸員が、遺族へ紛失を電話報告。8月には館長と担当学芸員が別の遺族と面談し、「報告が遅すぎる」と諌められた記録もある。10月に館長と担当学芸員に文化国際課長が帯同して遺族と面会した記録を見ると、遺族は、自分が館長だったらすぐに所有者、借用者へ連絡し、状況を把握して、何をしているか伝え、まず何よりも探すことを並行してやりなさいと指示する、と厳しく問いただしている。また、アーツ前橋の職員が過去にこういうことが起きたことを閲覧できるように、この事実を消さないでほしいとも要望している。
危機管理と再発防止策を
なお、前橋市は可能な限りの作品捜索も行ってきた。運送会社へのヒアリング、旧二中から備品搬出作業を行った用務技士へのヒアリング、市内小中学校などへの照会。警察にも相談したが、「機械警備の発報や窓ガラスが割れるなどの侵入した形跡はない」「建物に出入り可能あるいは介在している人物が多すぎて特定できない」「紛失から時間が経過しすぎている」といった理由から、盗難届として扱い捜査することは難しいとされている。
紛失時期と原因はいまだ不明だ。市は当初、2019年12月20日の旧二中備品処分の際に誤廃棄された疑いがあるとしていたが、作業を行った用務技師ヒアリングによると、分別して仕分けしていたため、ダンボールに入った額装(ガラス表面)のものがあれば、作業職員や搬入先で気づいた可能性が高く、誤廃棄の可能性は低いとした。また、2019年3月26日に担当学芸員らが作品調査の際に撮影した写真と、同年12月4日に副館長(当時)らがテープ作業した後に撮影した写真を比較したところ、壁に立てかけてあった作品がなくなっていたことが判明。副館長らはヒアリングなどで「作品は動かさずに線だけ引いて不要備品と分けた」と話しており、「12月4日の時点ですでにこの場所になかった可能性もある」との見解を記載。つまり、最後に作品が確認された2019年3月26日から、テープ作業をした2019年12月4日以前までのあいだに所在不明になったとも考えられ、盗難の疑いも消えてはいない。後の調査で、旧二中の機械警備が2019年7月27日〜28日のあいだで解錠していた記録があることが判明したが、作品紛失発覚以前は鍵の貸借記録も付けられていなかった。担当学芸員の記憶も曖昧で真相はわからない。
アーツ前橋では今後の対応と再発防止策として、作品管理の徹底(保管場所・方法)、作品調査や移動時は複数職員で確認、収蔵品・借用・寄託品などの管理や手続きについてマニュアル化・管理を徹底し、信頼の回復をはかろうとしている。
作品紛失に重責があることはもちろんだが、その重みゆえに失敗を報告できず、隠蔽に走ることは防止しなければならない。物質は経年変化し、移動し公開されるため、作品にはリスクが伴い、慎重に扱われる。それでも何か過失が起こった場合には、できる限り迅速に謝罪し、そのあいだに捜索を続け、再発防止策を立てることだろう。どんな行政や企業でも重い失敗はあり、美術業界だけが例外ではない。事実を隠して引き延ばすほど、取り返しのつかない事態になってしまう。アーツ前橋の事例を教訓として、美術業界全体でもリスクマネジメントや再発防止策をあらためて確認・検討し、共有する必要があるのではないだろうか。
過労死ラインを超える残業時間だった
筆者には、作品紛失問題が浮上する前から、アーツ前橋の求人の多さに疑問があった。開館から7年のあいだに学芸員が10人辞めているのだ。アーツ前橋の労働現場を知る複数人に取材を続けるうちに、労務管理にも問題があることがわかった。共通していたのは、残業時間が月80〜100時間の過労死ラインを超え、しかも非正規雇用の学芸員の残業代は払われていなかったということだ。「ひと月で1日しか休みのない月があった」「終電に間に合わない日が続いた」という声も聞いた。展覧会、アーティスト・イン・レジデンス、教育普及事業と年間の事業数が多すぎる。まちなかへ出て活動することも大切だが、相手先が増えればオーバーワークとなっていく。非正規雇用の学芸員は無賃残業になってしまうので、見かねた市職員からエクセル表に記入して振替休をとるように指示されていたという。事務方の上長から学芸員へのヒアリングも行われていた。市関係者によれば、2020年4月以降は制度が変わり、残業代の未払いはなくなった。
