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2020.2.23

ジェイソン・モランが学んだジョーン・ジョナスの教えとは? 他者とリンクする『“SKATEBOARDING” Tokyo』の試み

1960年代からニューヨークを拠点にパフォーマンスと映像インスタレーションを融合させた表現を続けてきたジョーン・ジョナス。その活動を記念して、2019年12月に京都で大規模なパフォーマンス公演『Reanimation』(2012年初演)が行われた。雪や動植物をモチーフに、人間中心的ではない時間や世界観を示すその内容は、近年のジョナスの関心のありようを動的に伝えるものだが、この記事では舞台上の彼女から視点を少し左にずらして、舞台下手にいた「演奏者」に移動してみたい。

文=島貫泰介

Jason Moran “SKATEBOARDING” Tokyo Photo by Wataru Umehara
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 巨大なスタンウェイのグランドピアノを演奏するジェイソン・モラン。名門ブルーノート・レコードから数々のアルバムを発表する高名なジャズピアニストである彼は、作曲家・教育者として知られるのみならず、カラ・ウォーカーら現代美術のアーティストとも協働するほか、ジャズ史にまつわる美術作品も発表する美術家としての顔も持つ(ニューヨークのホイットニー美術館では、2019年9月から20年1月まで個展「JASON MORAN」が開催されていた)。

ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念 パフォーマンス公演『Reanimation』 撮影=井上嘉和

 ジョナスは、60年代後半にゴードン・マッタ=クラークらと親交を持ち、当時のニューメディアであるポータブル・ビデオと出会い、子供たち、さらに陸や海の動物とも協働する、固定的ではない作家としてのアイデンティティを志向してきた人物と言えるが、おそらくモランも似た資質を持ち合わせている。京都での『Reanimation』を終えてすぐさま東京へ移動し、プロスケートボーダーたちと即興でのジャズセッションを行う『Jason Moran “SKATEBOARDING” Tokyo』をオーガナイズするフットワークの軽さと多面性とタフさ。そこに惹かれ、共鳴したからこそ、ジョナスは演奏を聴いた翌日にモランに直電して『The Shape, the Scent, the Feel of Things』(2005)への出演・作曲を依頼したのだろう。

 そんな彼を追いかけるように、筆者も京都から東京へと移動。日本初上陸となる『SKATEBOARDING Tokyo』を直前に控えたモランに話を聞いた。ちなみに、彼もまた若い頃からストリートを遊び場とするスケーターである。

ジェイソン・モラン Photo by Kentaro Hasegawa

 「私が夢中になっていた80年代は、スケートボード自体がポピュラーになっていったとともに、白人中心だった環境に黒人やメキシコ系のスケーターが登場して人気を得ていった変化の時代でもあります。私の出身地であるテキサス州・ヒューストンではスティーブ・ステッドハム(Steve Steadham)があらゆるスケーターたちから尊敬されていて、人種の壁を打ち破るような活躍を見せていました。彼の活躍からは『スケートボードがうまければ人種の壁を超えられる』というメッセージを読み取ることができ、高価なランプ(湾曲した坂状のセクション)を使えるような恵まれた環境にいなくても、ボードとストリートとアイデアさえあればどこでだって勝負できるということを伝えてもいました。限られたものと環境を使って、クリエイティブな滑りを生み出すスケーターは自分にとって素晴らしく創造的な人たち。いつか、その文化に関わるものをつくれないかと思っていたんです。

 直接的なアイデアの源泉になったのは、スパイク・ジョーンズが監督した『Video Days』(1991)。このなかでマーク・ゴンザレスの滑りにジョン・コルトレーンの曲を当てたシーンがあって、すごくハマっていた。マークもコルトレーンも両方の世界の革新的な人物ですから、この融合に私はとても興奮したんです。それが『SKATEBOARDING』の原点です」。

Photo by Wataru Umehara

 会場は足立区千住にあるMURASAKI PARK TOKYO。広いスケートパークのほぼ中央には2台のスタンウェイとドラムなどがセッティングされている。

 第一部としてモランと長年の盟友であるピアニストのスガダイローによるセロニアス・モンクにオマージュを捧げるピアノセッションが行われ、続いて5名のスケーター(戸枝義明、池田幸太、北詰隆平、本郷真太郎、有馬昴希)と、ドラム(石若駿)、ベース(須川崇志)の奏者が加わってのセッションが始まった。

第一部のジェイソン・モランとスガダイローによるセッション Photo by Yosuke Torii
ドラムの石若駿 Photo by Yosuke Torii
ベースの須川崇志 Photo by Yosuke Torii

 事前インタビューでモランは「じつは自分がいちばん楽しいから、このイベントを企画し続けているんですよ」と笑っていたが、パフォーマンスを見ているとその気持ちがよくわかる。演奏中、彼が陣取っているのは、スケーターたちが空中高く舞ってトリックを決めて勢いよく着地するポイントのまさに最前列。誰よりもアガる場所で演奏する特権、スケーターたちとセッションする歓びと、いつボードと人間が飛んでくるかわからないスリルは、彼にとって簡単には手放せないものだろう。

 約1時間半のセッションは日本人スタッフ全員にとってはじめての試みということもあり、少しのぎこちなさを伴って始まったが、緊張に慣れて、空間に馴染んでくると冒険心溢れたスケーターたちはたんに高度なトリックに挑戦するだけではなく、それ以外の滑りや待機時間の余白をうまく使って、音楽的な滑りを楽しむようになっていく。それに呼応するようにして、モランたちジャズトリオは緩急をつけながら空間と時間を震わせるグルーヴを生み出していく。最後には全員がヘトヘトになり、演奏もスケーティングも緩やかに弛緩していったのだが、そのチルアウトの感覚もまた心地よかった。終演後、この感想をモランに伝えると、彼は同意の意思を示すように深くうなずいてくれた。素晴らしいセッションには、楽しさと心地よい疲労感が欠かせない。

Photo by Yosuke Torii
Photo by Yosuke Torii

 話をモランとジョナスとの関係に戻そう。2005年の協働以来、じつに15年に及ぶふたりの交流は、様々な影響を互いに与え合うものだった。その経験について彼はこう語る。

 「ジョーンという存在は『力(フォース)』そのもの。『Reanimation』は8年ぐらい続けているけれど、社会情勢、自然環境、時代の変化によって彼女は常に変化していて、それは作品の変化としても現れています。

 私にとって彼女はいかなる伝説的なジャズミュージシャンとも変わらない、素晴らしいアーティストで、多くのエネルギーをもらい続けてきました。ですが、はじめて協働したときはそれまで自分がやってきた音楽とはまったく違う言語の持ち主という感じで、彼女が私に何を求めているのかまったくわからず困惑していました。そんななかで1日8時間のリハーサルを週に2回やって、それを2ヶ月続けるというのは、相当に困難なプロセスです。けれども『わからない』という自分とセッションすること自体をジョーンは喜んでいて『そういう人とやりたかった!』と言うんです(笑)。

 結果として、バックグラウンドも世代も違う私たちが、それぞれの違う視点、違うやり方を持ち寄って生まれた『Reanimation』はとても強いパフォーマンスになったと感じています。出会ってから約15年が経ちましたが、歴史、土地、魂という断片的なテーマとアイデアを紡ぎあげる彼女の能力は、作曲家としての自分に大きな影響を与えると同時に、終わらない挑戦でもあり続けている。彼女とのセッションによって、自分も新たな領域へ進むことができたと感じます」。

ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念 パフォーマンス『Reanimation』 撮影=井上嘉和
ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念 パフォーマンス『Reanimation』 撮影=井上嘉和