組織としては事務方の課長に決裁権があるが、外からは民主的に見えて、事実上は住友元館長のほとんど独壇場だったというのが複数の取材源から得た印象である。学芸課長を置かず、週に1〜3回来館する住友元館長が決裁する。学芸員からのプレゼンテーションの際には理由も言わずに否定され、代案も言われず、長時間の会議となる。そのため作業が滞り、進行が遅れていく。学芸員たちは、作家のために仕事を進めなければならないとの思いで、館長に承認を得やすいよう仕事を進めるようになる。異を唱える者には叱責や蔑むような発言をする場面もあり、それは他者もいる場で行われるため、見聞きされている。開館早期から過重労働が常態化し、それぞれが自身のことで手一杯になっていたという。
また、事務方の業務負担も大きく、助成金の申請書類を作成するため早朝まで残業する市職員もいたという。学芸員から見ても、事務方の職員は親切で文化に理解もあると誰もが口にしていた。行政では施設にも人員にも定数があり、市全体のバランスのなかで考えなければならないという面もある。まずは事業数を減らすと同時に、前橋市には潤沢な予算と人員の確保をお願いしたい。なお、市関係者によれば、住友館長退任後の新体制になってから、こうした労務問題の改善も一つひとつ並行して進められている。
他方で、今年4月には、前橋市内のアーティスト4人が呼びかけ人となって「次期アーツ前橋館長職に関する要望書」が山本龍市長に手渡された。その後、呼びかけ人の一人である白川昌生が、署名を呼びかけたことへの謝罪文をFacebookに投稿した。学芸員からアーツ前橋の惨状について相談を受けることもあった白川が「次期館長は、自ら労務管理に目の配れる人に」などと書いた要望は本要望書に反映されなかった。住友に止められたとしか言いようのない事態が起きていたのだ。白川が粘って「次期アーツ前橋館長職に関する要望書」のウェブサイトに「関連資料」(*4)としてリンクされている。白川は、これまでのアーツ前橋を検証することなく次のステップに進まないよう、勇気を奮って行動を起こしたのだった。
今回のアーツ前橋の作品紛失問題は、隠蔽策を起案し推し進めようとした担当学芸員と、それを正しい方向に転換させなかった住友元館長の失策といえるのではないか。全国美術館会議「美術館の原則と美術館関係者の行動指針」(*5)の公益性・公共性、倫理規範に照らしても問題があるだろう。住友元館長と担当学芸員は、美術館関係者の「行動指針2:多様な価値と価値観の尊重」に記された「美術館に携わる者は、作品・資料の多面的な価値を尊重し、敬意を持って扱い、作品・資料にかかわる人々の多様な価値観と権利に配慮する」において、作品の著作権・所有権を保持する人々への尊重と配慮、作品を生み出す作家への敬意に欠けるといえる。他方、前橋市は「行動指針3:設置の責任」に記された「設置者は、美術館が使命を達成し公益性・公共性を高めるよう、財源確保と人的措置、施設整備等の活動基盤の確保に努める。また、美術館にかかわる人々とコレクションの安全確保を図る」において、適切な作品保管施設や財源を確保できていなかった責任は免れず、また、安定的な雇用、人材の確保と育成、労働環境などの活動基盤も見直さなければならない。
今後の方向性などを検討する「アーツ前橋あり方委員会」の話し合いも始まる。ぜひハラスメント講習やリスクマネジメントを含む教育研修の充実を図ってほしい。美術業界全体にも言えることだが、意識を変えるなかから、より信頼できる館長や学芸員が育成されるだろう。多様性や社会包摂を謳う展覧会や教育普及は、まず足元から根本的な改革が行われてはじめて、鑑賞者に伝わるものではないだろうか。
※1月6日に担当学芸員が3作品が見当たらないことを確認した際の作業は「アーツ前橋に移す作業」ではなく「作品リストの作成(採寸)」だったため、6月11日に記述内容を事実に即して修正しました。(編集部)
*1──「2021年3月25日午後1時 群馬県庁刀水クラブ 住友文彦(アーツ前橋館⻑)記者会見原稿」より
*2──「アーツ前橋における借用作品の紛失及び前橋市の対応について」(https://www.aicajapan.com/ja/statement_2021_5/)
*3──「『アーツ前橋における借用作品の紛失及び前橋市の対応について』の撤回とお詫び」(https://www.aicajapan.com/ja/statement21_5_03/)
*4──「次期アーツ前橋館長職に関する要望書」(https://sites.google.com/view/artsmaebashimeeting2021/index)内の関連資料「要望書への資料」
(https://drive.google.com/file/d/1G_OX3sJhjswQQxgo4ZtDsIXlP_W_Wo4J/view)
*5──一般社団法人全国美術館会議「美術館の原則と美術館関係者の行動指針」(https://www.zenbi.jp/data_list.php?g=4&d=3)