 もうひとつのふたりの共通点として、教育者として若い世代の育成に力を入れてきた点を挙げたい。『Reanimation』上演の翌々日にスタートした展覧会、ジョーン・ジョナス「Five Rooms For Kyoto:  1972–2019」(京都市立芸術大学ギャラリー @KCUA)では、世界初の試みとしてジョナスの教育活動にフォーカスしたセクションが設けられた。

ジョーン・ジョナス「Five Rooms For Kyoto:  1972–2019」展示風景より 撮影=来田猛 提供=京都市立芸術大学
ジョーン・ジョナス「Five Rooms For Kyoto:  1972–2019」展示風景より 撮影=来田猛 提供=京都市立芸術大学

 展示室にはティーチングに用いられたメモや、ドキュメンタリー映像資料などが展示され、ドイツやイタリアの学生たちや、夏の別荘のあるカナダの村で行われた子供たちとのワークショップの様子などに触れることができる。とくに、マサチューセッツ工科大学(アメリカ)でのパフォーマンスクラスの記録は詳細に紹介されていて、10週間にわたって行われたプロセスを通覧することで、いかにしてジョナス作品が組み立てられていくのかが明瞭に理解できる。参加者各人が持ち寄った詩を分析し、それを映像などの表現方法に置き換えるためのアイデアを模索したり、日記を書くことで歴史と個人的な日々の暮らしを近づけたり......。この実践的なプロセスに触れられるのは、若きアーティストたちにとって幸福な経験に違いない。

 ジョナスの作品と、それを支える触知的な経験と洞察を重視した教育の関係に思いを馳せるとき、思い出すのはコミュニティについて語るモランの言葉だ。

 「自分の活動はすべて抑圧・暴力・無知に抵抗するためのものとして、知的でソウルフルで、みんなを受け入れるような環境をつくっていくことを意識してきました。重要なのはひとつのコミュニティに対してのみでなく、なるべく多様なコミュニティの人たちを巻き込むことで、ジャズの枠組みでスケートボードに触れてもらう『SKATEBOARDING Tokyo』もその実践なのです」。

Photo by Kentaro Hasegawa

 「スケーターの若者たちは、何度転んでも起き上がってまた滑り始める。そういった懸命さ、彼らのコミュニティの強さ・結束力を見ることから、学べることや知れることはたくさんあります。私は、ワシントンD.C.の『ジョン・F・ケネディ・センター(The John F. Kennedy Center for the Performing Arts)』のジャズ部門ディレクターを務めていますが、そこで重視しているのも異なるコミュニティの人たちとのリンクであり、そのリンクがあるということを外に向かって可視化していくことです。

 ジャズは奴隷制の反動として生まれた歴史を持ちますが、それは音響的な自由(sonic freedom)を求める歴史でもあります。自分自身、幼少期からアートを通して政治的なアクティビズムを実行することをずっと教えられ育ちました。ジャズとは、それ自体がポリティカルでクリティカルな行動なのです。そのことは自分の教え子たちにも常に伝えていますし、自分たちが置かれている社会と、そこでの自分の役割を意識してアーティストとして行動することも伝え続けていきたい」。

Photo by Yosuke Torii

 インタビューを行った2019年12月13日は、奇しくもイギリスのEU離脱(ブレグジット)を推し進める保守党が勝利を収めた総選挙の翌日だった。そして年が明けた1月31日には離脱が実行され、47年に及ぶ欧州連合とイギリスの関係は終止符を迎えた。

 世界は大きく変わっている。分断の拡大や格差の可視化はいたるところで起こり、未来への漠然とした不安と他者への不信で時代は満ち満ちている。しかし、そんな時代だからこそ学び、熟考し、知るべきことは多くある。モランが祝祭的な『SKATEBOARDING Tokyo』でスケーターのマインドとクリエイティブから学びと驚きを得るように。80歳を超えたジョナスが若者や動物との協働から世界のありようを観客に示すように。

Photo by Yosuke Torii